猫だまり日和商店街で恋をしよう



 あれ以降も、湊の俺に対する態度は特に変わらなかった。
 ありにも普通だから、逆に「あれは夢だったかのか?」とさえ思えてくる。
 だからと言って、湊の思いに答えられる勇気もない。
 このままでいいのかと思いつつ、何も言い出せずにいる。
 モヤモヤとして答えが出ないまま、月日が流れ、五月半ばになっていた。
 もうすぐ、高校生の写真コンテストの締め切りが迫っている。作品が仕上がっていなかった俺は、少しだけ焦りを感じていた。


 写真部の活動は月一回。
 五月は月が替わってすぐに、写真を撮るために学校の近くを散策して、思い思いに写真を撮って部活動は終了となる。
 俺以外の部員は、コンテストで入賞しようなんて思っていないだろうから、遊び半分で写真を撮って、お互いの写真を見せ合っていた。今の時代はスマホのカメラが発達しているから、写真を撮るのにきちんとしたカメラなんて必要ない。
 でも俺は違う。俺は将来、プロのカメラマンになることが夢なのだ。だから、コンテストで入賞したいと思っている。
 高校を卒業したら、プロのカメラマンになるための専門学校に進学しようと決めている。
 だから俺は、この高校生最後となるコンテストにかけているのだ。

◇◆◇◆

 俺が唯一この商店街で仲がいいのは『藤田写真館』を営んでいる藤田(ふじた)さんだけだ。
 藤田さんが経営する写真館のショーウィンドウには、とても素敵な写真がいつも飾ってある。
 それはブライダルフォトだったり、七五三の写真だったり。季節の花や風景を撮った写真が飾ってあることもある。
 藤田さんの撮る写真はセンスが良くて、俺は大好きだ。
 その人の人生の一瞬を写真に収める天才だと、俺は藤田さんを尊敬している。だから時々、写真館を訪れては、藤田さんに写真の撮り方を教えてもらっている。
 藤田さんは、俺より十歳以上年上にもかかわらず、嫌な顔をせず俺の相手をしてくれる。そのおかげで、俺の写真の腕もメキメキと上達しているのでは? と自惚れてしまうくらいだ。


 コンテスト前に藤田さんの所に寄り、カメラを借りる、ということが俺の恒例行事になっている。しかし、今回は湊までついてくることとなった。
「本格的なカメラを借りられるなんて楽しみだなぁ」
 そう言いながら、藤田さんからカメラの扱い方の指導を受けている。
 湊も俺と同じように、写真を撮ることが好きなのだ。
 特に猫や犬といった動物を撮ることが好きらしく、よくスマホを構えては猫に「こっち向いてよ」と話しかける姿を見かける。
「藤田さん、すみません。いつも高価な一眼レフカメラを借りちゃって。しかも湊にまで……」
「そんなことを気にする必要はないさ。今日はいい天気だ。いい写真が撮れるといいね」
「はい」
 俺は藤田さんにお礼を言うと、お借りした一眼レフカメラを壊さないよう、大事に抱えて写真撮影に出発したのだった。


「せっかくなら、遠くに行かないで商店街の写真を撮りたいなぁ」
「なんで?」
「だって大好きな猫だまり日和商店街の写真を撮ってみたいじゃん」
「そっか。湊がそうしたいなら、そうしようか」
「うん」
 湊が「大好きな猫だまり日和商店街」と言ってくれたことが嬉しくて、俺は素直にその意見に賛同する。
 この下町情緒溢れる風景を撮影したら、きっといい写真が撮れることだろう。
 猫を被写体にしてもいいかもしれない。
「なんだかいい写真が撮れそうだ!」
 俺はワクワクしながら、写真撮影に出発したのだった。


