トイレに行って気づいたのだが、さっきのラテがシャツの袖にも飛び散っていた。私立高校の制服は安くない。洗濯するにしても、少しでも汚れを落としておいた方がいいだろう。
ジャー、と水を流しながら理央のことを思い出す。
親友? 違うだろ。おれは理央を裏切った。心配してくれるアイツの厚意を「もう会わない」「連絡してくるな」と切り捨てた最低な人間だ。今更どんな面(つら)で親友なんて言えるんだよ?
口の中がしょっぱい。
変だな、ポテトもバーガーも食べてないのに。
ちがう。涙だ。止まらない。
「朔。大丈夫?」
気がつくと横に理央が立っていた。おれは慌てて目元を拭う。
「い、いきなり現れるなよ。びっくりするだろ」
「……ごめん。心配で」
妙にしおらしい。だけど動く気配はない。
早くこの場を立ち去りたいけど、まだ汚れは落ちきってないので更に洗った方が良さそうだ。無言だと気まずいので必死に話題を探した。
「理央、学校は楽しいか? あんなに行きたがってたもんな」
「まぁまぁ……かな。そっちは?」
「うちか? えーと、思ったより大変かも。テストが多いから勉強しなくちゃだし、校則や決まりごとが多くて窮屈に感じることも多い。でも校舎はキレイで設備も充実してる、食堂のメシも美味いよ」
私立だけあって最新のものが揃えられ、必要なものはなんでも手に入る。冷房がきいた教室は快適で過ごしやすいけど、中学のボロい校舎で理央と手で扇ぎ合った夏が懐かしくなった。
でも学校中を探しても理央はいないのだ。
「朔は……彼女、できた?」
こつん、と肩がぶつかってきた。
「さっきの子、山田なんとかだっけ」
「彼女? ないない。非モテなのは相変わらずだよ。山田さんは全く関係ない」
「……そっか、よかった」
真っ直ぐな瞳がおれを見つめている。
心の内側まで読まれているような気がして怖くなったけど、同時に胸の奥が満たされていく感覚もあった。また理央とこんな風に話せる日が来るとは思わなかった。
「理央はどうせ西高でもモテるんだろう。彼女できたか?」
中学の時からモテ期に入っていた理央。また一段と背が伸びたみたいで、おれと違って腰のベルトの位置も高いし、手足も長い。イケメン王子として山田さんたちが噂するのも納得だ。
「彼女なんていないよ。全部断ってる。俺の見た目だけで付き合いたいって告白してくるヤツなんて信じられないから」
「あれ中学の頃は女の子に興味ないって断ってなかったか?」
「単に付き合うのか面倒だっただけ。朔と遊ぶ時間が減るじゃん」
そういうもんか、と思いながら水を止めた。まだうっすら汚れが残っているけど洗濯すればなんとかなるだろう。
「クラスはみんな仲良いし、須藤みたいな友だちもいる。……でも、つまらないよ。朔がいないから」
胸が重くなった。
おれが合格すればいまも理央と毎日一緒にいられたはずなんだ。クラスが違っても一緒に登下校しただろうし、同じ部活に入ったかもしれない。……全部おれのせいだ。理央は絶対に責めないだろうけど、だからこそ腹が立つ。自分の不甲斐なさに。
「ごめん。おれが入試でもっと頑張れば……」
「ちがうよ。そんなこと一ミリも思ってない。思うはずがない。でも、俺にも想いがある」
ぐいっと腕を掴んで自分の側へ引き寄せた。
さらりと揺れる前髪の奥で、獣のような強い瞳がおれを捉えている。
「さっきも思ったけど朔って意外と華奢だったんだな。手首、細い」
握られた手が、伝わってくる体温が、痛いくらいに熱い。
「は、はなせ、よ」
「イヤだ。カバン持ってそのまま消えるつもりだったんだろ。離したらまた会えなくなる」
長い腕を伸ばしておれの髪に触れてきた。
中学の時みたいにグリグリと掻き混ぜられるのかと身構えたが、何故か今日は軽く握り締め、慈しむように撫でてくる。こんなふうに扱われるのは初めてだった。
「――――会いたかった、会いたくてたまらなかった。朔」
泣きそうな声でおれの名前を呼ぶ。
もう会わない、と決めた気持ちがぐらぐらと揺れる。おれだって本当は会いたかった。会って色んな話をしたかった。でも、できなかったんだ。
「朔、来週またここで会えないか? 俺は部活やってないからいつでも空けられるし」
「でも……」
約束をしたら理央を縛ってしまう。本命だった桜が丘西に合格した理央の時間を。
