猫だまり日和商店街で恋をしよう


 俺は、他人と関わることが苦手だ。
 家族からの干渉が煩わしくて、俺は実家を出てアパート暮らしを始めた。
 友達付き合いだって面倒くさい。だから、他人との間にいつも壁を作り、冷たく接することで関わりを持たないようにしている。
 恋なんて、人間関係の中で一番どうでもいいものだって思っている。
 たった一人の人に縛られて、時には喧嘩して……。考えただけでも頭が痛くなってくる。俺は、誰かに束縛されることが嫌いだ。
 だから、ずっと一人でいいと思っていたし、これからも一人で生きていこうと思っていた。
 それなのに――。
 あいつのせいで全てが狂ってしまった。
「俺はさ、愛とか恋とかそういうのが煩わしいんだ」
 ベランダにいる猫に愚痴ってみる。
 つい先ほどまで親子の猫しかいなかったのに、湊が帰ってベランダに戻ってみると、五匹の猫がくつろいでいた。
 もしかしたら、みんな俺のことを心配して来てくれたのかもしれない。
 そう思うと、猫って優しいなって思う。
「恋なんてしたくない」
 猫の頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細める。
 この商店街の猫は、とても人馴れしている。だからこそ、こうやって地域猫として商店街に居着いたのだろう。
 猫だまり日和商店街は店が閉まるのが早い。八時を過ぎると、ほとんどの店がシャッターを下ろしてしまう。一つ、また一つと消えていく商店街の灯りを眺める。
(俺は恋がしたくないんじゃない。恋をするのが面倒くさいし、怖いんだ)
 ボンヤリとそんなことを思う。
「湊のことが好き、なんだろうな……」
 俺の小さな呟きは、夜風に乗り遠くへ攫われていった。

◇◆◇◆

「今日こそ湊との関係をはっきりさせるんだ」
 毎朝鏡に映る自分を見ながら、そう心に誓う。
 でも、いざ湊を目の前にしてしまうとなかなか言葉が出てきてくれない。
「お、おはよう」
 そう不自然に挨拶をした後、続く沈黙……。
 こんなんじゃいけないとわかってはいるのだけど、どうしたらいいのかがわからない。


「湊のことが好きか?」と聞かれたら好きだと思う。
 でも、今後俺は湊とどうなりたいのだろうか?
 このまま友達を続けるのか、それとも……。
 ずっと考えているのに答えなんてでなくて、ゴールのない迷路をずっと彷徨っている感覚に陥ってしまう。
 湊は変わらず接してくれるけれど、この曖昧な関係を終わらせたい自分もいる。
 ならば勇気を出して、自分で一歩を踏み出さなければならないんだ。


 それは暑い日の放課後。湊が引っ越してきて三か月が経とうとしている頃だった。
 いつも通り学校帰りに駄菓子屋によって、俺と湊はアイスを買う。
 小さい頃はお小遣いをもらうと、よくこうやって二人でアイスを買いにきた。
 毎回「当たりが出るといいな」と期待しながらアイスを食べるんだけれど、当たりが出ることなんて滅多にない。でもあの当たりが出た瞬間、まるで宝物を手に入れたかのように心がキラキラと輝いて、嬉しくなるんだ。
 俺は決めていた。
 次にこのアイスを食べて当たりが出たら、湊に想いを伝えようって。
 気の長い話になるかもしれないけれど、俺はそう決心した。そんなことを考えながら、俺はそっと隣を歩く湊に声をかける。
「なぁ、湊」
「ん? どうしたの?」
 その変わらない笑顔に俺の鼓動が速くなる。
「もし、このアイスで当たりが出たら、俺、湊に話があるんだ」
「話って?」
「それは、まだ言えないけど……」
「そっか、じゃあ楽しみにしてるね」
 そう嬉しそうに笑う。


