苔のむすまで

 雨粒が激しく窓に打ちつける音の中、微かに昼を告げる鐘の音が紛れていた。

 さっきまでは空腹何て感じていなかったのに、鐘の音を聞いたとたん、腹の虫が騒ぎ始める。何て都合のいい腹だろう。

 さて、何を食べようか。

 薄くほこりを被ったキッチンに足を運ぶと、ポリ袋から溢れそうな惣菜の容器が目に入った。あれは、見なかったことにしよう。

 腰ほどの高さの小さな冷蔵庫を開けると、青白い光に満たされた空間に、ポツンとプラの容器に入った唐揚げがあった。

 唐揚げを冷蔵庫から取り出すと、三十パーセント引きのシールが貼ってある。

 消費期限は七月六日。一昨日切れているが、二日は誤差の範囲だろう。きっと大丈夫。

 冷蔵庫で冷えきった唐揚げと共に、レンジでチンするタイプのお米をレンジに入れ、ボタンを押すと、レンジは一分のカウントダウンを始めた。

 何となく、温められている唐揚げとお米を見つめていると、レンジの刻む一秒も長く感じた。

 ピーッという音が鳴り終わる前に、素早くレンジの扉を開け、唐揚げたちを出す。

 本来は「ピーッ」という音を「ピィッ」で終わらせられたことに、謎の満足感を覚えつつ、いつも使っている箸を取り出し、机に向かった。

 食事をするために開けたスペースに唐揚げとお米を置き、箸は手に持ったまま、

「いただきます」

 と言った後、唐揚げとお米を頬張り始める。

 「いただきます」を一日三食欠かさず言うのも、割り箸を使わずに同じ箸を使うのも、父さんと祖父の影響だ。

 戦争でどんどん食べ物が手に入らなくなっていったときに、父さんは、

「有り難きものというのは、日常の中にあるものだ。だから人は、日常も、日常の中にあったものも失ったとき、初めてその大切さに気付く」

 と言った後、そのまま手をあわせ、「いただきます」といったあとに、こう言っていた。

「これの有り難みを今はわからなくても、いや、ずっとわからなくてもいい」

 薄いお粥におとされたその瞳は、静かに祈っているようだった。

「だが感謝をすることは忘れるな。この日常は、いとも簡単に壊れてしまう」

 そのときは父さんの言うことがわかりそうで、わからなかった。