「猫ちゃん、猫ちゃん、ちょっとこっちを向いてよ」
 湊が猫に話しかけている様子が微笑ましい。やっぱり彼は猫が好きなんだろう。
 そう言われてみたら、少し前に『瑛太君は猫みたいで可愛い』と湊に言われたことがある。
 ――と、いうことは、俺に対する「好き」は猫と同等ということか? ……なんかイヤだな。
 そんなことを思って、一人ヤキモチを妬いているなんて、本当に馬鹿みたいだ。
 湊はそんな俺には関係なく、「空が綺麗だぁ」と空に向かいシャッターを切っている。
 でも遠くの方から雨雲が近づいてきているから、もしかしたら雨が降り出すかもしれない。
 それでも俺は、大好きなカメラを抱え、湊と猫だまり日和商店街を歩くことが楽しくて仕方がない。
(何か面白いものはないかな?) 
 そういう視点で商店街を見てみると、色々な発見があるから不思議だ。
 それに、くるくると目まぐるしく表情が変わる湊を見ているのも面白い。
 俺は、しばらくの間、写真を撮るのも忘れて湊に見惚れてしまった。

◇◆◇◆

 ちょうど正午を回った頃、雨が降り始めたから、俺たちはレストラン アルタに逃げ込む。
「あんなに晴れてたのに……。今日はもう写真撮影はできないかな?」
「そうだね、すぐ止めばいいけど……」
 湊が隣で大きくため息をつく。
 余程写真撮影が楽しかったのだろうか? そんな湊を見ていると、なんだか可哀そうになってしまう。
 昼食は湊のおじいちゃんが作ってくれたパスタをご馳走になったんだけれど、その美味しさに俺は感激してしまった。パスタが有名なのも頷ける。
 通学途中に、まさかこんなにも美味しいレストランがあったなんて……。もっと早く来ていればと、俺は後悔してしまう。
 残さず全てパスタも平らげて、今日はもう写真撮影は無理だろうと傘を差し、藤田さんに借りたカメラを返しに行くことになった。
 傘に雨粒が当たる音がとても心地いい。
 俺は雨の日の猫だまり日和商店街も大好きだった。
 でも、雨が降り始めたせいか、猫たちの姿を見ることはできなかった。きっとどこかで雨宿りをしているのだろう。
 その時、湊が「あッ」と声を出し突然走り始める。


 アスファルトを濡らす静かな雨音だけが響く午後の商店街。
 湊の視線の先には、雨に濡れ震える子猫がいた。それにいち早く気が付いた彼は、子猫に駆け寄り、その近くにしゃがみこんだ。
子猫は、母親を探しているのだろうか? 一生懸命に「ミーミー」と鳴いている。
「お前、こんな所にいたら濡れちゃうだろうが」
「ミーミー」
 湊は迷うことなく自分の傘を傾け、小さな命が濡れないように優しく包み込んだ。
 湊が子猫に向ける眼差しは、雨の冷たさを忘れさせるほど穏やかで温かい。
 煌めく雨粒の中、子猫を見つめる湊の横顔は、まるで一枚の絵のようだ。
 その瞬間、俺は静かにシャッターを切った。ファインダー越しに捉えたのは、日常の中に潜む、かけがえのない『優しさ』だった。
「お母さんが来るまで一緒に待っててやるよ」
 湊はそう言うと、子猫を抱え上げて、近くにあった雑貨屋の軒下に移動する。
「この子のお母さんが迎えに来るまで、ここで待たせてもらうことにしよう」


