湊が引っ越してきて、もうすぐ二か月が経とうとしている。
仲良く並んで登校している時に、チラチラと横顔を盗み見る。
「更にイケメン度が増したな……」
そんな湊をぼんやりと目で追っていると、バチッと視線が合った。気まずくなって慌てて目を逸らしたが、ニヤニヤしているのが伝わってくる。
(あぁ、やっちまったな……)
そう思った時には時既に遅し。何か言いたそうに隣にやってきて、顔を覗き込んでくる。
「そんなに見つめられたら照れちゃうよ」
「うるさい、ボケが」
嬉しそうに目を細める湊の腹に、一発パンチを食らわせてやった。
◇◆◇◆
高校三年生と言えば進路を決めなくてはならない時期でもある。
高校を卒業してすぐに就職する奴もいれば、大学や専門学校に進学する奴もいる。
俺の実家は代々医者の家系で、俺も医者になることを望まれてきた。しかし、俺がなりたいのはプロのカメラマンだ。医者ではない。
そのことで父親と揉めに揉めて、家から飛び出し、現在一人暮らし中なのだ。
先日配られた進路調査票にも、カメラマンを養成する専門学校を書いたし、今の成績で医大に進路変更できるはずもない。
あのアパートから、奨学金を借りながら通学できる専門学校を必死で探した。
それでも父親だけではなく、担任の教師からも「もっと現実を見たほうがいい」と説教されてしまう。
所詮、どう頑張っても俺はプロのカメラマンとして生きていくことは厳しい、そう言いたいのだろう。
これから親も含めた三者面談も始まる。
俺は憂鬱でならなかった。
ある日、湊と一緒に下校している時に、将来何になりたいのかを聞いてみた。
商店街は夕方ということもあり、買い物客で賑わっている。
俺はこんなにも悩んでいるのに、行き交う人々の顔はとても明るくて……。こんなことで悩んでいるのは自分だけなのだろうか? と疎外感を感じてしまう。
「湊は将来何になりたいの?」
「俺? 俺は小さい頃から調理師になって、じいちゃんのレストランを継ぎたいと思ってる」
「へぇ、すごいな」
「そんなことないよ。瑛太君のカメラマンになりたいっていう夢だってかっこいいじゃん」
「そうかな……」
湊の将来設計を聞いて、俺はますます卑屈になってしまう。湊には、現実的な夢がある。それに比べて、夢を食べて生きようとしている俺はバクみたいだ。
バクは、この世界では生きていけない。
だからこそ悩んでしまうのだ。
三者面談はもう目の前。プロのカメラマンなんて諦めて、医者とまではいかなくても、父親が望むような医療系の道に進んだ方がいいのだろうか。
そんなことを考えていると、湊が心配になったのか、そっと俺の手を握ってくる。
「ちょ、ちょっとお前、誰かに見られたらどうするんだよ」
「誰にも見られないよ。ここは人があまり通らない路地裏だから」
そう優しく微笑むと、湊は俺の手を慈しむように撫でてくれた後、スルッと指を絡めてくる。
その仕草が、まるで「大丈夫だよ」と言ってくれているようで、俺の肩から少しずつ力が抜けて行った。
「もし瑛太君のご両親がカメラマンになることを反対したら、うちのレストランで働きながらカメラマンの活動をすればいいよ」
「え?」
「俺が瑛太君をお嫁さんにもらってあげるから、心配しないで自分のなりたいものになればいいってこと」
「湊……」
「だから大丈夫だよ」
茜色の夕陽が、ゆっくりと街全体をオレンジ色に染め上げていく。
ふと見上げると、湊の優しい表情が、その柔らかな光に包まれている。
それから何かを言いかけて、はにかんだように口元を緩めた。
「言いたいことがあるなら言えって」
俺が言葉の続きを促すと、湊はとびきり優しい笑顔を向けてくれた。
その表情は、夕陽の暖かさと同じくらい、俺の心にじんわりと染み渡る。ありのままの湊の優しさに、俺の心は安堵感で包まれた。
「瑛太君、将来結婚しよう」
「馬鹿じゃん。日本では同性とは結婚できないんだよ」
「できるよ」
「できないんだって」
そんなくだらないやり取りが、俺の凍り付いた心を、春の日差しのように湊が少しずつ溶かしてくれる。
