交換日記から始まる、僕らの恋と七不思議。

 詩歌は窓から外を眺めていた。
 どんより重い雲が垂れ込む空は、今にも泣き出しそうだ。
 まるで詩歌の心みたいだった。

 詩歌は、机の上の本に視線を向けた。
 七不思議を辿って悠梧の欠片を探し始めてから、心がずっとザワザワしている。

(まるで僕の心の欠片を探しているみたいだ)

 交換日記みたいなつもりで気軽に始めた会話が、こんなことになるとは思わなかった。
 
(けど、関わって良かった。僕もちゃんと向き合わなきゃ)

 悠梧とも快心とも、向き合うべきなのだと思った。

 昨日の理科準備室以来、本は沈黙している。
 取り戻した記憶は悠梧にとってショックが大きかったのかもしれない。
 悠梧の身代わりになって友人が虐められていたのだとしたら、塞ぎ込みたくもなる。

「でも……だからこそ悠梧は、七不思議を作ったんだよね」

 あの時、助けられなかった友人を忘れないために。
 その気持ちは、詩歌には痛いほどわかる。

「僕も、忘れちゃいけない人がいるから、わかるよ」

 詩歌は本の表紙を、そっと撫でた。

「詩歌、アイス食べるか?」

 寮の部屋に、穏佳が戻ってきた。
 手にはバニラの棒付きアイスを二つ、持っている。

「いいの? 嬉しい」

 アイスを受け取って、ぱくりとかぶりつく。
 詩歌を眺めていた穏佳が微妙に目を逸らした。

「今日は蒸し暑いからな」

 Tシャツの襟をパタパタしながら、穏佳がアイスを咥えた。

「今日、お休みだけど、旧校舎に入れるの?」

 今日は土曜日だから、学校は休みだ。
 
「部活があるから、施錠はされていないそうだ」
「あ、そっか。旧校舎に部室がある部活、結構あるもんね」

 部室を持たない部活や同好会が、旧校舎の空き教室を使っている。
 
「屋上は流石に鍵がかかっているだろうけど、悠梧が開けてくれるだろ」

 穏佳が、ちらりと机の上の本を流し見た。

「それより問題は、天気か」

 穏佳が窓の外を眺めた。
 今日は七不思議の四つ目、屋上の踊り子を確認しに行く予定だ。
 しかし、空を覆う灰色の雲は、いつ雨粒を落としてもおかしくないほど垂れ込めている。

「雨だと屋上は辛いね」
「聞いてみるか」

 穏佳が立ち上がり、詩歌の机から交換日記を持ってきた。
 本を開き、穏佳が文字を書き込んだ。

「雨になりそうだから、日を改めたい。今日は学校も休みだし、月曜にしないか」

 すぐに文字が浮かび上がった。

『ダメだよ。今すぐ屋上に行って。そういう約束だよ』
「そんなに急ぐのか? 心配しなくても、途中でやめたりしない。無理に今日でなくても……」

 さっと、部屋の温度が下がった。
 冷たい風が、詩歌の耳元を掠めた。
 穏佳がペンを止めた。

『今日、行かないなら……』

 詩歌の肩に、ひやりとした何かが乗ったのを感じた。

「え……」

 人の手が、詩歌の肩を抱いていた。

『君たちを僕と同じにする。今すぐ七つ目の七不思議になって、僕と闇を彷徨うんだ』

 体が動かない。
 口も動かないし、言葉も発せない。
 穏佳が強張った顔で詩歌を見詰めた。
 ポケットから御守りを取り出して、穏佳が詩歌の手を握った。

「させない。そういうつもりなら、お参りして、御守りをもっと……わっ!」

 稲妻のような光が走って、穏佳の手を弾いた。

(穏佳! 穏佳が、怪我しちゃう……やめて、悠梧。穏佳に怪我をさせないで)

 言葉は声にならないまま、締まった喉の奥に留まった。

『好きにしていいよ。参拝も御守りも、詩歌には意味がない。詩歌は初めから、こちら側。境界を越えられる子だから』

 一瞬、意味が解らなかった。

(こちら側って、どういう意味? 僕は幽霊になるの?)

 そう思った途端に、ぞっとした寒気が背筋を走った。
 本に浮かび上がった文字を、穏佳が悔しそうに眺めた。

「……今日、屋上に行けば、詩歌を連れて行かないんだな」

 さらりと緩い風が吹いて、部屋の温度が少し、戻った。

『連れて行かない。詩歌には僕の欠片を見つけてほしいからね』
『守りたいなら、穏佳は詩歌から離れないで』

 穏佳が、ごくりと息を飲んだ。
 御守りをポケットに仕舞うと、詩歌の手を握った。
 今度は弾かれなかった。

「あ……」

 詩歌の体から力が抜けた。
 締まった喉が開いて、浅かった呼吸が戻る。
 傾いた体を、穏佳が支えた。

「大丈夫か、詩歌」
「うん……」

 詩歌は、本に視線を向けた。

(話ができるし、時々は協力的だから意識していなかったけど……悠梧も怪異なんだ)

 昔は人だった、今は人でない者。
 人のような感性があり会話ができるせいで、忘れかけていた。
 榊悠梧は七不思議を作った怪異そのものだということを。
 
 また本に文字が浮かび上がった。

『そんなに詩歌が大事なら、命に代えても守って見せてよ。詩歌を守り切れると、穏佳が僕に証明してみせて』

 それは明らかに穏佳に向けた言葉だ。
 挑発しているようにも読める。

「当然だ。お前にだけは、絶対に渡さない」

 穏佳が迷いなく返事した。
 あまりの迷いのなさが怖くて、詩歌は穏佳の手を引いた。

「やめてよ、嫌だよ。命に代えてもなんて、僕は嫌だ!」

 大声で叫んだ詩歌を、穏佳が驚いた顔で見詰めた。

「命を捨てる気なんかない。俺は詩歌と卒業まで、ルームメイトでいたいから」

 穏佳が詩歌の肩を掴んで、抱き寄せた。
 ふわりと、穏佳の香りが鼻腔を擽った。

(あ……温かい)

 肩に乗っていた冷たい感触が消えていくみたいだ。
 詩歌の中に凝り固まった感情が、解けていく。

「だから、泣くな。俺はいなくなったりしないから」

 穏佳に言われて、泣いていたのだと気が付いた。

(そっか、穏佳はいなくならないんだ。僕の手を、ずっと握っていてくれるんだ)

 穏佳の言葉が、自然と胸に沁み込む。
 
「うん……」

 穏佳が温かくて、心地良い。
 詩歌は穏佳の胸に体を添わせた。
 穏佳の肩が、ビクンと跳ねた。

(穏佳の心臓、速い。ドキドキしているから、温かいのかな)

 穏佳の柔らかな温もりが、詩歌をいつもの心に戻してくれる。
 寄り添う詩歌を、穏佳が何も言わずに抱いていてくれた。