湊と再会したのは、桜が舞い散る春――。
長かった冬が終わりを迎え、温かな春風が頬を撫でていく、そんな頃。
猫だまり日和商店街のちょうど真ん中くらいにある、昭和時代から続いている洋食のレストランの前だった。そのレストランの名前は『アルタ』。パスタが美味しいと有名な店だ。
その日はよく晴れた日で、俺の趣味である写真を撮りに出かけた帰り道。
商店街の入り口にある駄菓子屋で、棒付きのアイスを食べながら歩いていた時のこと。
普段は立ち寄らないレストランの前で、俺はふと立ち止まる。
「あれ?」
ここら辺では見かけない青年が店の前にいた。どうやら店先にいる猫の写真を撮っているらしい。
長めの色素の薄い髪が春風になびき、モデルのように手足が長い。
猫に向かい「こっち向いてよ」と一生懸命声をかけている。
(あんな奴、この商店街にいたっけ?)
顎に手を当てて考えていると、俺の視線に気が付いたのか、青年が顔を上げてこちらを見つめた。
その整った顔立ちに、俺は思わず言葉を失ってしまう。
(なんだよ、こいつ。超イケメンじゃん)
少し長めな髪が午後の光に透けて、耳元のピアスが、彼が動く度にひっそりと主張するように煌めている。
一見、遊び慣れた風に見えるけれど、目が合うと驚くほど穏やかで、優しい眼差しをしていた。彼の髪と同じ色をした瞳を見ていると、吸い込まれそうになってしまう。
高身長でイケメンな青年が、こんな地味な商店街にいたら嫌でも目立つ。
観光客だろうか? しばらくの間動くことができず青年を見つめていると、俺の方に向かって歩いてくる。そして次の瞬間、満面の笑みを浮かべた。
「あれ? ねぇ、君もしかして瑛太君じゃない?」
「え?」
「やっぱり瑛太君だ! 童顔でハムスターみたいなところ、全然変わってないね」
イケメンは本人を目の前に実に失礼なことを言ってくれる。
童顔までは許せるが、ハムスターとは何事だ?
俺が警戒心を剝き出しにしているにもかかわらず、イケメンはそんなことはお構いなしだ。俺に近寄ってきて、にこにこと笑顔を振りまいている。
「それに相変わらず可愛いし、綺麗になったね」
「はぁ?」
最近のイケメンは、こうやって女を口説いているのかとびっくりしてしまう。
え? でも待て。こいつ、もしかして……。
「瑛太君、俺のこと覚えてないの? 俺は湊だよ。神田湊、覚えてない? 小さい頃よくこの商店街で一緒に遊んだじゃん?」
「湊……湊……。あ、思い出した! よく駄菓子屋で一緒にアイスを食べたっけ」
「そう! その湊だよ。今、瑛太君が食べてるそのアイス。バニラ味で美味しいんだよね。懐かしいなぁ」
俺の中の記憶が走馬灯のように蘇る。
湊と俺は小さい頃よく、この商店街で遊んでいた。
確か湊のおじいちゃんが『レストラン アルタ』のシェフをしていて、お母さんと時々一緒にこの商店街に遊びに来てたっけ……。
でも、年が大きくなるごとに会う機会も減って、最後に会ったのは小学生の頃だろうか? その湊がこんなにもイケメンに成長しているなんて、夢にも思わなかった。
本当に久しぶりだ。
湊と過ごした楽しかった日々を思い出す。
「でも今日はどうしたんだ? おばさんと遊びに来たの?」
「ううん。そうじゃない。実は両親が離婚したから、母親の実家に戻って来たんだ。だから、これからはアルタで暮らすことになったんだよ」
「あ、そっか……。ごめん、変なこと聞いて」
「あははは! 全然大丈夫だよ。両親はもうずっと前から冷め切ってたんだから。瑛太君が気にすることじゃないよ」
湊はそう笑ってくれたけど、軽はずみに失礼な質問をしてしまった俺は居心地が悪い。湊が笑って「よろしくね」と言ってくれたのに、俺は頷くことしかできなかった。
そんな俺を見て、「不愛想なところも全然変わってないね」と声を出して笑っていた。
「それから瑛太君、『桜坂高校』に通ってるんでしょ? じいちゃんから聞いた。俺も四月から、瑛太君と同じ桜坂高校に通うことになったからよろしくね」
「あ、そうなんだ。よろしく」
