交換日記から始まる、僕らの恋と七不思議。

 本棚の案内パネルを確認しながら足を進める。

「あった、世界の文学」

 一番奥の本棚を見付けて、奥に踏み込んだ。
 その瞬間、穏佳の足が止まった。

 やけに空気が静まった図書室で、時が止まったような錯覚を覚える。
 しかし、穏佳が足を止めた理由は、それではない。
 誰もいるはずのない図書室に、人がいる。
 休憩のために置かれている一人掛けの椅子に腰かけて、優雅に本を読む男子生徒だ。

(いや、人じゃない。彼は、きっと……)

 穏佳たちが着ているジャケットの制服ではない。
 学ランの詰襟を首まできっちり絞めて、姿勢よく本のページを捲る。
 男子生徒が不意に顔を上げた。
 穏佳の姿を見つけて、微笑んだ。

「やぁ、君も本を探しているのかい?」

 穏やかな話声と、優しい眼差し、堂々とした佇まい。
 何より、左目に眼帯をしている。

(香原、水樹だ)

 直感的に、間違いないと思った。
 あまりにも幽霊らしくない。
 ここにいるのが当然のように違和感がないので、かえって呆気にとられた。

「本……というか。記憶の欠片を、探しているんだ。榊悠梧の、失くした欠片を」

 穏佳はあえて、探し物をはっきり伝えた。

 水樹の目が、ぴたりと止まった。
 ドキッと小さく、穏佳の心臓が跳ねた。

「……そうだね。あれは確かに、失くした記憶の一片だ」

 本を閉じ、水樹が立ち上がった。

「屋上で、俺を助けてくれたのは、君たちだね」

 水樹が穏佳に向き合った。

「助け、た?」

 屋上で起きた出来事を振り返る。
 飛び降りそうになった少年の影を、詩歌が掴まえた。
 詩歌が影と一緒に落ちていきそうで、怖かった。
 だから穏佳は、咄嗟に詩歌の腕を引っ張った。

「違う、俺は……俺が助けたのは、詩歌だ」

 ただ、詩歌を失いたくなかった。
 あの時の穏佳に、それ以上の思考も感情もなかった。

「君は、正直な人だね」

 水樹が上品にクスクスと笑んだ。

「あのまま囲われていたら、俺はまた足を滑らせて落ちる所だった。もう何十回も同じように、俺はあの場所から落ちているんだ」
「何十回も……? 足を滑らせてって……事故?」

 てっきり虐めを苦に自分から飛び降りたのかと思っていた。

(だけど……今のこの、話している感じからすると。自殺なんかするタイプには見えないな)

 笑む素振りは上品で、態度は堂々としている。
 むしろ、悠梧のほうがウジウジして、ねちっこい。

「怪異は繰り返される。輪廻のように、永遠に終わらない。僕らの魂が召されない限りね」

 水樹が真っ直ぐに穏佳を見詰めた。

「繰り返される……永遠に?」

 穏佳は、ごくりと息を飲んだ。
 七不思議を調べる者は、きっとこれまでにもいたはずだ。
 その中には、今回の穏佳や詩歌のように怪異に巻き込まれ、あの場面を目の当たりにした者もいたのだろう。

(水樹も悠梧も、魂が天に召されない限り、同じ死を繰り返して……これからも繰り返すのか。誰かが解決しない限り、ずっと)

 もしかしたら調べる者がいなくても、人知れず繰り返すのかもしれない。
 同じ痛みと恐怖を、永遠になぞり続けるのかもしれない。
 そんなのは、まるで想像すらも及ばない地獄だ。
 このままでは、自分たちもそのループに入るかもしれない。
 今は片足を突っ込んでいるのだと思うと、肝が冷える。

「屋上から落ちなかったのは、今回が初めてだ。君の気持ちがどうであれ、あの結果が俺をこの場所に導いた」

 水樹が、穏佳の手に握られた本を、指さした。

「悠梧の日記だね。欠片は、図書室が最後?」
「最後、なのか? まだ六つ目と七つ目が残っているけど」

 穏佳は悠梧の日記を見詰めた。

「悠梧には、図書室で欠片を見つけて、開かずの寮室に持ってくるように言われている」
「開かずの寮室か。今はそう、呼ばれているんだね」
 
 水樹が目を伏した。

「俺と悠梧が生活を共にした部屋。俺が死んだ後、悠梧はあの部屋で自ら命を絶った。俺を追いかけたんだ」

 ぞくっと、寒気が全身を走った。

(自殺したのは、やっぱり悠梧のほうだった)

 同じ生活空間内で悠梧が死んだのだと思うと、居た堪れない。
 ズキリと胸が軋んだ。

「悠梧は俺を追いかけ、同じように冥府に行けず現世(うつしよ)を彷徨っている。なのに、俺たちは交わらない。きっとそれが、俺たちの罪なんだ」

 伏した睫毛に見え隠れする瞳に、悲しみが滲んでいる。

(不思議だ。同じ幽霊なのに、悠梧のような禍々しさが、水樹にはない)

