フワフワした気持ちで、詩歌は目を開けた。
頭がずっと揺れているようで、思考が上手く働かない。
体が雲の上にいるみたいだ。
「ここ、どこ……」
詩歌はゆっくりと目を開いた。
周囲は真っ暗で、目を開いているのか、瞑っているのかもわからない。
近くに、ぼんやりと気配を感じた。
「……穏佳?」
詩歌の手が気配に伸びる。
『穏佳は、いないよ』
ビクリと、手が止まった。
『でも、もうすぐ来る。もうすぐ三人で、一緒に過ごせるよ』
気配が、詩歌の手を握った。
この手を握ってはいけない。
直感的に、そう思った。
『詩歌と穏佳がいれば、足りない欠片が埋まる。今度こそ、僕の空虚な心は満たされる』
背後に、たくさんの気配を感じる。
詩歌は振り返った。
暗闇の中に、消え入りそうな灯が揺れる。
力なく揺れるたくさんの灯りの中から一つが、闇に消えた。
『また一つ、消えたね。昔、集めた。僕を満たすための欠片』
「僕を、満たす、欠片?」
くらくらする頭で繰り返す。
『詩歌と同じように、僕の声に気付いて応えてくれた、元は人だった生き物。今は、魂みたいなもの』
悠梧の手が、詩歌に伸びた。
『詩歌もすぐに同じになれる。あの魂たちや、僕と同じになれるよ……幸せだね』
ぞわりと肌が粟立った。
なのに、心が幸福で満たされた。
悠梧と静寂の闇の中にいられたら、幸せだ。
胸の中が、悠梧の声でいっぱいになる。
幸せなはずなのに、自分の感情じゃないみたいに、空っぽだ。
(幸せ……なのかな。僕はここに、いたいのかな)
ぼんやりと擡げる疑問は、触れる悠梧の指先で掻き消えた。
『どんなに集めても満たされない。だけど、詩歌と穏佳なら、きっと僕を満たしてくれる』
悠梧の指が、詩歌の頬を撫でた。
じわり、と柔らかな熱が蘇った。
(僕の頬に触れた、あの熱は……穏佳の唇)
眠る詩歌の頬に、穏佳の唇が触れた。
流れ込んだ熱が、詩歌の胸を焦がした。
「穏佳に、会いたい」
考えるより先に言葉が零れる。
『大丈夫、すぐに会える』
耳元で、悠梧が囁いた。
『図書室の欠片は誰にも見つけられない。穏佳はきっと、自分から僕らの元に来ることを望む。詩歌を選んだら、僕がこちら側に引きずり込んであげる』
悠梧の唇が弧を描く。
醜悪な笑みがとても美しく見えた。
『詩歌の魂は、もうすぐ体を手放すから。それまで僕と、ここにいようね』
詩歌の手に巻かれた鎖の枷を、悠梧が撫でた。
詩歌は無意識に、こくりと頷いた。
(ここにいて、良いのかな。穏佳に会いたい。だけど、ここに穏佳が来て、いいのかな)
囁かな疑問が、微かに脳裏を掠める。
『……ちゃん、お兄ちゃん』
誰かが遠くで呼んでいる。
懐かしくて切なくて、泣き出したくなる声だ。
笑顔で手を振る幼い弟の姿が、思い出された。
(心が痛い。思い出したくない。思い出したら、辛いから。思い出したら僕は、お兄ちゃんでいないといけないから)
全部投げ出して、忘れてしまいたい。
『捨てていいよ、忘れていいよ。詩歌は、僕と一緒にいれば、それでいいよ』
悠梧の言葉が優しく聞こえる。
甘美な誘惑に身を委ねて、このまま眠ってしまいたい。
『詩歌が一番欲しい穏佳は、もうすぐ来てくれるから。心配せずに、お眠り』
すぅ、と意識が薄れていく。
このまま目を瞑れば幸せになれる。
詩歌の瞼が閉じかけた、その時。
頬に確かな熱が蘇った。
「詩歌!」
弾かれるように、詩歌は目を開けた。
声が胸に刺さって、視界が揺れた。
「必ず鎖を外して、連れ戻してやる。だから、諦めるな!」
「諦める……?」
穏佳の声が、胸の中に響き渡る。
じわりじわりと、詩歌の感覚が目を醒ます。
(このまま眠ったら、僕は……死んじゃうの?)
