別々の高校に進学した元親友とフードコートで再会してから様子がおかしいのだが…

「こっち来て」
 手首を掴まれたまま近くの空き教室に連れていかれた。カーテンが閉め切られた薄暗い部屋で、ずらりと本棚が並んでいる。
 後ろ手にカシャンと鍵が下ろされた瞬間、逃げられない、とゾクゾクした。
「……ふぅ」
 理央は深く息を吐くとおれの体を壁際に押しつけ、逃げ道を奪うように覆いかぶさってきた。
「なんでここに朔がいるんだよ」
 廊下に面したすりガラスの明かりに焦りとも喜びともつかない表情が浮かび上がる。
「疲れすぎて幻でも見てるのか?……それにしては柔らかいな」
 大きな骨ばった手で顔の輪郭をたどっていく。むにむにと頬を摘ままれて「やめろよ」と身をよじった。
「しっかりしろ、おれは夢じゃない。西高の文化祭に興味があったから須藤くんに招待券もらって杉本と一緒に来たんだ」
「……須藤が?」
「あ、おれが来たいって言ったんだから須藤くんは悪くないからな! オープンスクール以降ここには来てなかったし、理央が学校でどんなことしているのか一度見てみたかったんだ。……迷惑だったか?」
「いや……いや、全然迷惑なんかじゃない!」
 ぶんぶんと首を横に振った。
 強張っていた顔が徐々に緩んでいく。
「むしろ嬉しいよ。いつも俺から行ってばかりだったから、朔の方から会いに来てくれるなんて夢にも思わなくて……。そうだ、熱は? 動いても平気? 関節とか痛くない?」
 前髪をかき分けて額に手を乗せてくる。ひんやりとした手のひらが心地よい。
「もうすっかり元気。心配かけてごめんな」
「ううん、こっちこそ。俺があんなキスしたから……」
 キス、という単語が出た瞬間、理央の口元を凝視してしまった。この唇に触れられたのだと思うと体の芯が熱くなる。いや、いまは忘れるんだ。
「須藤くんから焼きそば預かって来たんだ。忙しくて何も食べてないだろ? 冷めちゃったけど休憩時間にでも食べてくれよ。一緒に入ってる飲み物は杉本からの奢り」
 ビニール袋の持ち手をねじって差し出すと理央は両手で受け取った。
「ありがとう。いい匂いだね。そういえば朝から何も食べないや」
「朝から? 大丈夫なのか?……なんか顔色も悪い気がするけど」
 文化祭の疲れかと思ったけど前に会った時より頬がこけている気がする。
 心配になって手を伸ばすと、逆に手を掴まれた。
「へーき。って言いたいけど最近あんまり眠れてなかったんだ。文化祭の忙しさもあるけど、朔に嫌われたらどうしようって考えると不安でたまらなくて」
「嫌う? なんでおれが理央を嫌うんだよ?」
「…………俺が、一方的なキスをしたから」
 ぽつりと呟いて、泣きそうに瞳を潤ませた。
 おれは慌てて否定する。
「確かにびっくりしたけど理央のことを嫌いになるわけないだろ」
「ほんとに? 俺のこと嫌いになってない?」
「ないよ。本当に嫌いだったら文化祭にも来ない。学校内のモニターや吹き抜けから仕事ぶりを見ていたけど、めちゃくちゃ格好いいと思った。理央はすごいよ、尊敬する」
 トン、と胸元と叩くと理央の体は小刻みに震えていた。
 頬を涙が伝う。
「……そっか……俺、嫌われてなかったんだ。良かった……」
 両手で顔を覆ってうつむいた。背中を丸めているせいで体が小さく見える。
「『あの時』みたいにもう会わないって言われたらどうしようって不安で……」

 中三の冬、おれは理央にさよならを言った。
 もう会わない、連絡もしてこないで欲しい、と一方的に突っぱねた。
 不合格のショックで自分のことしか考えられなかったけど、理央はきっと深く傷ついていただろう。

