「五十嵐、本気で言ってるのか? 前代未聞だぞ」
腕組みした岩田先生は苛立ちを隠しきれないようだった。
合格発表の翌日、俺は卒業したばかりの中学校を訪れていた。進路について相談するためだ。
最初に俺の顔を見た時は「合格おめでとう!」と盛大に拍手してくれた担任の岩田先生も、進路指導室で話し始めると次第に顔を強ばらせていった。角刈りで強面のため怖い先生だと思われがちだが、生徒の悩みには親身になって相談に乗ってくれる。だから俺の話もすんなり受け入れてくれると思ったけど事態は思ったより深刻らしい。
「せっかく合格した公立を辞退して滑り止めの私立に行く? なんのために? あんなに桜が丘西に行きたがってたじゃないか」
苛立ちが貧乏ゆすりになって現れる。
先生の考えてることは良くも悪くも態度に出るから分かりやすい。
「俺そんなにおかしいことを言ってますか? ネットでも事例があるって書かれてましたけど」
世の中には何百万人と受験生がいるのだから一人ぐらいそういう人間がいてもおかしくないと思っていた。調べると募集要項にもちゃんと記載されていたし、ネットで検索するとわずかだけど辞退した人の話もヒットした。
先生はバツが悪そうに頬を掻いた。
「たしかに、全くいないとは言えないな。病気やケガ、家庭の事情でやむをえず辞退する生徒は稀にいる。だが我が校では初だ。せっかく合格した公立を『特別な理由』がなく辞退したら高校に対して申し訳が立たないし、来年以降後輩たちに影響する可能性がある。おまえだけじゃなく学校全体の問題になるんだ。それだけ重要なものなんだよ、これは」
机の上にあった白紙の『合格辞退届』をパシパシと叩いた。
たった1枚の紙きれ。それで人生が決まってしまうのだ。
「親御さんには辞退するってちゃんと話したのか?」
「はい。昨日話しました。両親ともびっくりしていたけど、まずは岩田先生に相談してみろと言われたので朝イチで来たんです。母はいま駐車場の車の中で待ってます。自分が一緒に行くと感情的になってしまいそうだから話がついたら呼ぶよう言われました」
「……そうか」
椅子にもたれて天井を見上げる先生。眉間には深い皺が刻まれ、苦悩している様子が分かる。
窓の外にある桜の木の蕾がほころんでいる。サクラサク。本来喜ぶべきことが俺の未来を阻む壁になるとは思わなかった。
「――もしかして天宮のことか?」
びくっと肩が震えた。先生は俺の目をじっと見ている。言い返せない。
「図星って顔だな。天宮から何か聞いたのか?」
「……不合格だったって。俺、自分が受かったことで舞い上がって電話しちゃったんです。今考えると無神経だったと思います」
――『ごめん、理央。本当にごめん……全部おれが悪いんだ……もう電話かけてこないで欲しい……つらい』
あんな苦しそうな声は初めて聞いた。俺が追い詰めてしまったんだ。
「二人は日頃から仲が良かったよな。高校でも一緒にいたい気持ちも理解できる。……だが、五十嵐が合格を蹴ったと知って天宮は喜ぶか?」
「それは……」
言葉が続かない。俺は、俺は、そればかり考えて朔の立場を考えてなかった。
先生はなおも俺を追い詰める。
「中学時代の友人は大事だ。だが高校に入ったらもっと特別な存在ができるかも……とは考えられないか? 中学っていうのは良くも悪くも閉じた環境だ。高校生になったらできることも増えるし、人間関係も広がる。いつまでも中学の関係を引っ張るのは良くないんじゃないか? 天宮だってそう思っているはずだ」
朔の名前を出されると決意が揺さぶられる。高校生になったら朔以上の『親友』が見つかるかもしれない、と頭のどこかで期待してしまう。この息苦しい状態から逃げ出す道を探してしまう。
俺の覚悟ってその程度だったのか? 朔と一緒にいたい気持ちは一時的な迷い?……分からない。
少なくともいま岩田先生や両親を説得しきるだけの確固たる思いがなかった。
「ハッキリ言う。天宮のことは諦めろ」
力強く肩を叩かれた。
「この辛さを乗り越えることで五十嵐は人間的にも大きく成長できる。しばらくはしんどいだろうが、いつか笑って天宮と話せる日が来るさ。な?」
先生はレールに乗って欲しいのだ。桜が丘西へと続く一本のレール。先生や両親はその脇で祝福している。でも朔はいない。朔のレールと交わることはない。
俺は、どうしたいんだろう。
俺の願いはなんだろう。
なぁ、朔。俺はどうしたらいいんだ?