 湊、ごめん。
 湊は俺に「好きだ」って真正面からぶつかってきてくれるのに、俺は怖くてそれを受け止めることができない。
 俺は臆病者だから。
 今日もアイスを買ったけれど、二人ともはずれだった。
 本当に当たりが出ないアイスに、イライラしてしまうけれど、ホッとする自分もいる。
 このまま毎日二人で登下校して、昼休みに一緒に弁当を食べて。時々、俺のアパートに遊びに来てくれて――。
 そんな変わらない日々の中、その日は突然訪れた。


 いつもと変わらないバニラの味。そう、いつもと変わらないはずだったのに……。
「あー、俺今日もはずれだよ」
「あははは! 仕方ないよ。このアイスはなかなか当たりが出ないから」
 湊が食べ終わったアイスの棒を見てがっかりしている。
 そんなたあいもない会話をしている時。ふと俺が食べているアイスの棒に、いつもと違う文字が見えた気がした。
(え? もしかして……)
 俺の心がトクンと跳ね上がる。
 アイスを食べ終わると、その棒には『当たり』の文字が。
(どうしよう……)
 心臓の音は、もう自分の制御を離れて、喉の奥で早鐘を打っている。
 一歩踏み出せば、もう友達には戻れない。
 フられるか、恋人同士になるか――。
 この思いを言葉にした瞬間、今の穏やかな関係は壊れてしまうかもしれない。
 もし付き合うことになったとしても、どうしたらいいのかなんてわからない。
 そう思うと、足がすくんで、商店街のコンクリートに縫い付けられたように動けなくなる。
 遠くで聞こえる呑気な猫の鳴き声。
 お店の中からの冷たい風が頬を撫でる度に、高揚した体温との温度差で目頭が熱くなる。
 もう一度確かめると、アイスの棒には『当たり』の文字が見えた。


(怖い……)
 けれどこのまま何も言わずに飲み込み続けることは、もっと怖い。
 何度深呼吸を繰り返しても、肺に届く空気は薄く、心細さだけが膨らんでいく。
 世界が俺と湊という、二人だけの狭い空間に凝縮されたような感覚。
『今だ』と、心の奥で誰かが囁いた。
 その一瞬、商店街の全ての音が消え、ただ自分の血の巡る音だけが、世界の全てになった。
「湊、俺、当たりが出た」
「え? マジで? ラッキーじゃん⁉」
 嬉しそうな顔で、俺の手元を覗き込んでくる。


 あんなに決心したはずなのに、簡単に心は揺らいでしまう。
 やっぱり今日はやめておこうか。そんな弱気な自分が心の中を支配していく。
 怖い。
 恥ずかしい。
 もう、どうしたらいいかわからない。
 俺の心は爆発寸前だ。
 でも俺は、あんなに悩んで決めたんじゃないか。
 湊に、この想いを伝えるんだって――。


「アイスで『当たり』が出たら、湊に話したいことがあるって言っただろう?」
「あ、うん」
(やっぱり怖い)
 ここまで来て怖気づいてしまう自分が本当に情けない。
 でも、俺は湊に会って変わりたいと思えた。
 今まで築き上げてきた他人との壁を、壊してみたいと思ったんだ。
 これからは、この商店街の人たちや、学校のみんなとも、仲良くしていきたい。そう思えるようになったのは、湊のおかげだよ。
 恐怖から小さく震える俺を、近くで見ていた猫たちが見つめている。その視線が、まるで「頑張れ」と応援してくれているように思えて……。
 商店街の猫たちにそっと背中を押されて、俺は静かに言葉を紡いだ。