「瑛太君、この近くのアパートに住んでるんだって? 一緒に学校に行こうよ」
「べ、別にいいけど……」
「本当に? 楽しみだなぁ」
そんな湊の笑顔は昔と全然変わっていない。
いつも笑顔で、元気がよくて。みんなの人気者だった湊。
逆に俺は人付き合いが面倒くさくて、おまけに不愛想だ。そんな俺に近づいてくる奴なんていない。だから俺は独りぼっち。でも全然寂しくもない。
俺と湊は、本当に正反対の性格だった。
「ねぇ、桜坂高校って写真部ある?」
「え? あるけどどうして?」
「俺、写真を撮るのが趣味で、高校に入ったら写真部に入りたかったんだ。よかった、写真部があって」
そう笑う湊の横で、先ほどまでモデルを務めていた猫が大きな伸びをしている。
「写真部があるも何も、俺が部長やってるし」
「え? 凄いね! もしかして瑛太君、写真のコンテストで入賞したことがあるとか?」
「全然そんなんじゃないよ。俺の前に部長をしてた桐谷っていう先輩はすごかったけど……。俺の場合は誰も部長をやりたがらなくて、じゃんけんをして負けただけ」
「そっか……」
「じゃあ始業式の日に、俺が写真部に案内してあげるよ」
「本当? ラッキー!」
そんな笑顔は本当に変わってないな、と思う。
湊が嬉しそうに猫の頭を撫でてやると、気持ちいいのか喉をゴロゴロと鳴らしている。
幼馴染と再会しただけでなく、同じ高校で、趣味まで一緒だったなんて。
本当に、人生いつ、何が起こるかわからない。
でも俺は、湊が知っている俺とは、少しだけ変わってしまったかもしれない。
うちの家系は代々医者で、俺も生まれた瞬間から将来医者になることが決まっていた。
学校だけでなく、兄弟の中でも優劣をつけられて、常に成績は上位をとらなければならなかった。だから、いつも大人の顔色ばかりを窺って生きてきた。
俺は自分を守るために、常に他人と自分の間に壁を作ってしまっている。
誰とも関わりたくないばかりか、もともと厳しく育てられた反発で、中学を卒業すると同時に実家を飛び出した。
元々資産家の実家だから、家賃とか仕送りには困ったことなんてないし。
それに、医者になる気なんて今の俺は全くなかった。
でもこの時の俺は気付いてなんていなかった。
今までただの帰り道だったこの猫だまり日和商店街で、様々なドラマが生まれることになるなんて──。
そんな俺が、湊と距離が近くなったきっかけは『弁当』だった。
◇◆◇◆
始業式当日。つまり、湊が初めて桜坂高校に登校した日──。
予想以上に始業式は長かったし、クラス替えの後に行われる自己紹介にも時間がかかってしまった。
ウケを狙って自己紹介をする奴もいれば、自慢話のように長々と自分のことを語る奴もいた。
そんな俺はと言うと──。
「倉澤瑛太です。よろしくお願いします」
とだけ言い、着席した。
なんの面白みもない自己紹介。でも簡潔で俺はとてもいいと思う。
これできっと、今年も俺に近づいてくる奴はいないだろう。そう考えれば気楽なものだ。
結局今年もこうやって、他人との間に壁を作ってしまった。
それから俺は約束通り湊を写真部に連れて行ってやった。
「今日から写真部でお世話になります、転校生の神田湊です。よろしくお願いします」
湊が挨拶をした瞬間、写真部の部室がざわついた。一人の青年に好奇の目が一斉に向けられている。
元々部活なんてやりたくない生徒がしかたなく所属するのが、写真部や華道部だったから、写真部の部員は多い。
更に、新しく入学する一年生も加わることになるだろうから、写真部も大所帯となることだろう。
その女子部員たちが湊を見た瞬間、一斉に浮足立ってしまう。
まぁ、始業式が終わった直後に「二年生に超イケメンが転校してきた」と早速噂になってはいたけれど……。
(なんで湊ってあんなにイケメンになったんだろう)
そう思い、改めて湊を観察してみると、女子生徒たちが騒ぐ理由がわかってしまった。
「あぁ、なるほどね」
湊は、長身でまるでモデルのようなスタイルをしている。サラサラの髪はキラキラと輝き、涼し気な目元が、彼の端正な顔つきを引き立たせていた。
