交換日記から始まる、僕らの恋と七不思議。

 旧校舎の中央階段を上り切ると、扉があった。
 扉には大きく赤字で『立入禁止』と書かれた札が貼ってある。
 ドアノブには、鎖がまかれて南京錠が掛けられていたのだろう。
 それらは外れて床に落ちている。悠梧の仕業だろうと思った。

「この扉、変だね」

 怪異とは別に、この扉は違和感だ。
 木製の扉も、壁の建付けも後から取って付けたようで、簡易すぎる。
 詩歌が壁を叩くと、ボコボコと軽い音がした。

「踊り場に、部屋でもあるのか? 屋上の扉の、前室?」

 首を傾げながら、穏佳がドアノブに手をかける。
 穏佳の手を強く握る。詩歌は息を飲んで扉が開くのを見守った。

「開けるぞ」

 穏佳が思い切って扉を開ける。
 何もない狭い空間の向こうに、鉄の扉があった。
 紅いペンキで直に書かれた『立入禁止』の文字は、大きすぎて扉から壁まではみ出している。
 足下には、やはり鎖と南京錠が落ちている。鎖の量も南京錠の数も三倍だ。

「まるで、封印しているみたい」

 隠して抑え込んでいる。
 そんな印象を受けた。

「手前の扉と壁は、この文字や扉を隠すためって感じだな」

 穏佳が、ごくりと息を飲む。
 明らかに異質な空気が、詩歌の肌をビリビリと刺激した。
 穏佳の手が、重い扉のノブを握った。

「行くぞ。絶対に一人で飛び出すなよ」
「うん」

 頷いた詩歌を確認して、穏佳がドアノブを捻る。
 扉に手を添えて、穏佳と一緒に詩歌も、重い扉を体で押した。

「あっ!」

 開いた扉は、そのまま風に持っていかれた。
 屋上から見える空には稲光が走る。
 横殴りの雨と、激しい風が視界を遮る。
 
「さっきまで、曇り空だったのに」

 雨風が激しくて、立っているものやっとだ。
 穏佳が、握った手を引き寄せて詩歌の小さな体を抱えた。

 ピカッと空が光るのに遅れて、雷鳴が轟く。
 稲光に照らされて、影が見えた。
 屋上の縁に、人が立っている。

「人影……大講堂や理科室にいたのと、同じか?」
「え……?」

 穏佳の呟きに、詩歌は小さく疑問の声を上げた。

(穏佳には、影に見えるの? 僕には、人に見える。あれは……)

 知らない人だ。けれど、影ではない。
 悠梧と同じ制服を着た、少年だ。
 左目に、眼帯をしている。

(理科準備室で、目に怪我をした人かな。悠梧の大切な友人)

 悠梧の身代わりに、虐めを受けていた人かもしれない。
 男子学生は、屋上の縁をフラフラと歩いていた。

「歩いてる……ちがう。踊っている?」

 ふわりふらりと、踊っているように見える。

「屋上の、踊り子か」
 
 穏佳が呟いたのと同時に、周囲に人影が現れた。
 大講堂で見たのと同じような大勢の人影だ。
 影は、縁に立つ少年に迫る。
 人影が迫るたび、少年はふらりと逃げる。
 逃げた側にまた人影が迫り、また少年がふらりと逃げた。

「……追い詰められてる?」
 
 詩歌は呟いた。
 大講堂でたくさんの人影に囲まれて耐えていた小さな影のように、屋上の縁に昇らされて大勢に追い詰められている。
 その姿がまるで踊っているように見えた。

 穏佳が大勢の人影と少年を凝視した。

「まさか、このまま落ちる気じゃ……」

 男子学生の足が雨で滑った。
 体が外側に傾く。

「危ない!」

 身を乗り出した穏佳より早く、詩歌は駆け出していた。
 穏佳と同じ直感が、詩歌の頭を過った。

(踊っているんじゃなくて、本当は自分から身を投げた場所だったら……)