――『理央、おまえ高校どこにすんの? おれは桜が丘西気になってるんだけどオープンスクール行ってみないか?』
――『決めた。おれ桜が丘西にする。理央は?……同じ? なんだよ真似すんなよ』
――『西高のピンクのネクタイ、理央なら似合いそうだよな。おれ? ないない。でも、お揃いでつけられたらいいよな。写真いっぱいとってさ』
――『今週末の入試、絶対合格しような。おれも理央と一緒に通えるように頑張るから合格したらフードコートで乾杯しようぜ。お互いの好きなもの奢るのはどうだ?』
――『いけないよ、理央。何回サイトにログインしなおしても、画面更新しても、『不合格』の結果が変わらないんだ。……いけないんだ、理央、同じ高校……けない、おれ……――ごめん』
「五十嵐? どうした、大丈夫か?」
気がつくと涙があふれていた。
昨日、朔と電話した時からずっと泣けなかったのに、今になって神経回路がつながったみたいに止められない。
「……先生。俺、桜が丘西にいきます」
朔の望みを叶えるためにも、俺は目の前にある道を進むしかないのだ。
「そうか。うん、それでいい。西高でも頑張れよ、応援してる」
先生はもう一度肩を叩いてくれた。後戻りはできないとでも言うように、強く。
※ ※ ※
「あの日、俺は朔との未来を諦めたんだ。朔が行きたがっていた高校に自分だけでも行くべきだって納得して進学したつもりだったんだけど……つまらなかったよ、朔がいない毎日は」
背もたれに体を預けて天を仰いだ。前髪がさらりと流れて、太陽の光を反射する。
「友だちもできたし、流されるまま彼女も作ったのに心の中の一番深いところが冷たいままなんだ。何を見ても何を食べても薄っぺらく感じる。食欲もなくなって、心配した母親に病院に連れていかれたくらい」
人生初の点滴打たれてちょー痛かった、と笑いながらさっき買ったポテトを頬張った。
「それでも朔のことを考える時間だけは元気になれたから、気晴らしを兼ねて朔に会えそうな場所を歩き回ったんだよ。須藤は文句ひとつ言わず付き合ってくれて有難かった。で、このフードコートで今みたいに食べてた時、夏祭りの屋台で朔と食べたクソまずい焼きそばの話をしていたらなんか涙でてきて、その時言われたんだ。『好きなんだね』って。最初はびっくりしたけど、どうしても解けなかった問題に百点満点の回答をもらった気がした。――あぁ俺は朔が好きなんだって」
おれの左手に理央が右手を重ねてきた。指と指の間が絡み合い、恋人つなぎになる。
どきどきと心拍数が上がるのを感じながら目線を上げると、すぐそこに理央の整った顔があった。
「好きだよ、朔。何でも美味しそうに食べるところも、人前でハグすると恥ずかしそうにするところも、涙もろいところも全部好き。今すぐキスしたい」
腕組みした岩田先生は苛立ちを隠しきれないようだった。
合格発表の翌日、俺は卒業したばかりの中学校を訪れていた。進路について相談するためだ。
最初に俺の顔を見た時は「合格おめでとう!」と盛大に拍手してくれた担任の岩田先生も、進路指導室で話し始めると次第に顔を強ばらせていった。角刈りで強面のため怖い先生だと思われがちだが、生徒の悩みには親身になって相談に乗ってくれる。だから俺の話もすんなり受け入れてくれると思ったけど事態は思ったより深刻らしい。
「せっかく合格した公立を辞退して滑り止めの私立に行く? なんのために? あんなに桜が丘西に行きたがってたじゃないか」
苛立ちが貧乏ゆすりになって現れる。
先生の考えてることは良くも悪くも態度に出るから分かりやすい。
「俺そんなにおかしいことを言ってますか? ネットでも事例があるって書かれてましたけど」
世の中には何百万人と受験生がいるのだから一人ぐらいそういう人間がいてもおかしくないと思っていた。調べると募集要項にもちゃんと記載されていたし、ネットで検索するとわずかだけど辞退した人の話もヒットした。
先生はバツが悪そうに頬を掻いた。
「たしかに、全くいないとは言えないな。病気やケガ、家庭の事情でやむをえず辞退する生徒は稀にいる。だが我が校では初だ。せっかく合格した公立を『特別な理由』がなく辞退したら高校に対して申し訳が立たないし、来年以降後輩たちに影響する可能性がある。おまえだけじゃなく学校全体の問題になるんだ。それだけ重要なものなんだよ、これは」
机の上にあった白紙の『合格辞退届』をパシパシと叩いた。
たった1枚の紙きれ。それで人生が決まってしまうのだ。
「親御さんには辞退するってちゃんと話したのか?」
「はい。昨日話しました。両親ともびっくりしていたけど、まずは岩田先生に相談してみろと言われたので朝イチで来たんです。母はいま駐車場の車の中で待ってます。自分が一緒に行くと感情的になってしまいそうだから話がついたら呼ぶよう言われました」
「……そうか」
椅子にもたれて天井を見上げる先生。眉間には深い皺が刻まれ、苦悩している様子が分かる。