女子が好きそうな今時の顔立ちをしているが、その中にはまだ素朴さと幼さが残されている。彼がいるだけで、その場が華やぐような魅力があるのだ。
自己紹介が終わった湊の周りには、気持ちの悪い笑みを浮かべた女子生徒たちが集まり、まるで写真部に芸能人でも来たかのようだ。
当の本人は困ったように笑っているから、女慣れはしていないのかもしれない。その初々しさが、更に彼を魅力的に見せた。
「しょうがない、助けてやるか……」
小さく息を吸ってから口を開く。
「あのさ、彼困ってるじゃん? いい加減にして部活を始めよう。見てて可哀そう」
俺が言葉を放った瞬間、その場が凍り付いたように静まり返る。
あんなにはしゃいでいた女子たちが、一瞬で顔を引き攣らせ、俺を睨みつけてきた。
(おー、怖ッ)
イケメンとの楽しい時間を邪魔した俺は、早速悪者になってしまった。
「とりあえず、昼ご飯を食べたら学校周辺の写真を撮りに行きたいと思います。一旦解散して、一時間後に昇降口に集合してください」
本当は午前中に部活も終わらせたかったけれど、もうすぐ高校生の写真コンテストがある。だから、部員たちにも写真を撮ってもらいたいと思ったのだ。
そうかといって、この写真部の中で、本気でコンテストで入賞したいとか、将来プロのカメラマンになりたいとか思っている生徒なんて、俺くらいだろう。
一応写真部の部長である俺が声をかけると、女子生徒がまた一斉に湊の周りを取り囲む。
俺は心の中で「ご愁傷様」と湊に声をかけてから部室を後にした。
「腹減ったぁ」
ようやく昼食にありつけたのは、昼の十二時をかなり回った頃だった。
俺は手作りの弁当を持って屋上へと向かう。
手作りといっても、恋人や母親が作ってくれたわけではなく、自作の弁当だ。外食や買い食いが苦手な俺は、早起きをして毎日弁当を作っている。
そもそもこんなに難のある性格の俺が、他人に弁当を作ってもらえるなんて、余程料理好きの恋人を見つけなければ難しいかもしれない。
弁当を膝に載せたまま大きく溜息をついた。
空を見上げれば青空がどこまでも続いていて、雲がゆっくりと流れている。
学校内は騒がしいから誰もいない場所に来て、俺はようやく一息つくことができた。
小さい頃から人付き合いが苦手で、友達と呼べるような奴もいないし、恋愛にも興味なないから異性と交際をしたこともない。
一人でいることが好きだし、気楽だった。
今日の弁当は、昨夜のうちに仕込んでおいたハンバーグだ。
それを朝早くから焼いて、特製のソースをかけた。付け合わせはサラダと目玉焼き。ちょっとした自信作である。誰に見せるわけでもないんだけど……。
「いただきます」
両手を合わせてから弁当の蓋を開けた瞬間……。
「ん?」
頭の中がクエッションマークで埋め尽くされる。なぜなら俺の手元にある弁当箱には、ハンバーグが入っていなかったからだ。
中身をじっくり観察してみると、カラッと揚げられた鶏の唐揚げと厚焼き玉子。焼き鮭まで入っている。
「うまそう……」
俺は唾をゴクンと飲み込んだ。
これだけ手の込んだ弁当はなかなか作れない。きっと料理好きの人が作ったに違いない。俺のお腹がキュルキュルと音をたてて鳴った。でも、人の弁当を食べるわけにはいかないから、弁当箱の蓋を閉めようとした瞬間……。
胸ポケットにしまってあったスマホが鳴り響いた。
「は? 誰だよ?」
俺のスマホが鳴るなんて余程のことがない限りない。
友達もそれほどいないから、俺にメールを送ってくる奴なんていないし……。電話をかけてくる相手なんて家族くらいしかいない。
(なんだよ、ようやく昼飯にありつけると思ったのに……)
自分の弁当がどこに行ってしまったのかわからないし、突然電話が鳴るなんて本当に今日はついてない。俺は電話も大の苦手なんだ。
「もしもし?」
「もしもし、瑛太君?」
どうにか不機嫌さを隠してスマホをとれば、男の声が聞こえてきた。
「俺、湊だけど……」
湊……?
