サラサラと闇が剥がれて、白い部屋が姿を現した。
詩歌と穏佳は顔を見合わせた。
「元の部屋じゃないよね?」
「扉がないな」
空間は真っ白いだけで何もない。
出入りできる扉もない。
「まだ終わってないのか?」
穏佳が訝しげに周囲を見回す。
詩歌の肩に乗っていた光が、ふわりと宙に浮いた。
「あ……!」
掌大だった光が徐々に大きくなる。
伸びたり縮んだりを繰り返しながら、人の形になった。
「……快心」
そこには、詩歌が最後に見た六歳の快心がいた。
安心と、わずかなざわめきが詩歌の胸を揺らした。
「弟か?」
「うん」
穏佳の短い問いかけに、詩歌は頷いた。
快心がニコニコと詩歌と穏佳を眺めている。
『お兄ちゃん、今、高校二年生でしょ?』
「うん、そうだよ」
『それじゃぁ、俺は中学三年生か』
快心の輪郭が歪んだ。
また伸びたり縮んだりして、姿が大きくなった。
詩歌より少し幼い、中学生の姿をした快心が現れた。
「生きていたら、快心は今頃、こういう姿をしていたんだね」
詩歌の目に涙が滲む。
穏佳が、詩歌の手を握った。
『生きていたら、お兄ちゃんと同じ高校に行きたかったな。でも、お兄ちゃんほど頭が良くないから、無理だったかも』
へへっと快心が笑った。
その笑顔すら、詩歌には痛い。
「僕も、快心と同じ高校に行きたかった。勉強なら、いくらでも教えたよ」
零れそうになる涙を、手で擦る。
『お兄ちゃんが明倫を選んだのって、全寮制だったから? 家にいたら、俺のこと、思い出すから?』
「違う! そうじゃ、なくて」
思い出すのは、自分の後悔だ。
辛いのも痛いのも、あの時、何もしなかった自分だ。
『あのね、八歳のお兄ちゃんが探しに来ても、きっと俺のこと見付けられなかったよ』
あまりに正当な意見を言われて、詩歌は言葉が出なかった。
『パパとママが心配して、もっと大変になったと思う。家にいたの、正解だったよ』
「それは……そう、だけど。最初に変だって気が付いたのは、僕なのに」
異変を感じた時に両親に伝えていれば、間に合ったかもしれないのに。
快心が詩歌に両手を差し出した。
反射的に、詩歌も手を出す。
手の中に、綺麗に光る緑色の石が転がり込んだ。
『宝石みたいで、綺麗でしょ。これをね、お兄ちゃんに渡したかったんだ。やっと渡せた』
快心が嬉しそうに笑った。
「これ、トンボ石か?」
覗き込んだ穏佳が、快心に訊ねる。
快心が頷いた。
『お兄ちゃんは綺麗なものが大好きだから、誕生日にあげたかったんだ。でも、内緒にしたかったから、隠しておいたの。上手に隠したから、誰も見付けられなかったよね』
手の中のトンボ石に、ぽたぽたと涙が落ちた。
「うん……見つけてない」
掠れた声で、呟く。
穏佳が、さりげなく詩歌の頭を撫でて、引き寄せてくれた。
そんな二人を、快心が優しく眺めた。
『七不思議の七つ目。七不思議を調べた者は、次の怪異になる。七不思議を調べたお兄ちゃんの怪異は、俺だよ』
穏佳が目を見開いた。
詩歌と顔を見合わせて、快心をじっと見詰めた。
快心が微笑んで、トンボ石ごと詩歌の手を握った。
『もう、自分のせいだって、思わないで。俺が悲しくなるから。それより、この石を見て綺麗だって、笑ってほしいよ』
詩歌は息を飲んだ。
詩歌に微笑みかける快心があまりに綺麗に笑うから。
手渡されたトンボ石がとても綺麗で、重くて、大切だから。
「わかった。もう、自分を責めない。そういう気持ちが溢れたら、僕は快心が大好きって言う」
だから、詩歌は笑った。
『うん、それがいいよ。お兄ちゃんは笑ってくれたほうがいい。俺も嬉しい……そうだよね』
快心が穏佳を振り返った。
「詩歌は、素直に笑っているのが、俺も好きだ。だから俺も、詩歌が泣きそうになったら、快心が大好きって詩歌と一緒に笑うよ。トンボ石、とても綺麗だ」
穏佳が、快心みたいに笑った。
『素敵な恋人ができて、良かったね。お兄ちゃん』
「こい……え!」
快心の体が、ふわりと浮き上がった。
『俺も、そろそろ逝かなくちゃ。穏佳さんと仲良くね』
フワフワ浮きながら、快心が手を振る。
詩歌は立ち上がった。
「快心、いっぱい助けてくれて、ありがとう! 僕の弟に生まれてくれて、ありがとう!」
握った指先が、離れる。
天に昇っていく快心が少しずつ遠くなる。
『お兄ちゃんが俺のお兄ちゃんで、良かった』
天に昇っていく快心の姿が透けていく。
大好きな笑顔が、空気に滲んで、消えた。
快心の姿がなくなっても、詩歌はその姿が消えた場所を、ずっと見詰めていた。
肩を抱いてくれる穏佳の手が温かい。
手に握るトンボ石が、柔らかな熱を伝えていた。