今にも割れそうな薄氷の上に乗っているような恐怖を、ジワリと感じる。
自分が手放そうとしたモノの重さが、胸の中に滲んで怖くなった。
「穏佳……こっちに来ちゃダメ」
穏佳はどんな時だって、境界を越えそうな詩歌を現実に引き戻してくれる。
詩歌は自分の頬に触れた。
穏佳がくれた熱が、確かに肌に残っている。
「会いたいよ、穏佳。僕、穏佳が好きだよ」
穏佳に触れたい。穏佳にもっと触れてほしい。
自分だけを見詰めて、この手を握って欲しい。
詩歌の手に、悠梧が触れた。
『目を醒ましかけているね。ダメだよ、詩歌。もう詩歌は戻れない』
悠梧の手を、光が弾いた。
「え……」
小さな淡い光が、詩歌の手を包んだ。
『お兄ちゃんは、戻れるよ。穏佳さんが来るまで、僕が守るから』
聞こえた声を、詩歌は知っている。
あの日失った、もう二度と聴けない声だ。
『諦めちゃ、だめだよ。目を醒まして、お兄ちゃん』
詩歌の目から涙が溢れた。
「快心……快心……」
まだはっきりしない意識の中で、詩歌は何度も愛しい弟の名を呼んだ。
『忌々しいね。お前も所詮、詩歌にとり憑いた。僕と同じ怨霊のくせに』
悠梧が苦々しく零す。
淡い光が詩歌を包んだ。
『お兄ちゃんに触れていいのは、穏佳さんだけ』
悠梧と快心が睨み合う。
その様子を、詩歌は呆然と眺めた。
(僕が触れたいのは、穏佳だけ。穏佳を、守らなきゃ)
詩歌は自分を包む光を撫でると、その手を握った。
「諦めない。穏佳がここに来たら、一緒に戻るんだ」
涙を拭って、詩歌は悠梧を睨んだ。
『……そんな気持ちは、すぐに消えてなくなるよ。穏佳が来るのが、楽しみだね』
悠梧が、薄い笑みを乗せて詩歌を見下ろしていた。
頭がずっと揺れているようで、思考が上手く働かない。
体が雲の上にいるみたいだ。
「ここ、どこ……」
詩歌はゆっくりと目を開いた。
周囲は真っ暗で、目を開いているのか、瞑っているのかもわからない。
近くに、ぼんやりと気配を感じた。
「……穏佳?」
詩歌の手が気配に伸びる。
『穏佳は、いないよ』
ビクリと、手が止まった。
『でも、もうすぐ来る。もうすぐ三人で、一緒に過ごせるよ』
気配が、詩歌の手を握った。
この手を握ってはいけない。
直感的に、そう思った。
『詩歌と穏佳がいれば、足りない欠片が埋まる。今度こそ、僕の空虚な心は満たされる』
背後に、たくさんの気配を感じる。
詩歌は振り返った。
暗闇の中に、消え入りそうな灯が揺れる。
力なく揺れるたくさんの灯りの中から一つが、闇に消えた。
『また一つ、消えたね。昔、集めた。僕を満たすための欠片』
「僕を、満たす、欠片?」
くらくらする頭で繰り返す。
『詩歌と同じように、僕の声に気付いて応えてくれた、元は人だった生き物。今は、魂みたいなもの』
悠梧の手が、詩歌に伸びた。
『詩歌もすぐに同じになれる。あの魂たちや、僕と同じになれるよ……幸せだね』
ぞわりと肌が粟立った。
なのに、心が幸福で満たされた。
悠梧と静寂の闇の中にいられたら、幸せだ。
胸の中が、悠梧の声でいっぱいになる。
幸せなはずなのに、自分の感情じゃないみたいに、空っぽだ。
(幸せ……なのかな。僕はここに、いたいのかな)
ぼんやりと擡げる疑問は、触れる悠梧の指先で掻き消えた。
『どんなに集めても満たされない。だけど、詩歌と穏佳なら、きっと僕を満たしてくれる』
悠梧の指が、詩歌の頬を撫でた。
じわり、と柔らかな熱が蘇った。
(僕の頬に触れた、あの熱は……穏佳の唇)
眠る詩歌の頬に、穏佳の唇が触れた。