「ウン、って言って。じゃないと俺、自分でも何するか分からない――」
首の後ろにするっと手を差し込まれ、強引に上向きにされる。
なぜか唇に視線が吸い寄せられた。顔が近づく。吐息がかかるほど近くに。
「ちょっと待て、冗談はやめ――……」
ぎゅっと目をつぶった直後、
「おーい、天宮! 大丈夫か!? 倒れてたりしないか!?」
杉本の良く通る声がした。
慌てて離れようとするが手首を掴んだ指が離れない。駆け込んできた杉本は状況を見てギョッとしたものの、申し訳なさそうにスマホを示す。
「取り込み中のところ悪い。オレ顧問の先生に呼ばれたから寮に帰らなくちゃいけないんだ。山田さんはまだいるって言うけど……」
助かった。
「じゃあおれも一緒に帰……」
と動こうとしたが、
「まだ返事聞いてない」
と理央が力を込めてきた。コイツ、こんなに意地っ張りだったか。
「分かった、分かったよ! じゃあ来週の木曜日。それでいいだろ」
「――やった、約束だからね!」
パッと顔色が明るくなった。と同時に手を解放される。
さっきまで真面目な顔していたくせに次の瞬間には子どもみたいに無邪気に笑うところ、全然変わってない。
「あとは山田さんと仲良く話してくれ。じゃあな」
カバンを担いで走り出そうとすると、後ろからぎゅっと腕を回された。
「また連絡する。――もし来なかったら学校まで迎えに行くから」
吐息とともに囁きかけられる。
「からかうなよ!」
乱暴に突き飛ばして走り出した。
理央は手を振っている。おれの姿が見えなくなるまでずっと。
駅までは全力疾走で約二分。発車一分前の電車になんとか駆け込み、席に着いたところで急に心臓がばくばくしてきた。
おれ、理央に会ったんだ。半年ぶりに。
会って、話して、次の約束をした。
アイツに握られた手首がヒリヒリと痛む。指の形まではっきりと思い出せるほどに。
「天宮、良かったのか? 親友くんと……」
「へーきへーき。アイツとはなんでもないから」
なんでもない。自分で言って、ようやく冷静になった。
そうだ。おれたちは同じ中学出身の『元親友』でしかない。
だってこれからも別々の高校のまま別々の人生を歩んでいくのだから。
ジャー、と水を流しながら理央のことを思い出す。
親友? 違うだろ。おれは理央を裏切った。心配してくれるアイツの厚意を「もう会わない」「連絡してくるな」と切り捨てた最低な人間だ。今更どんな面(つら)で親友なんて言えるんだよ?
口の中がしょっぱい。
変だな、ポテトもバーガーも食べてないのに。
ちがう。涙だ。止まらない。
「朔。大丈夫?」
気がつくと横に理央が立っていた。おれは慌てて目元を拭う。
「い、いきなり現れるなよ。びっくりするだろ」
「……ごめん。心配で」
妙にしおらしい。だけど動く気配はない。
早くこの場を立ち去りたいけど、まだ汚れは落ちきってないので更に洗った方が良さそうだ。無言だと気まずいので必死に話題を探した。
「理央、学校は楽しいか? あんなに行きたがってたもんな」
「まぁまぁ……かな。そっちは?」
「うちか? えーと、思ったより大変かも。テストが多いから勉強しなくちゃだし、校則や決まりごとが多くて窮屈に感じることも多い。でも校舎はキレイで設備も充実してる、食堂のメシも美味いよ」
私立だけあって最新のものが揃えられ、必要なものはなんでも手に入る。冷房がきいた教室は快適で過ごしやすいけど、中学のボロい校舎で理央と手で扇ぎ合った夏が懐かしくなった。
でも学校中を探しても理央はいないのだ。
「朔は……彼女、できた?」
こつん、と肩がぶつかってきた。
「さっきの子、山田なんとかだっけ」
「彼女? ないない。非モテなのは相変わらずだよ。山田さんは全く関係ない」
「……そっか、よかった」
真っ直ぐな瞳がおれを見つめている。
心の内側まで読まれているような気がして怖くなったけど、同時に胸の奥が満たされていく感覚もあった。また理央とこんな風に話せる日が来るとは思わなかった。
「理央はどうせ西高でもモテるんだろう。彼女できたか?」
中学の時からモテ期に入っていた理央。また一段と背が伸びたみたいで、おれと違って腰のベルトの位置も高いし、手足も長い。イケメン王子として山田さんたちが噂するのも納得だ。