 この場面はきっと、何百年も昔に過ぎ去った出来事だ。
 今更、詩歌にどうにかできるわけではない。
 わかっていても、手を伸ばさずにはいられなかった。

「落ちちゃダメ! 絶対にダメ!」

 詩歌の手が、大勢の人影をかき分けた。
 影が千切れて、粉々に霧散する。
 縁に昇った少年が、詩歌を振り返った。
 その顔を見詰めて、詩歌は息を詰まらせた。

「快心……」

 少年の顔が、今は亡き弟と重なって見えた。
 詩歌の手が、少年の腕を掴んだ。

『お兄ちゃん』

 快心が詩歌を見詰めて、笑った。
 詩歌の目に涙が滲んだ。

「どうして、笑うの? 僕は快心を助けられなかったのに。探しにすら、行かなかったのに」

 快心の手が、詩歌の腕を掴み返した。
 強く引っ張られて、体が傾く。
 快心が縁を蹴って、向こう側に飛び降りた。

「え……」

 快心の腕に引っ張られて、詩歌の体が一緒に落ちる。

『一緒に逝こう、お兄ちゃん』
「快心……」
『お兄ちゃんが一緒なら、寂しくないよ』

 詩歌の腕が快心に伸びる。
 その腕を、穏佳が握った。

「行くな、詩歌!」

 詩歌の体が、後ろにがくりと傾いた。
 穏佳の胸に倒れ込んだ。

「何やってんだ、馬鹿!」

 頭の上で、穏佳が怒鳴った。

「穏佳……」

 穏佳の顔と声が、とても怒っていた。
 その顔を、ぼんやりと眺めた。
 詩歌の手は、無意識に穏佳の手を探していた。
 握った瞬間、穏佳の手の温もりが、やけにリアルに感じられた。
 急に体が震え出して、怖さが胸から溢れた。

『一緒には来てくれないんだね』

 縁に立った快心が、詩歌に向かって苦笑した。
 その顔はやけに大人びて、詩歌の知っている快心ではない。

(そうだ。快心は六歳の時に……高校生のはず、ないんだ)

 成長した快心の姿も顔も、詩歌は見られなかった。
 だから、高校生の姿は知らないのに。
 それでも詩歌には、その少年が快心にしか見えなかった。

「ごめん、行けない。僕はこっちで穏佳と生きたいから」

 詩歌は、穏佳の手をしっかりと握り直した。
 穏佳の手が詩歌の手を強く握り、肩を抱いた。
 少年に向き合い、詩歌は手を伸ばした。

「君に起きたこと、僕らは忘れない。悠梧の欠片を、僕にちょうだい」

 少年の姿が、蜃気楼のように揺らめいた。

『悠梧……そうか、俺の親友は、そういう名だった。思い出させてくれて、ありがとう』

 少年が、詩歌の手を握った。
 瞬間、少年の姿が淡く光を灯すと、パァンと弾けた。
 キラキラと美しい光が、辺り一面を照らした。
 
 いつの間にか雨が上がっていた。
 所々にできた水溜まりに反射した光が煌めいた。

 詩歌の手には、丸まった紙が握られていた。
 その紙を開く。

香原(かはら)水樹(みずき)

 詩歌と穏佳は、その名前を見詰めた。

「さっきの少年と、大講堂で蹲っていた小さな影。それに、理科準備室も、香原水樹だったんだな」
「きっと、そうだね」

 詩歌と穏佳の目の前で、本のページがパラパラと開く。
 欠けたページに、名前の切れ端がくっ付いて、ページが完成した。

『水樹……僕が誰より失いたくなかった、大切にしたかった……水樹』

 文字が、いつになく揺れて歪んでいる。
 詩歌は不安になった。

『僕は、君を犠牲にした。許されない……絶対に』

 そう記されてすぐ、本が閉じた。

「悠梧……悠梧! ダメだよ、一人で閉じこもらないで、返事して!」

 詩歌の手の中に落ちてきた本を開こうとするも、開けない。
 ハードカバーの表紙に指を引っ掛け、強く引っ張る。
 しかし、本はピクリとも動かなかった。