苔のむすまで

「我望む 七夕の夜に 記すのは 映画化されぬ 日々続くこと」

 ふう、とため息をつき、手に持っていたペンを机に置く。近くの窓からは、満点の星空が見え、星光を受けたカーテンはシルクのように輝いている。

 父さんと詠んでいた時は簡単に感じていたのに、結構疲れるな......

 僕の家では、祖父の代から毎年、七夕に和歌を詠む習慣がある。

 まだ父さんが生きていた、子供の頃は、和歌って結構簡単なんだ、と思っていた。だが、今は、歳を取って脳が固くなったのか、いたるところでペンを持つ手が止まる。

 こんなに苦戦するほど、和歌を忘れて仕事に追われていたのに、どうして今頃思い出したのだろう。

 そう不思議に思ったが、「仕事」という言葉に一瞬、息が詰まる。落ちかけていた夢から現実へと一気に引き上げられた。

 今日は何曜日だ。床に散らばる書類に足を滑らせそうになりながら、カレンダーに駆け寄る。

 七月七日をカレンダーの三十五マスから見つけ出すと、僕は膝に入れていた力を失い、その場で崩れ落ちた。

「木曜日だ、まだ一日......」

 身体中のエネルギーが底をつこうとしている状態で、仕事のある二十四時間を過ごすのは不可能だ。

 一刻も早く体を休ませなければ。布団へ駆け出したその時、書類で足を滑らせ、頭を打った。

「なんでこんなところに書類があるんだ」

 自分のせいだとはわかっているが、文句を言いながら布団に入る。

 眠りにつく前、窓のそとに広がる星を見ていると、ある星が目についた。赤い星だ。

「人はな、いつか星になるんだ。俺も......」

 思い出の中の父さんは、どこか悲しそうに眉を下げて言っていた。

 なら、きっとあれは父さんだろう。

 無口で無愛想だけど、静かな情熱が瞳に宿っていた父さんは、あの赤い星になっているはずだ。

あの星ではなかったとしても、きっと何処かで、火のように静かに輝いている。

 数年ぶりに、父さんの背中を思い出しながら意識は遠のいていく。戦地へと向かおうとするその背中は大きく、まだ一緒にいてほしい、と手を伸ばしても、届くことはない。きっとそれは、これからも同じなのだろう。

 (まぶた)を閉じる瞬間、赤い星がこう言いたげに輝いた。

「おやすみ」