「彼女なんていないよ。全部断ってる。俺の見た目だけで付き合いたいって告白してくるヤツなんて信じられないから」
「あれ中学の頃は女の子に興味ないって断ってなかったか?」
「単に付き合うのか面倒だっただけ。朔と遊ぶ時間が減るじゃん」
そういうもんか、と思いながら水を止めた。まだうっすら汚れが残っているけど洗濯すればなんとかなるだろう。
「クラスはみんな仲良いし、須藤みたいな友だちもいる。……でも、つまらないよ。朔がいないから」
胸が重くなった。
おれが合格すればいまも理央と毎日一緒にいられたはずなんだ。クラスが違っても一緒に登下校しただろうし、同じ部活に入ったかもしれない。……全部おれのせいだ。理央は絶対に責めないだろうけど、だからこそ腹が立つ。自分の不甲斐なさに。
「ごめん。おれが入試でもっと頑張れば……」
「ちがうよ。そんなこと一ミリも思ってない。思うはずがない。でも、俺にも想いがある」
ぐいっと腕を掴んで自分の側へ引き寄せた。
さらりと揺れる前髪の奥で、獣のような強い瞳がおれを捉えている。
「さっきも思ったけど朔って意外と華奢だったんだな。手首、細い」
握られた手が、伝わってくる体温が、痛いくらいに熱い。
「は、はなせ、よ」
「イヤだ。カバン持ってそのまま消えるつもりだったんだろ。離したらまた会えなくなる」
長い腕を伸ばしておれの髪に触れてきた。
中学の時みたいにグリグリと掻き混ぜられるのかと身構えたが、何故か今日は軽く握り締め、慈しむように撫でてくる。こんなふうに扱われるのは初めてだった。
「――――会いたかった、会いたくてたまらなかった。朔」
泣きそうな声でおれの名前を呼ぶ。
もう会わない、と決めた気持ちがぐらぐらと揺れる。おれだって本当は会いたかった。会って色んな話をしたかった。でも、できなかったんだ。
「朔、来週またここで会えないか? 俺は部活やってないからいつでも空けられるし」
「でも……」
約束をしたら理央を縛ってしまう。本命だった桜が丘西に合格した理央の時間を。
「ウン、って言って。じゃないと俺、自分でも何するか分からない――」
首の後ろにするっと手を差し込まれ、強引に上向きにされる。
なぜか唇に視線が吸い寄せられた。顔が近づく。吐息がかかるほど近くに。
「ちょっと待て、冗談はやめ――……」
ぎゅっと目をつぶった直後、
「おーい、天宮! 大丈夫か!? 倒れてたりしないか!?」
杉本の良く通る声がした。
慌てて離れようとするが手首を掴んだ指が離れない。駆け込んできた杉本は状況を見てギョッとしたものの、申し訳なさそうにスマホを示す。
「取り込み中のところ悪い。オレ顧問の先生に呼ばれたから寮に帰らなくちゃいけないんだ。山田さんはまだいるって言うけど……」
助かった。
「じゃあおれも一緒に帰……」
と動こうとしたが、
「まだ返事聞いてない」
と理央が力を込めてきた。コイツ、こんなに意地っ張りだったか。
「分かった、分かったよ! じゃあ来週の木曜日。それでいいだろ」
「――やった、約束だからね!」
パッと顔色が明るくなった。と同時に手を解放される。
さっきまで真面目な顔していたくせに次の瞬間には子どもみたいに無邪気に笑うところ、全然変わってない。
「あとは山田さんと仲良く話してくれ。じゃあな」
カバンを担いで走り出そうとすると、後ろからぎゅっと腕を回された。
「また連絡する。――もし来なかったら学校まで迎えに行くから」
吐息とともに囁きかけられる。
「からかうなよ!」
乱暴に突き飛ばして走り出した。
理央は手を振っている。おれの姿が見えなくなるまでずっと。
駅までは全力疾走で約二分。発車一分前の電車になんとか駆け込み、席に着いたところで急に心臓がばくばくしてきた。
おれ、理央に会ったんだ。半年ぶりに。
会って、話して、次の約束をした。
アイツに握られた手首がヒリヒリと痛む。指の形まではっきりと思い出せるほどに。
「天宮、良かったのか? 親友くんと……」
「へーきへーき。アイツとはなんでもないから」
なんでもない。自分で言って、ようやく冷静になった。
そうだ。おれたちは同じ中学出身の『元親友』でしかない。
だってこれからも別々の高校のまま別々の人生を歩んでいくのだから。