 するといつの間にか雨は止み、分厚かった雲の隙間から、眩しい日差しが差し込む。
 柔らかい陽光がそっとアスファルトを撫でたかと思うと、一瞬の静寂の後、目の前の空に息を呑むような光景が広がった。
 まるで天が架けた橋のような、色鮮やかなアーチが、雨上がりの世界を優しく抱き締める。
「わぁ、虹だ」
 湊が子猫を抱きかかえながらポツリと呟く。
 俺はその横で、シャッターを切る。この美しい瞬間を切り取りたくて夢中だった。
「湊、虹が綺麗だね」
「うん」
「俺、この商店街で初めて虹を見たかもしれない」
 心の中がキラキラと輝いて、感動して目頭が熱くなる。
「瑛太君は将来、プロのカメラマンになりたいの?」
「うん。家族にはカメラマンなんかになれるはずがないって猛反対されてるけど……。俺は小さい頃からずっと写真を撮ることが好きで、いつかプロのカメラマンになりたいって思ってる」
「へぇ。小さい頃からの夢なんだね?」
「うん。湊も無謀な夢だと思う?」
「ううん。素敵な夢だなって思った。瑛太君なら、きっとその夢を叶えられるよ」
 俺は自分の将来の夢について、家族以外の人に初めて話をした。きっと話したところで、家族みたいに「どうせ叶わない夢だよ」と言われることがわかっていたから。
 でも湊は違った。俺の夢を馬鹿にせずに「夢を叶えられる」と言ってくれた。
 今俺の目の前に広がる大きな虹は、自分の夢のように感じられる。届きそうで届かない。そして、いつか消えてしまう――。
(この虹がずっと消えなければいいのに……)
 そんなことを思っていると、足元で猫の鳴き声が聞こえてくる。


 俺と湊が声のする方に視線を移すと、今、湊が抱いている子猫の柄とそっくりな成猫がこちらに向かって歩いてくる。
 もしかしたら、この子の母猫かもしれない。
「お前のお母さんが迎えにきたぞ」
「ミーミー」
 湊が子猫をそっと地面に下ろしてやると、成猫に向かって一目散に走っていく。
「やっぱりあの子のお母さんだったんだね」
「うん。でも湊があの子を見つけていなければ、あの子は今頃、雨の中凍え死んでいたかもしれないね」
「そうかな? ならよかった」
 子猫は迎えに来た母猫に連れられて路地裏へと入っていく。そんな子猫たちを見送りながら、湊が「もうお母さんからはぐれるなよ」と、優しい笑みを浮かべている。
(湊は本当に優しいんだな)
 俺はその時そう感じた。

◇◆◇◆

 後日、俺は湊が子猫を傘に入れてやっている写真をコンテストに応募したところ……。最優秀賞ではないが、見事入賞してしまったのだ。
 タイトルは『子猫と優しい雨』。
 俺は『優秀賞』という紙が貼られた自分の写真を目の前に、震え上がるほどの喜びを感じた。
 まさか入賞すると思っていなかったから、その喜びは言葉にできるものではない。
(一歩夢に近づけた……)
 そう思った俺の目の前が、涙で一瞬揺れて写真がぼやけて見える。
 そんな俺の隣で、湊は不貞腐れた顔をしていた。


「これはモデルが良かっただけだろう?」
「確かに、それはあるかもしれない」
「なら、出演料をちょうだい?」
「出演料?」
「そう。出演料」
 お金を払えってことかよ? と眉を顰めていると、自分の耳を疑ってしまう言葉が聞こえてきたものだから、俺は思わず目を見開いた。
「出演料は、キスでいいよ」
「キ、キス⁉ だって、そんな……」
「唇が恥ずかしいなら、おでこでも、頬っぺたでもいいよ」
 そう意地悪く笑いながら、湊が自分の頬をツンツンと指さす。
(もう、調子に乗りやがって……)
 恥ずかしくなってしまった俺は、湊に背を向ける。きっと俺の頬は真っ赤になっているだろうから。「瑛太君、顔が真っ赤だよ」なんて、またからかわれるのはごめんだ。
 でも――。
「いつか頬っぺたくらいにならキスしてやる」
「え! 本当に? いつかっていつ?」
「だから、いつか!」
 本当に湊といるとペースが乱されてしまう。
 だけど、それも悪くないと思える自分もいる。


 最後にもう一度入賞した作品を振り返る。
 迷子になった可愛らしい子猫と、そんな子猫に優しい眼差しを向ける青年。
「俺は、本当に大切な瞬間を切り取れたのかもしれない」
 そう満足してから、コンテストの会場を後にしたのだった。