「俺、自分の進みたい道に進んでいいのかな?」
「うん。瑛太君が後悔しない道を進めばいいよ」
「ありがとう」
「大丈夫。いざとなったら俺のお嫁さんになればいいだけだから」
「だからさ……。まぁ、もういいや」
そんなことはできるはずなんてないだろう? そう言いかけた言葉を俺は飲み込む。
だって、俺の夢を否定しなかったのは湊だけだったから。
湊が今、そっと背中を押してくれた気がした。
「ありがとう、湊」
「ううん。頑張れ、瑛太君」
湊の笑顔が夕陽に照らされてキラキラと輝いて見える。
それと同じくらい、俺の心もキラキラと光を放ち、空高くまで登って行ったような気がした。
◇◆◇◆
三者面談当日。俺は朝から落ち着かなかった。
一緒に登校していた湊にまで「大丈夫? 顔色悪いよ」と心配されてしまった。
俺はとにかく緊張して、昨夜は良く眠れなかった。
きっと「プロのカメラマンになりたい」なんて、みんなの前で言ったら反対されてしまうだろう。もっと現実を見ろ、って。俺は自分の夢を否定されることが怖かった。
大体、母親に会うのだって、数か月ぶりくらいなのだ。
結局俺は、医療系の学校に進学することはやめて、カメラマンを養成する専門学校を三校、進路調査票に書き込んだ。
今日の三者面談には、きっと母親が来るだろう。
母親になんて言われるだろう、と考えるだけで胃がキリキリと痛くなる。
おまけに俺の三者面談の順番が、その日の一番最後なのだ。だから緊張している時間が長い……。俺は廊下の壁に寄りかかり空を見上げる。
先ほどまであんなにも青空が広がっていたのに、空が少しずつ茜色に染まっていく。
「どうしたらいいんだろう」
俺はポツリと呟いてスマホを取り出す。
もう何度も湊にメールを送ろうとしては、やっぱりやめる、を繰り返している。
落ち着かなくて「わー‼」と叫びたくなる衝動を必死に抑えた。
「瑛太、久しぶりね。元気してた?」
そんなことをしているうちに母親が教室の前までやって来て、俺に声をかけてくる。
緊張して口から心臓が飛び出しそうだ。
俺は俯きながらも「うん。元気にしてたよ」と答えたのだった。
三者面談はとりあえず終わった。
母親は特に俺の進路を否定するでもなく、黙って担任の話を聞いてくれている。
俺は最後まで、「絶対にプロのカメラマンになりたい」ということを、母親と担任の教師に訴え続けた。
あまりにも熱くなりすぎて、涙が溢れ出しそうになってしまう。
担任の先生も俺の熱意に負けたようで、最終的には俺の進路を応援してくれた。
母親は何を考えているのか分からなかったけれど、「瑛太の人生だから」と言ってくれたことが、俺は嬉しかった。
なんとか三者面談は終わり、俺は全身の力が抜けてしまう。
本当なら、母親と一緒に帰るべきなのかもしれないけれど「部室に忘れ物をしたから」と噓をついて、母親には先に帰ってもらった。
日が沈み、薄暗くなった部室の床に俺はしゃがみ込む。
遠くから野球部が練習している声が聞こえてくる。もうすぐ下校時刻だ。
「疲れた……」
一日中緊張していた俺は、一度床に座り込んだら立ち上がれなくなってしまう。
「湊に会いたい……」
目の前には先日入賞した写真が飾ってある。
優しい眼差しをした湊が、子猫に傘を差し出している写真だ。
「会いたいよぉ」
俺は膝を抱えて蹲る。
湊は、きっともうとっくに下校してしまっているだろう。こんな所にいるはずがない。
それでも会いたいと思ってしまう。
その時「瑛太君」と優しく名前を呼ばれる。顔を上げると、そこには湊が立っていた。
「なんでここにいるんだ?」
俺が震える声で問いかけると、湊が静かに俺の隣に座り込む。
時計を見ればもうすぐ六時三十分。下校時刻はとっくに過ぎている。
「部室に忘れ物しちゃって、取りにきたんだ」
「そっか……」
もしかしたら、俺を心配して待っていてくれたのかもしれない、なんて、期待してしまった自分が恥ずかしくなってしまった。