詩歌と穏佳は顔を見合わせた。
「元の部屋じゃないよね?」
「扉がないな」
空間は真っ白いだけで何もない。
出入りできる扉もない。
「まだ終わってないのか?」
穏佳が訝しげに周囲を見回す。
詩歌の肩に乗っていた光が、ふわりと宙に浮いた。
「あ……!」
掌大だった光が徐々に大きくなる。
伸びたり縮んだりを繰り返しながら、人の形になった。
「……快心」
そこには、詩歌が最後に見た六歳の快心がいた。
安心と、わずかなざわめきが詩歌の胸を揺らした。
「弟か?」
「うん」
穏佳の短い問いかけに、詩歌は頷いた。
快心がニコニコと詩歌と穏佳を眺めている。
『お兄ちゃん、今、高校二年生でしょ?』
「うん、そうだよ」
『それじゃぁ、俺は中学三年生か』
快心の輪郭が歪んだ。
また伸びたり縮んだりして、姿が大きくなった。
詩歌より少し幼い、中学生の姿をした快心が現れた。
「生きていたら、快心は今頃、こういう姿をしていたんだね」
詩歌の目に涙が滲む。
穏佳が、詩歌の手を握った。
『生きていたら、お兄ちゃんと同じ高校に行きたかったな。でも、お兄ちゃんほど頭が良くないから、無理だったかも』
へへっと快心が笑った。
その笑顔すら、詩歌には痛い。
「僕も、快心と同じ高校に行きたかった。勉強なら、いくらでも教えたよ」
零れそうになる涙を、手で擦る。
『お兄ちゃんが明倫を選んだのって、全寮制だったから? 家にいたら、俺のこと、思い出すから?』
「違う! そうじゃ、なくて」
思い出すのは、自分の後悔だ。
辛いのも痛いのも、あの時、何もしなかった自分だ。
『あのね、八歳のお兄ちゃんが探しに来ても、きっと俺のこと見付けられなかったよ』
あまりに正当な意見を言われて、詩歌は言葉が出なかった。
『パパとママが心配して、もっと大変になったと思う。家にいたの、正解だったよ』
「それは……そう、だけど。最初に変だって気が付いたのは、僕なのに」
異変を感じた時に両親に伝えていれば、間に合ったかもしれないのに。
快心が詩歌に両手を差し出した。
反射的に、詩歌も手を出す。
手の中に、綺麗に光る緑色の石が転がり込んだ。
『宝石みたいで、綺麗でしょ。これをね、お兄ちゃんに渡したかったんだ。やっと渡せた』
快心が嬉しそうに笑った。
「これ、トンボ石か?」
覗き込んだ穏佳が、快心に訊ねる。
快心が頷いた。
『お兄ちゃんは綺麗なものが大好きだから、誕生日にあげたかったんだ。でも、内緒にしたかったから、隠しておいたの。上手に隠したから、誰も見付けられなかったよね』
手の中のトンボ石に、ぽたぽたと涙が落ちた。
「うん……見つけてない」
掠れた声で、呟く。
穏佳が、さりげなく詩歌の頭を撫でて、引き寄せてくれた。
そんな二人を、快心が優しく眺めた。
『七不思議の七つ目。七不思議を調べた者は、次の怪異になる。七不思議を調べたお兄ちゃんの怪異は、俺だよ』
穏佳が目を見開いた。
詩歌と顔を見合わせて、快心をじっと見詰めた。
快心が微笑んで、トンボ石ごと詩歌の手を握った。
『もう、自分のせいだって、思わないで。俺が悲しくなるから。それより、この石を見て綺麗だって、笑ってほしいよ』
詩歌は息を飲んだ。
詩歌に微笑みかける快心があまりに綺麗に笑うから。
手渡されたトンボ石がとても綺麗で、重くて、大切だから。
「わかった。もう、自分を責めない。そういう気持ちが溢れたら、僕は快心が大好きって言う」
だから、詩歌は笑った。
『うん、それがいいよ。お兄ちゃんは笑ってくれたほうがいい。俺も嬉しい……そうだよね』
快心が穏佳を振り返った。
「詩歌は、素直に笑っているのが、俺も好きだ。だから俺も、詩歌が泣きそうになったら、快心が大好きって詩歌と一緒に笑うよ。トンボ石、とても綺麗だ」
穏佳が、快心みたいに笑った。
『素敵な恋人ができて、良かったね。お兄ちゃん』
「こい……え!」
快心の体が、ふわりと浮き上がった。
『俺も、そろそろ逝かなくちゃ。穏佳さんと仲良くね』
フワフワ浮きながら、快心が手を振る。
詩歌は立ち上がった。
「快心、いっぱい助けてくれて、ありがとう! 僕の弟に生まれてくれて、ありがとう!」
握った指先が、離れる。
天に昇っていく快心が少しずつ遠くなる。
『お兄ちゃんが俺のお兄ちゃんで、良かった』
天に昇っていく快心の姿が透けていく。
大好きな笑顔が、空気に滲んで、消えた。
快心の姿がなくなっても、詩歌はその姿が消えた場所を、ずっと見詰めていた。
肩を抱いてくれる穏佳の手が温かい。
手に握るトンボ石が、柔らかな熱を伝えていた。