「……俺も、湊のことが好き」
「え? 今なんて言ったの?」
「俺も、湊のことが好きだから……付き合ってほしい……」
「瑛太君」


 勇気を振り絞って伝えた数秒前の自分の言葉が、まだ耳の奥で反響している。
 湊の返事を、待つ数秒が、永遠にも感じられた。
(あぁ、言っちゃった)
 言ってしまった後、急に顔が熱くなる。
 地面に穴があったら、今すぐにでも飛び込みたい。この空間から、一秒でも早く消えてしまえたらいいのに……。
 心臓のドクンドクンという音だけが、やけにうるさい。
 この剥き出しになった自分の全てを見透かされているような感覚が、あまりにも恥ずかしい。
 もっとクールに、さりげなく言えたはずなのに――。
 そんな後悔と、それでも伝えてしまったことへの微かなキュンと胸を締め付ける思いが、体の中でせめぎ合っていた。


「嬉しい……」
「え?」
「俺、超嬉しいよ」

 
 顔を上げると、幸せそうに笑う湊がいる。
 俺だって思う。お前と再会できて良かったって。
 でも、本当に自分自身の気持ちがわからない。
 湊と一緒にいると幸せなのに苦しくて泣きたくなってしまう。キスをすれば蕩けてしまいそうなくらい気持ちいいのに、触れるのが凄く怖い。
 なんなんだよ、この気持ちは……心臓が痛くて仕方ないし、肺が上手く酸素を取り入れてくれない。
 苦しくて苦しくて、でもこの気持ちに見て見ぬふりなんて、もうできるはずなんてない。
 湊とずっと一緒にいたい。
「瑛太君、大丈夫? 泣きそうな顔してる」
 湊が、俺の顔を心配そうに覗き込む。
 大丈夫? じゃねぇよ。
 誰のせいで泣きそうになっていると思ってるんだ。


「苦しいよぉ、馬鹿湊。どうにかしろよ」
 俺はギュッと湊に抱きついた。
 涙が自然に溢れてきたけど、もうそんなものはどうでもよかった。湊の制服にシミがいくつもできる。
「苦しくて辛い。もうこんなの嫌だ。お前を見てると疲れる……」
 その瞬間、そっと俺の背中に腕が回されて強く抱き締め返される。あまりの力強さに一瞬息が止まりそうになった。
「まさか、瑛太君から好きって言ってもらえるなんて思ってもみなかったから……。ごめんね。俺も、今泣きそうだよ」
「湊……」
 元々人付き合いが苦手で、いつも他人との間に壁を作ってきた。
 そんな俺が、恋をしてしまったなんて……。
 それを認めたくなくて、パズルのピースをバラバラに崩して見ないフリをしていた。でも自分でも気付かないうちに、パズルは完成してしまっていたんだ。


「俺も瑛太君が大好き。一生大事にするからね」
「やめろよ、気持ち悪い」
「駄目だよ。こんなにも辛抱強く待っていたんだから、もう離さない」
 俺を抱き締める腕に更に力が込められて……。
 苦しい、苦しいよ、湊……。
「もう絶対に離さない。瑛太君は、俺のものだ」
「んッ、ふッ……」
 少しだけ強引に唇を奪われてしまい、呼吸ができなくなる。それでも、夢中で湊の口付けを受け止めた。
「瑛太君。俺のこと好き?」
「た、多分、好き」
「多分? なら体でわからせてあげるよ」
「え……?」
「ベッドでトロトロに蕩けさせて……。泣きながら俺のことを好きって言わせてみせるから」
「……や、やめてよ……。恥ずかしい……」
「なんだよ? それ。反則でしょ……。可愛すぎる」
「だから、嫌だって」
「大丈夫。俺も瑛太君と同じで初めてだから」
「でも、あッ、あぅ、んッ……」


 あぁ、素直に「湊が欲しい」って言えたら……どんなにいいだろうか……。
 最後まで素直になれない唇は、湊に塞がれてしまい何も言えなくなってしまった。


 なぁ、湊。
 これから先もずっと、この『猫だまり日和商店街』で恋をしよう。
 俺は、俺たちをずっと心配そうに見守ってくれていた猫たちに「ありがとう」と囁いた。


【END】