猫だまり日和商店街で恋をしよう


 今日は湊が転校してきて以来、初めて一人で帰宅することとなった。
 湊は運動神経がいいから、部員不足のサッカー部の応援に行くことになったらしく、夜遅くまで部活を頑張っている。
 ずっと一人で登下校してきたのに、ふと隣に湊がいないことが寂しく感じられる。
 湊はたった数か月で、俺の生活の一部になってしまったようだ。


 インドカレー屋の前を通ると、ちょうどグハンさんが扉を開けて出てくる。
 いつもならば素通りしてしまうところだけれど、今日は勇気を持って話しかけてみることにした。
「あの、グハンさん。この前教えてもらったレシピでカレーを作ったら、とっても美味しいカレーが作れました」
「え? 本当ですか? それはよかったですね!」
 カレーが美味しくできた、ってグハンさんに報告したら想像以上に喜んでくれた。俺はこんな風に商店街の人と接したことがなかったから、新鮮に感じられた。
「お店がオープンしたら、湊と一緒にきます」
「ありがとう。嬉しいです」
 たったそれだけのやり取りだったけれど、俺にとっては大きなチャレンジだった。
 商店街の人に話しかけるなんて、今までしてこなかったのだから。


 グハンさんのお店を通り越すと、今度はレストラン アルタの前で、湊のおじいちゃんが店先の花の手入れをしていた。
 店の前には、いつも色とりどりの花が飾られている。今まではそんな花たちを「綺麗だな」くらいにしか思わなかったけれど、こうやって湊のおじいちゃんが丹精込めて手入れをしてくれていたんだ。
 そう思って見てみると、今まで俺にとって当たり前だったものが、誰かの手によって大切に手入れされていたものだと知る。
 この猫だまり日和商店街は、みんなが大切に作り上げた商店街だったんだ。
(俺は今まで、そんなことにも気づいていなかったんだな)
 この猫だまり日和商店街は、大勢の人が作り上げた大切な場所なんだということを、改めて知ることができた。
 これも、湊のおかげなのかもしれない。


「あの、湊のおじいちゃん。こんにちは」
「ん? あぁ、瑛太君か。今学校帰りかい?」
「はい」
 俺はもう一度勇気を振り絞り、湊のおじいちゃんに声をかけてみた。すると、花の手入れをする手を止めて俺の方を向いてくれる。
 いつもなら「頼むから、俺に話しかけないでくれ」と祈りながら歩いていた商店街。でもこうやって勇気を振り絞って声をかければ、みんな優しく返答してくれる。
(こんなことなら、もっと早くみんなと仲良くなればよかったな)
 そう後悔してしまうくらいだ。
「この前ご馳走になったパスタが、とても美味しかったです。ご馳走様でした」
「あぁ、あれかい? あのパスタは店の人気メニューなんだよ。湊も大好きで、遊びに来た時には作ってあげたものだ」
「へぇ、そうなんですね」
 湊が小さい頃から好きだったパスタ。
 まだ幼い湊が、一生懸命フォークを使ってパスタを食べているところを想像すると、なんだか心がほっこりしてくる。きっと可愛かったんだろうなぁ。


「あ、そうだ! 瑛太君、そのパスタのレシピを教えてあげるよ」
「え? いいんですか?」
「もちろん。今度湊と一緒に作ってみたらいい」
「そ、そうですね」
 湊のおじいちゃんが教えてくれたレシピを、しっかりとスマホのメモ機能に記録する。
 よし、これで大丈夫だ。
「教えていただいて、ありがとうございました」
「いやいや。これからも湊と仲良くしてやってください」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 湊のおじいちゃんにお礼を言ってから、店を後にしたのだった。

◇◆◇◆

 アルタを後にして、路地裏に入った俺はスマホを持ったまま立ち止まる。
 スマホの時計を見ると、部活動がそろそろ終わる時間だ。
『今日俺の家でパスタを作らないか?』
 そう誘ってみようかと勇気を振り絞って湊に電話をかけようとしたのに、どんどん決心が鈍ってきてしまう。
 今まで湊と夕飯を何度か一緒に食べたけれど、俺から誘ったことはなかった。いつも湊が押しかけてくるのだ。
「やっぱり、やめようかな……。湊も疲れてるかもしれないし」
 俺は気楽な写真部だけれど、湊は今、助っ人として試合直前のサッカー部で練習をしているのだ。そんな湊に、部活動が終わってまで付き合わせるのが申し訳なく思えてきた。
 人懐こい猫が俺の傍に寄ってきて、体を擦り寄せて来る。そんな猫に「どうしたらいいと思う?」と問いかけても「ニャー」としか返答は返ってこなかった。
(やっぱり家に帰ろう……)
 俺はスマホを持ったままアパートの方へ体を向ける。
 でも、せっかく湊のおじいちゃんにレシピを聞いたんだから……。
 俺は勇気を振り絞って湊に電話をかけた。