流れ込んだ熱が、詩歌の胸を焦がした。
「穏佳に、会いたい」
考えるより先に言葉が零れる。
『大丈夫、すぐに会える』
耳元で、悠梧が囁いた。
『図書室の欠片は誰にも見つけられない。穏佳はきっと、自分から僕らの元に来ることを望む。詩歌を選んだら、僕がこちら側に引きずり込んであげる』
悠梧の唇が弧を描く。
醜悪な笑みがとても美しく見えた。
『詩歌の魂は、もうすぐ体を手放すから。それまで僕と、ここにいようね』
詩歌の手に巻かれた鎖の枷を、悠梧が撫でた。
詩歌は無意識に、こくりと頷いた。
(ここにいて、良いのかな。穏佳に会いたい。だけど、ここに穏佳が来て、いいのかな)
囁かな疑問が、微かに脳裏を掠める。
『……ちゃん、お兄ちゃん』
誰かが遠くで呼んでいる。
懐かしくて切なくて、泣き出したくなる声だ。
笑顔で手を振る幼い弟の姿が、思い出された。
(心が痛い。思い出したくない。思い出したら、辛いから。思い出したら僕は、お兄ちゃんでいないといけないから)
全部投げ出して、忘れてしまいたい。
『捨てていいよ、忘れていいよ。詩歌は、僕と一緒にいれば、それでいいよ』
悠梧の言葉が優しく聞こえる。
甘美な誘惑に身を委ねて、このまま眠ってしまいたい。
『詩歌が一番欲しい穏佳は、もうすぐ来てくれるから。心配せずに、お眠り』
すぅ、と意識が薄れていく。
このまま目を瞑れば幸せになれる。
詩歌の瞼が閉じかけた、その時。
頬に確かな熱が蘇った。
「詩歌!」
弾かれるように、詩歌は目を開けた。
声が胸に刺さって、視界が揺れた。
「必ず鎖を外して、連れ戻してやる。だから、諦めるな!」
「諦める……?」
穏佳の声が、胸の中に響き渡る。
じわりじわりと、詩歌の感覚が目を醒ます。
(このまま眠ったら、僕は……死んじゃうの?)
今にも割れそうな薄氷の上に乗っているような恐怖を、ジワリと感じる。
自分が手放そうとしたモノの重さが、胸の中に滲んで怖くなった。
「穏佳……こっちに来ちゃダメ」
穏佳はどんな時だって、境界を越えそうな詩歌を現実に引き戻してくれる。
詩歌は自分の頬に触れた。
穏佳がくれた熱が、確かに肌に残っている。
「会いたいよ、穏佳。僕、穏佳が好きだよ」
穏佳に触れたい。穏佳にもっと触れてほしい。
自分だけを見詰めて、この手を握って欲しい。
詩歌の手に、悠梧が触れた。
『目を醒ましかけているね。ダメだよ、詩歌。もう詩歌は戻れない』
悠梧の手を、光が弾いた。
「え……」
小さな淡い光が、詩歌の手を包んだ。
『お兄ちゃんは、戻れるよ。穏佳さんが来るまで、僕が守るから』
聞こえた声を、詩歌は知っている。
あの日失った、もう二度と聴けない声だ。
『諦めちゃ、だめだよ。目を醒まして、お兄ちゃん』
詩歌の目から涙が溢れた。
「快心……快心……」
まだはっきりしない意識の中で、詩歌は何度も愛しい弟の名を呼んだ。
『忌々しいね。お前も所詮、詩歌にとり憑いた。僕と同じ怨霊のくせに』
悠梧が苦々しく零す。
淡い光が詩歌を包んだ。
『お兄ちゃんに触れていいのは、穏佳さんだけ』
悠梧と快心が睨み合う。
その様子を、詩歌は呆然と眺めた。
(僕が触れたいのは、穏佳だけ。穏佳を、守らなきゃ)
詩歌は自分を包む光を撫でると、その手を握った。
「諦めない。穏佳がここに来たら、一緒に戻るんだ」
涙を拭って、詩歌は悠梧を睨んだ。
『……そんな気持ちは、すぐに消えてなくなるよ。穏佳が来るのが、楽しみだね』
悠梧が、薄い笑みを乗せて詩歌を見下ろしていた。