窓の外にある桜の木の蕾がほころんでいる。サクラサク。本来喜ぶべきことが俺の未来を阻む壁になるとは思わなかった。
「――もしかして天宮のことか?」
びくっと肩が震えた。先生は俺の目をじっと見ている。言い返せない。
「図星って顔だな。天宮から何か聞いたのか?」
「……不合格だったって。俺、自分が受かったことで舞い上がって電話しちゃったんです。今考えると無神経だったと思います」
――『ごめん、理央。本当にごめん……全部おれが悪いんだ……もう電話かけてこないで欲しい……つらい』
あんな苦しそうな声は初めて聞いた。俺が追い詰めてしまったんだ。
「二人は日頃から仲が良かったよな。高校でも一緒にいたい気持ちも理解できる。……だが、五十嵐が合格を蹴ったと知って天宮は喜ぶか?」
「それは……」
言葉が続かない。俺は、俺は、そればかり考えて朔の立場を考えてなかった。
先生はなおも俺を追い詰める。
「中学時代の友人は大事だ。だが高校に入ったらもっと特別な存在ができるかも……とは考えられないか? 中学っていうのは良くも悪くも閉じた環境だ。高校生になったらできることも増えるし、人間関係も広がる。いつまでも中学の関係を引っ張るのは良くないんじゃないか? 天宮だってそう思っているはずだ」
朔の名前を出されると決意が揺さぶられる。高校生になったら朔以上の『親友』が見つかるかもしれない、と頭のどこかで期待してしまう。この息苦しい状態から逃げ出す道を探してしまう。
俺の覚悟ってその程度だったのか? 朔と一緒にいたい気持ちは一時的な迷い?……分からない。
少なくともいま岩田先生や両親を説得しきるだけの確固たる思いがなかった。
「ハッキリ言う。天宮のことは諦めろ」
力強く肩を叩かれた。
「この辛さを乗り越えることで五十嵐は人間的にも大きく成長できる。しばらくはしんどいだろうが、いつか笑って天宮と話せる日が来るさ。な?」
先生はレールに乗って欲しいのだ。桜が丘西へと続く一本のレール。先生や両親はその脇で祝福している。でも朔はいない。朔のレールと交わることはない。
俺は、どうしたいんだろう。
俺の願いはなんだろう。
なぁ、朔。俺はどうしたらいいんだ?
――『理央、おまえ高校どこにすんの? おれは桜が丘西気になってるんだけどオープンスクール行ってみないか?』
――『決めた。おれ桜が丘西にする。理央は?……同じ? なんだよ真似すんなよ』
――『西高のピンクのネクタイ、理央なら似合いそうだよな。おれ? ないない。でも、お揃いでつけられたらいいよな。写真いっぱいとってさ』
――『今週末の入試、絶対合格しような。おれも理央と一緒に通えるように頑張るから合格したらフードコートで乾杯しようぜ。お互いの好きなもの奢るのはどうだ?』
――『いけないよ、理央。何回サイトにログインしなおしても、画面更新しても、『不合格』の結果が変わらないんだ。……いけないんだ、理央、同じ高校……けない、おれ……――ごめん』
「五十嵐? どうした、大丈夫か?」
気がつくと涙があふれていた。
昨日、朔と電話した時からずっと泣けなかったのに、今になって神経回路がつながったみたいに止められない。
「……先生。俺、桜が丘西にいきます」
朔の望みを叶えるためにも、俺は目の前にある道を進むしかないのだ。
「そうか。うん、それでいい。西高でも頑張れよ、応援してる」
先生はもう一度肩を叩いてくれた。後戻りはできないとでも言うように、強く。
※ ※ ※
「あの日、俺は朔との未来を諦めたんだ。朔が行きたがっていた高校に自分だけでも行くべきだって納得して進学したつもりだったんだけど……つまらなかったよ、朔がいない毎日は」
背もたれに体を預けて天を仰いだ。前髪がさらりと流れて、太陽の光を反射する。
「友だちもできたし、流されるまま彼女も作ったのに心の中の一番深いところが冷たいままなんだ。何を見ても何を食べても薄っぺらく感じる。食欲もなくなって、心配した母親に病院に連れていかれたくらい」
人生初の点滴打たれてちょー痛かった、と笑いながらさっき買ったポテトを頬張った。
「それでも朔のことを考える時間だけは元気になれたから、気晴らしを兼ねて朔に会えそうな場所を歩き回ったんだよ。須藤は文句ひとつ言わず付き合ってくれて有難かった。で、このフードコートで今みたいに食べてた時、夏祭りの屋台で朔と食べたクソまずい焼きそばの話をしていたらなんか涙でてきて、その時言われたんだ。『好きなんだね』って。最初はびっくりしたけど、どうしても解けなかった問題に百点満点の回答をもらった気がした。――あぁ俺は朔が好きなんだって」
おれの左手に理央が右手を重ねてきた。指と指の間が絡み合い、恋人つなぎになる。
どきどきと心拍数が上がるのを感じながら目線を上げると、すぐそこに理央の整った顔があった。
「好きだよ、朔。何でも美味しそうに食べるところも、人前でハグすると恥ずかしそうにするところも、涙もろいところも全部好き。今すぐキスしたい」