「『あの時』はごめん。でもおれ、理央といるとすごく楽しいんだ。だから嫌われるなんて思わないでくれ。な?」
 手を伸ばしてぽんぽんと頭を撫でてやった。
 体を縮めていた理央はゆっくりと顔を上げ、近くの机にビニール袋を置いた。一歩、距離を詰めてくる。
「抱きしめてもいい? 少しの間だけ」
 どきっ、としたけど目つきは真剣だ。
「いい、けど」
「ありがと」
 腕の下からすくい上げるようにして背中に手を伸ばしてきた。肩口に目蓋を押しつけると、さらりと前髪が流れ落ちた。抱きしめるというよりは、柔らかな緩衝材に包まれているようだ。体の力を抜いて理央の好きにさせる。
 廊下から聞こえる賑やかな音楽と楽しげな笑い声。
 でもこの部屋は静かで、理央の規則正しい吐息だけが聞こえる。
 呼吸する度に上下する体。閉じられた長い睫毛。骨ばった大きな手。
 女の子たちが列をなして取り合っていた理央は、いま、おれだけのものだ。
「……ありがと。お陰で眠気と疲れが吹き飛んだ」
 理央が体を離した。肩から重さがなくなったのが寂しい。でもそんなこと言ったらまた抱かれるかもしれないのでやめておく。
「ねぇ朔。中三最後のバスケの大会のあと、俺が泣いてたの覚えてる?」
「覚えてるよ。僅差で負けちゃったんだよな。相手は全国レベルの強豪校だから理央たちはよくやってたよ」
「でも俺は勝てると思ってたから悔しくてたまらなかったんだ。主将としてみんなの前で泣くのは我慢していたけど、朔が『おれが部室の前で見張っててやるから一人で好きなだけ泣け』って言ってくれた瞬間……肺が壊れそうなくらい泣いた。なぜかその時のことを思い出したよ。たぶんあの頃から朔を『特別な人』だと思ってたんだ。当時はまだハッキリとは認識できてなかったけど」
 優しく笑って、俺の頰に手を添える。指先が熱い。
「でも今はちゃんと分かってる。この前のキスはいつもの悪ふざけじゃなくて本気だよ。俺は朔のことを好――……」

 ピリリリリリ――
 着信音が鳴り響いた。

 理央は顔をしかめただけで無視しようとしたが、あまりに長く呼び出し音が続くので「ちょっとごめん」とスマホを取り出した。
「はい。……はい、そうですか、分かりました。すぐに行きます」
 ため息をつきながらスマホをしまう。急ぎの用件のようだ。
「呼び出されたから行かなくちゃ。朔はまだ校内にいる?」
「全部見て回ってないから、もうしばらくは」
「俺はあと三十分で休憩に入れるんだけど、その時に会えないかな? せっかくなら校内を一緒に回りたいし、俺の気持ちもちゃんと伝えたい」
 理央の気持ち、と言われて心臓がとくとくと鳴り始めた。
「……うん、分かった」
「待ち合わせ場所はここ、第二体育館の裏ね」
 案内図を取り出して赤ペンで大きく〇をする。
「人が来なくて落ち着くからいつもここで昼飯を食べてるんだ。金網の向こうに見える景色もきれいだから朔にも見てもらいたい。三十分後にここで待ってる。スマホ切って誰にも邪魔させないから」
 囁くように言って、部屋の鍵を解いた。
「先に行ってる。また後で」
 焼きそばを掲げて廊下に出て行った。すぐさま女子たちの甲高い悲鳴が聞こえてくる。
「…………ふぅ」
 蓄積した熱を吐き出すように息を吐き出す。
 自分でも知らないうちに緊張していたのか背筋が痛い。
 あつい。
 体が燃えるように熱い。きっと顔はリンゴみたいだろう。部屋が暗くて良かった。
 どうしよう。
 気持ちを伝えたいって言ってた。
 それって告白ってことかな。おれ、これから好きだって言われるのかな……。アイツに。