 屋上で詩歌に切れ端を渡した時も、美しい光がキラキラと舞い散った。
 それがこの香原水樹という人の心なのかもしれない。
 そんなことを、穏佳はぼんやりと思った。

「悠梧は、記憶を失くしていた。俺たちに欠片を集めろと頼んできたけど」
「集めては失くし、また集めては失くすんだ。結局、最後の欠片を誰も見付けられなくて、俺の代わりにして連れて帰る。それが、七番目の怪異だ」

 水樹の語り口は穏やかだ。
 だからこそ、聞けば聞くほど恐ろしい。

「探させた奴を、連れて行くのか? だから七つ目は、あんな文言なのか?」

 七不思議を調べる者は、その者が次の怪異になる。
 そう話したのは、他でもない悠梧だ。
 穏佳の問いに、水樹が頷いた。

「悠梧の記憶の欠片は、絶対に揃わない。この図書室に眠る最後の欠片は、誰にも見つけられないから」
「見つけられないって……どうして!」

 穏佳は前のめりに水樹に迫った。

「ここで、俺が見つけないと……詩歌を救えないんだ。頼む、知っていることがあるなら、教えてくれ!」

 水樹の腕を強く掴む。
 驚くでもなく、怯えるでもなく、水樹が穏佳を眺めた。

「君は、優しい人だね」

 水樹が柔らかく微笑んだ。
 あまりに綺麗に笑うから、拍子抜けして力が抜けた。

「大丈夫、君はもう見つけている」

 水樹が自分の胸に手をあてた。
 そう言われても、何一つ思い浮かばない。
 これまでの欠片は全部、詩歌が手にしてきたのだから。

「見つけているって、どこに……」
「言っただろ。屋上から落ちなかったのは、初めてだと」

 水樹の視線に、穏佳は自然と視線を絡めた。

「水樹が、欠片……?」

 微笑みを崩さずに、水樹が小さく首を傾げた。

「穏佳が詩歌を助けたから、俺は落ちずに済んだ。穏佳は、詩歌も俺も救った」

 穏佳が目を見開いた。
 掴んでいた水樹の腕を離した。

「絶対に見つけられない、図書室に隠れた記憶の欠片は、俺自身だ」
「だから……見つけられない……」

 屋上から落ちた水樹は、その後の七不思議では見つけられない。
 まるで意図して組んだような順番とロジックだ。

(悠梧が、見つけたいのに見つけられないと、言っているみたいだ)

 悠梧の心が透けて見えるようだった。
 
「五つ目の欠片を、穏佳に託す。だから、俺を悠梧の元に連れて行って」

 水樹の体が淡い光に包まれる。
 輪郭が空気に溶け始めた。

「悲しい輪廻を一緒に終わらせて。俺に悠梧を救う機会をくれ、穏佳」

 水樹が光に溶けて、消えていく。
 何もできなくて、どうするのが正解かもわからなくて、穏佳は叫んだ。

「俺が絶対に届ける。水樹と悠梧を引き合わせるから、託してくれ!」

 向こうの景色が透けるほどに溶けた水樹が、薄く笑んだ。

「ありがとう……穏佳で良かった」
 
 言葉が遠くなり、光と共に空気に溶けた。

 ――パタン

 乾いた音が、足下に響いた。
 一冊の本が、落ちていた。

「これは……日記帳?」

 悠梧の日記と同じようなデザインの、ハードカバーの日記帳だ。
 穏佳は手に取ると、ページを捲った。

『四月七日
 今日から新しい生活が始まる。
 明倫高校での最初の一日だ。寮の同室は、榊悠梧といった。
 青い瞳が印象的で、一気に引き込まれた。
 話してみると気の良い少年で、益々好印象だ。
 三年間、ルームメイトとして仲良くやっていけそうだ』

 日記は、入寮初日から始まっていた。

「……水樹の日記か。確かに、水樹自身だな」

 ちらりと悠梧の日記を流し見る。
 穏佳は、さらにページを捲った。

『悠梧は気持ちを言葉にするのが苦手なようだ。
 文字でなら、気持ちを表現できるのだそうだ。
 だから、互いの気持ちをノートに書いて交換することにした。
 毎日の楽しみが増えた』

『悠梧の無口な性格は、クラスで誤解を生んだようだ。
 その容姿が周囲と悠梧の交流の妨げになっている。
 あんなに綺麗な青い瞳と赤い髪が何故、嫌がられるのだろう。
 よく話を聴けば、気の優しい少年だとわかってもらえるのに。
 何とか仲介できないものだろうか』

『どうやら、やりすぎてしまったようだ。
 彼らの反感が俺に向いた。
 それなら、それでいい。きっと、あの悪辣な行為に悠梧は耐えられない。
 俺が流して耐えれば、時期に飽きるだろう』

(あぁ……そういうことだったのか)

 七不思議を辿ってきた今なら、この日記の意味が痛いほど理解できる。
 日記帳の中に、同じ大きさの薄い大学ノートが挟まっていた。
 開いてみると、それは水樹と悠梧の交換日記だった。
 文字を追っていた穏佳の目が、一点でとまった。

『大好きだよ、水樹。いなくならないで。
 僕を置いていかないで。一人にしないで。
 ごめん、全部僕のせいだ。だから、水樹を追いかける』

 その言葉を最後に、日記は途絶えていた。

「大馬鹿野郎」

 穏佳の口から、悔しい嘆きが小さく零れた。
 手に持った悠梧の日記が、じんわりと熱を発していた。