「瑛太君」
俺の顔を覗き込んで悪戯っ子のように笑う湊を見れば、顔から火が出そうになる。
ドキドキと胸が高鳴って……息が苦しい。この場から逃げ出したくなった。
湊に、こんなにも会いたかったはずなのに……。
「嘘だよ。本当は待ってたんだ」
「湊……」
「瑛太君が心配で、三者面談が終わるまで、ずっと待ってたんだよ」
少しだけ頬を赤らめて笑う湊は、悔しいけど凄くかっこいい。
ドキドキと心臓が鳴り響いて……。もう、本当にうるさい。
「湊に心配してもらうほど、俺は弱虫じゃないし。たかが進路じゃん? なんとかなるって……」
「そっか。じゃあ、瑛太君の顔を見られたことだし、帰ろうかな」
湊が「よいしょ」と立ち上がってから、俺の方を振り返る。
「瑛太君はどうする? 一緒に帰る? それとも、落ち着くまでもう少しここにいる?」
「俺は……」
「ん?」
湊が優しく微笑むから、危うく涙が出そうになってしまう。こんなところ、彼に見せられない。
「もう少しここにいる」
「わかった。まだ気持ちの整理もついてないだろうから、ゆっくり帰ればいいよ。じゃあ、今日は先に帰ってるからね」
バイバイと背を向けた湊が、少しずつ遠ざかって行く。その光景に、俺の心は駆り立てられる。
──行っちゃう……。あんなに会いたかった湊が、行っちゃう……。
「湊!」
咄嗟に引き止めてしまったことに、自分が一番驚いてしまう。びっくりしたような顔で振り返る湊に、何を言ったらいいかわからず俺は俯いた。
呼び止めてしまったことを、強く後悔する。
どうしよう、どうしよう……。
「瑛太君……」
湊が俺を見てフワリと笑う。その笑顔があまりにも綺麗で、吸い込まれそうになった。
「疲れたなら、抱き締めてあげようか?」
「なッ……」
「ほら、おいで」
そう言いながらフワリと抱き締めてくれた。その瞬間、俺の呼吸と心臓が止まりそうになる。
いつの間にか辺りは薄暗くなり、青白い月明かりが、普段誰も来ることのない廊下を静かに照らし出す。自分の心臓の音がやたらと鼓膜に鳴り響いた。
「よしよし、よく頑張ったね」
「別に頑張ってなんかねぇし」
「でも、朝から顔が強張ってたから、ずっと心配してたんだよ」
そう言いながら俺の首筋に顔を寄せて、そのままそっと唇を押し当てられる。
湊の柔らかい唇の感触が甘い電流となって、全身を駆け抜けていった。
嬉しいけど、恥ずかしい。
でも嬉しい……。
だけど、天邪鬼の俺には、この刺激は強すぎた。
呼吸困難になって、心臓が爆発しそうになる。
「やめて、やっぱり離して」
「嫌だ、離さない」
そう言いながら、更に腕に力を込めて抱き締められる。
「離せよ」
「嫌だ」
文句を言いながら湊の腕の中で暴れてみせるけど「お願い、離さないで」。そう強く望む自分もいる。
でも湊がなかなか離そうとしないから、様子を窺いながら全身から力を抜いた。
すると、湊が俺の頭を優しく撫でてくれる。その温かくて、大きな筋張った手が気持ちよくて。俺は思わず目を細めた。
「湊、疲れた……。眠い……」
口から零れ出た本音。
湊の背中に腕を回してギュッとしがみついてみる。他人の体温ってこんなにも心地いいんだ……。そうボンヤリと思う。
「疲れたなら、今日一緒にアパートに帰ろうか?」
「嫌だよ、一人でゆっくり寝たい」
「えー! つまんないなぁ」
「それより、さっきみたいに頭撫でて……」
「急にどうしたの? 余程疲れたとか?」
「うるせぇよ。いいから撫でて」
湊が溜息をついたあとフッと笑う。少しだけ呆れた顔をしながらも「はいはい」なんて言いながら優しく頭を撫でてくれた。
あぁ、やっぱりこいつの手がめちゃくちゃ好きだ。
言葉になんか出さないけど、俺はそう思いながら湊にそっと体を預ける。
なんでこんなに甘く心が締め付けられるんだろう。
湊の手も体温も好きなのに、素直になれない自分がいて……。切なく疼く感情から目を逸らした。
こんなにも湊に会いたいと思ってしまう。
そして、そんな俺に、湊は会いに来てくれた。