あぁ、そう言えば、久しぶりに再会した日に、無理矢理電話番号を交換させられたんだっけ。
「どうした? なんか困ったことがあったのか?」
湊は今日初めて桜坂高校に登校してきたのだから、もしかしたらわからないことがあったのもしれない。
一人で部室に残してきてしまったことを、後悔する。
「ううん、その辺は大丈夫なんだけど、個人的な話があって……」
「個人的な話?」
そんな風に改まって個人的な話ってなんだ? 俺は首を傾げた。
「もしかして瑛太君が持ってる弁当に、唐揚げ入ってなかった?」
「え? 唐揚げ? うん、入ってる」
「やっぱり! それ、俺の弁当だよ。さっき部室で、俺と瑛太君近くに荷物を置いたから、もしかしたら間違えたのかな、って」
「この弁当、湊のなの?」
「そう。もしかして、もう食べちゃった?」
「あ、いや、まだ食べてないよ」
あまりにも美味しそうだったけど、誰のものかわからない弁当を食べてしまうほど無神経ではない。もう一度膝の上に載っている弁当をまじまじと見つめた。
あ、そう言えば……。部室の机の上に弁当箱を置いたとき、もう一つ弁当箱が置いてあったことを思い出す。しかも弁当箱は同じくらいの大きさで、よく似た色のハンカチに包まれていた。
弁当を持って屋上に移動しようとしたときに、女子生徒に囲まれた湊のことが気になって、俺は確かに上の空だった。だから、間違ってもう一つの弁当を持ってきてしまった…というわけか。
俺ってすげぇ馬鹿だ……。
「ごめん、湊。俺が間違えて持ってきたんだと思う」
ガッカリと肩を落とせば、電話の向こう側で湊がクスクス笑っているのがわかった。
「大丈夫だよ。それより瑛太君がどこにいるのかがわからないから、俺の弁当でよければ食べていいよ。その代わりに、俺も瑛太君のを食べちゃうけど」
「それは別に構わないけど、美味いかどうかはわからないよ」
「もしかして瑛太君の手作り弁当?」
「あ、うん。男の手作り弁当なんて気持ち悪いだろう?」
「全然大丈夫だよ。このハンバーグ、凄く美味しそうだから。じゃあいただきます」
子供みたいに元気な声が聞こえた後、電話は切れてしまう。
あまりにも人懐こい湊の態度に、一瞬呆気にとられてしまった。人見知りの俺からしたら信じられないことだ。
「あ、めちゃくちゃ美味い……」
晴れ渡った空を眺めながら、唐揚げを一つ頬張る。
校庭の方から、野球部とサッカー部が練習している声が聞こえてきた。
「なんだよ、これ。全部美味いじゃん」
これが、俺と湊の不思議な関係の始まりだと、その時は思いもしなかった。