 何回か呼び出し音が鳴ったけれど湊は電話に出ない。まだ部活中だったのかもしれない。俺が電話を切ろうとした時、スマホの方から「もしもし?」という湊の声が聞こえてきた。
 湊の声を聞いただけで顔が熱くなってきて、体が震え出す。心臓が爆発しそうな勢いで動き始めた。
「瑛太君、何かあった?」
「あ、いや、別に……」
「突然電話がきたからびっくりしちゃったよ。じゃあ特に用事がないなら、着替えがまだだから電話切るね」
「湊、やっぱり待って!」
 湊が電話を切ろうとしたから、俺は咄嗟にそれを引き留めてしまう。
 だって、まだ本当に伝えたいことを、伝えられていないのだから――。
「やっぱり何かあったの?」
 不安そうな湊の声と、速すぎる俺の鼓動の音だけが鼓膜に響いた。
「あのさ、さっき……湊のおじいちゃんから、パスタのレシピを聞いたんだ……。だからまた、一緒に作らないか?」
「へぇ。じいちゃんから?」
「か、勘違いするなよ! お前とまた一緒に料理がしたいわけじゃないから。それに、別に忙しかったり疲れたりしてたら、無理にじゃないし。でもせっかく湊のおじいちゃんから教えてもらったから……」
 声が震えてしまったから、スマホを掴んだ手にギュッと力を込める。
 これじゃあ、湊のおじいちゃんのことを口実に、湊を誘ってるみたいだ……。
 素直に「一緒にいたい」と伝えられない自分が情けない。唇をギュッと噛み締めた。
「いいよ」
 次の瞬間、湊の優しい声が耳に届く。
「どんなに忙しくても疲れてても、絶対に行く。瑛太君、猫だまり日和商店街の入り口で待ってて。着替えたらすぐに向かうから!」
「湊……」
「パスタ楽しみだなぁ」
 断られることも覚悟していた俺の全身から、一瞬で緊張が解けていく。思わずスマホを地面に落としそうになってしまう。
「よかった、断られなくて……」
 湊の声を聞いただけで、心の中の張りつめていたものが、少しずつ溶けていくのを感じた。

◇◆◇◆
 
 帰る途中、商店街のお洒落な雑貨屋で、パスタ皿や大きめの鍋を買ったり……。今までの俺には必要なかったものが、少しずつ家の中に増えていく。
 湊が「瑛太君の家にはコップもないんだよなぁ」と文句を言いながらコップも買っていた。
 二人で買い物をするだけでも最初は恥ずかしくて仕方なかったのに、少しずつ慣れてきて。湊との思い出の物が増えていくことが嬉しかった。


 湊のおじいちゃんが教えてくれたパスタは、想像以上に美味しく仕上がった。それに感動してしまう。
 きっと赤ワインみたいなオシャレなお酒が合ったんだろうけど、生憎俺たちは未成年だ。
 パスタを食べ終わったあと、リビングでゴロゴロしている湊。疲れているんだろう、と食器をシンクに運び洗い物を始める。
 まるで同棲してるみたいだ……ってこそばゆい。耳が熱くなってきた。
「瑛太君」
 小さな声が聞こえたあと、背中に温かなものがくっついてくる。その瞬間、ビクンと体が反応して体中が甘く痺れた。
「み、湊、突然なんだよ」
「んー?」
「ちょっと、離れろよ」
「嫌だ」
 俺は軽くパニックになっているのに、首筋にスリスリと頬擦りした後ギュッとしがみついてきた。
「瑛太君、眠たい」
「お前は満腹になると眠くなるんだな? 子供みたいじゃん」
「俺は瑛太君より年下だから、甘えたいときもあるんだよ」
 完全に甘えた声を出す湊を背中から引き離すなんて、もうできない。逆にもっと甘えさせてやりたい……。そんな感情がムクムクと顔を出した。
 それでも照れ隠しに、「食器が洗いにくいんですけど」と文句を言いながら湊の足を軽く蹴飛ばす。
「痛いなぁ。瑛太君の意地悪」
 子供のように拗ねた声を出す湊に、もっと力を込めて抱き締められてしまった。


「湊のおじいちゃんが教えてくれたパスタ美味しかったな?」
「うん。めちゃくちゃ美味しかった。また作ろうね」
「今度は何を教えてもらう?」
「俺、今度は和食がいいなぁ」
 今にも眠ってしまいそうな湊に、そっと囁く。


「なぁ、湊……」
「ん? なに? もしかして、泊まってけって……言ってくれるとか……?」
 冗談っぽく言ってるけど、触れ合う湊の胸からドキドキッという鼓動が伝わってくる。緊張しているのか、体も少しだけ強ばっているし……。
 俺と同じだ。
 幸せなのに、少しだけ怖い。
「泊まってけって、言ってほしいの?」
「そりゃあ。瑛太君とずっと一緒にいたいから」
「……じゃあ、泊まってくか……?」
「…………」
「…………」
「……うん……」
 心臓が張り裂けそうに痛くて。でもそれ以上に心が熱く震えた。


 その晩俺たちは、リビングにあるソファで寄り添って眠りについた。
「湊、ベッドに行くか?」
 なんて俺の何気ない一言に、湊が珍しく顔を真っ赤にしたから、つられて俺まで顔に熱が籠る。慌てふためく湊に、自分がとんでもないことを言ってしまったのだと気づかされた。
 ——ヤバイ……気まず過ぎる……。
 二人して顔を真っ赤にして俯いた。


「瑛太君、俺はもう子供じゃないんだよ。二人でベッドに寝るっていう意味をわかってる?」
「ご、ごめん」
「襲われたくなかったら、俺を煽るようなことを言わないでよね」
「わ、ちょっと湊!」
 怒ったような湊に、強引に抱き締められてソファに押し倒される。お互いの心臓がドキドキ高鳴って、室内にオーケストラがいるみたいだ。
 湊の温もりと匂いに、グッと胸が締め付けられた。
 近くにあったブランケットに包まれれば、温かくて、幸せで……。
 心が蕩けてしまいそうになる。


 きっと今夜は眠れないだろう……。 
 『パスタを作ろう』じゃなくて、『一緒にいてほしい』って言えたらいいのになぁ。