「おっと! こっち来んな、おまえに副流煙吸わせたくねぇっつってんだろ」
「だったら禁煙しろ」
「禁煙する気も誰かの指図を受ける気もねぇよ」
「……ハイハイ」
この支配者は独善的で傲慢なくせに、どうしようもなく人たらしだ。
ほら、今も「あ、そうだ。おまえ飯食った?──ちょい待ってろ、作るから食おうぜ」とか。「俺の家事能力高すぎん? おまえ皆無なのにな」と、片眉をゆるりと上げ、大胆不敵に笑う姿に誰もが簡単に魅了されてしまう。
まるで世界の中心は自分で、怖いものなど何もないという顔。
周囲の顔色ばかり伺って生きてきたオレとは真逆で──ハヤトの涙は一度しか見たことがない。
昔、なにもかも失って、高校卒業を待たず姿をくらましたオレを、ただひとり諦めることなく、探し出してくれた。
『長ったらしい人生がクソだって言うなら、俺に差し出せよ』
涙で滲む、切れ長の瞳の奥にあった、焼けつくような熱。ハヤトの乞うような強烈な眼差しに背筋がゾクッとした。
『おまえがいないと──俺が作った曲、他の誰が歌えんだよ』
ボーカリストにとって、これ以上の愛の言葉があるわけない。
誰かにとって、確かな存在意義になりたかった。空っぽの心ごと縛られ、満たされていく幸福を知って、何もかも差し出した。オレにはどうせ歌しかないなら──ハヤトに殉じようと。彼の夢や音楽と、灰になるまで一緒にいようと思った。
そうすればもう、何も迷わない。コイツの隣にいるために歌えばいいと。
シャワーを浴び、着替えてキッチンに顔を出すと、焼いた肉の甘辛い香りが漂っていた。待ちくたびれたと文句タラタラのハヤトに「冷めんだろ」と、顎でカウンターの上の生姜焼きを指し示され。オレは「真夜中に食うもんじゃない、さすがに」と答えながらも席に着く。
「あ? 夜中でも俺は食うよ。そういや、ライブ後どこ行ってたんだよ。女でもできた?」
「女は女でも、厄介ファンに追いかけ回されてた」
「うーわ。そいつら顔割れてる? 出禁にしろ。しかも雨ひどかったし散々だったな」
「散々──いや、そうでも……」
そう言いかけて、箸を持つ手が止まった。
今夜の雨の逃避行を思い出したら、自然と頬が緩む。
名乗ることもなく、夜の隙間を埋めるように言葉を交わした、誰か。オレを見て「天使かと思った」と突拍子もないことを言うくせに、自分のことはどこか諦めたような口ぶり。澄んだダークブラウンの瞳の奥に空虚が見え隠れするその人と、感情を重ね合わせたら、不思議と波長が合った。
『音を奏でるって書いて、奏音? いい名前ですね』
『君だけだよ、その名前で呼ぶの』
碧空、と最後に名を教えてくれた彼女と、またあんなふうに本音をこぼしあえるだろうか。
「……でさ。さっきから聞いてる?」
「あぁ、うん」
何考えてるんだ、と。
訝しげにこちらをじっと見つめるハヤトと目が合った。
「アルバム曲の歌詞進んでんのかって」
「……半分ぐらいは」
ハヤトの切れ長の瞳がオレを射抜くたび、胸の奥で何かがチリチリと音を立てて焼ける。
「これからも俺のために歌えよ──ハノン」
