午後四時。
秋の柔らかな太陽の光が、コインランドリーの窓を照らし出す。
ゴゥン、と音を立て、洗濯機がゆっくりと回り始めたのを確認すると、私は手に持ったスマホに視線を落とした。
「えっ?! ハノン…このボーカルが、奏音なの?」
誰もいない空間に、ぽつり漏らしたひとりごとが響き渡る。
あの夜。大雨の中、白く浮かび上がっていたここは、異世界への入口かと思うほど幻想的だったのに、今日はいつもの、どこにでもある生活空間。私の耳の奥に、かすかに彼の歌声を残したまま。
彼が名乗った名前も、スマホに登録された連絡先も嘘かもしれない。でもなぜだか抗えなくて、一夜限りの記憶を確かめるみたいに、メッセージを送ってしまった。ライブハウスのスケジュールをこっそりチェックしたけれど──あの日はシークレット、とだけ書かれていたから。
しばらくして奏音から返ってきたのは「バンドの名前、伝えてなかったね」って。
溢れんばかりの情報に、スマホをスクロールする指が止まらなかった。
「想像してたより、すごい! Ashっていうんだ」
#AshLive #AshHanon …
ハッシュタグを辿れば、彼と彼らは何者で、どこから来てどこへいくのか──彼らのこれまでをいとも簡単に追体験できた。インディーズ音楽シーンでは既にその名は知れ渡り、大手音楽レーベルからも声がかかっているとか。
「ハノンって、芸名なのかな? へぇ! バンビ顔って例えるのね」
歌だけじゃない。あのビジュアルじゃあ、騒がれるに決まっている。透明感あふれる柔らかな肌。こぼれんばかりの大きな瞳に、キュッと跳ね上がった目尻。ラブソングを歌わせたら──砂糖菓子みたいに甘い言葉を紡げば、きっと女の子たちは中毒になってしまう。
……なんて。私は小さく息を吐いて笑った。
情報の洪水に呑み込まれ、たどり着いた動画プラットフォーム。
タップすれば、今すぐにでもAshのライブを観れるのに。
動画のサムネイルを飾る奏音、いや。’ハノン’ から目が離せなかった。
「ダメ、映像じゃ嫌だ」
再生ボタンを押しかけけて、私はピタリと指を止めた。
極彩色の光を浴びた彼の横顔は、強烈なほど物憂げで。
まるで彼自身が光を放っているみたいだなって。
でも光が鮮やかであればあるほど、深く落ちる影はアンバランスだ。
こんなにも美しいのに、寂しそうに見えるのは私だけなんだろうか。
あの夜の奏音の掠れた声がふと蘇って、胸がザワザワした。
引力めいたものを持っているヒトだと思った。
……映像じゃ嫌だ。
ステージで生きる ‘ハノン’ を観たい。
「ライブ、楽しみだな」
呟いた言葉は、洗濯機の無機質なノイズに溶けてゆく。
あぁ。ライブに行くの、どれくらいぶりだろう。
口にすると、静かな高揚感が全身に広がっていく。早く観たい。彼と、彼らの世界を。
胸の奥底に沈んだ何かが、かすかに揺らぎ始めた気がした。
音楽が大好きだった頃の私は、まだ消えてない証なのかもしれない──予感にも満たない願い。
私はイヤフォンをつけると、動画の代わりに彼らの音楽を繰り返し聴いた。
秋の柔らかな太陽の光が、コインランドリーの窓を照らし出す。
ゴゥン、と音を立て、洗濯機がゆっくりと回り始めたのを確認すると、私は手に持ったスマホに視線を落とした。
「えっ?! ハノン…このボーカルが、奏音なの?」
誰もいない空間に、ぽつり漏らしたひとりごとが響き渡る。
あの夜。大雨の中、白く浮かび上がっていたここは、異世界への入口かと思うほど幻想的だったのに、今日はいつもの、どこにでもある生活空間。私の耳の奥に、かすかに彼の歌声を残したまま。
彼が名乗った名前も、スマホに登録された連絡先も嘘かもしれない。でもなぜだか抗えなくて、一夜限りの記憶を確かめるみたいに、メッセージを送ってしまった。ライブハウスのスケジュールをこっそりチェックしたけれど──あの日はシークレット、とだけ書かれていたから。
しばらくして奏音から返ってきたのは「バンドの名前、伝えてなかったね」って。
溢れんばかりの情報に、スマホをスクロールする指が止まらなかった。
「想像してたより、すごい! Ashっていうんだ」
#AshLive #AshHanon …
ハッシュタグを辿れば、彼と彼らは何者で、どこから来てどこへいくのか──彼らのこれまでをいとも簡単に追体験できた。インディーズ音楽シーンでは既にその名は知れ渡り、大手音楽レーベルからも声がかかっているとか。
「ハノンって、芸名なのかな? へぇ! バンビ顔って例えるのね」
歌だけじゃない。あのビジュアルじゃあ、騒がれるに決まっている。透明感あふれる柔らかな肌。こぼれんばかりの大きな瞳に、キュッと跳ね上がった目尻。ラブソングを歌わせたら──砂糖菓子みたいに甘い言葉を紡げば、きっと女の子たちは中毒になってしまう。
……なんて。私は小さく息を吐いて笑った。
情報の洪水に呑み込まれ、たどり着いた動画プラットフォーム。
タップすれば、今すぐにでもAshのライブを観れるのに。
動画のサムネイルを飾る奏音、いや。’ハノン’ から目が離せなかった。
「ダメ、映像じゃ嫌だ」
再生ボタンを押しかけけて、私はピタリと指を止めた。
極彩色の光を浴びた彼の横顔は、強烈なほど物憂げで。
まるで彼自身が光を放っているみたいだなって。
でも光が鮮やかであればあるほど、深く落ちる影はアンバランスだ。
こんなにも美しいのに、寂しそうに見えるのは私だけなんだろうか。
あの夜の奏音の掠れた声がふと蘇って、胸がザワザワした。
引力めいたものを持っているヒトだと思った。
……映像じゃ嫌だ。
ステージで生きる ‘ハノン’ を観たい。
「ライブ、楽しみだな」
呟いた言葉は、洗濯機の無機質なノイズに溶けてゆく。
あぁ。ライブに行くの、どれくらいぶりだろう。
口にすると、静かな高揚感が全身に広がっていく。早く観たい。彼と、彼らの世界を。
胸の奥底に沈んだ何かが、かすかに揺らぎ始めた気がした。
音楽が大好きだった頃の私は、まだ消えてない証なのかもしれない──予感にも満たない願い。
私はイヤフォンをつけると、動画の代わりに彼らの音楽を繰り返し聴いた。
