猫だまり日和商店街の一角にある花屋、『陽だまりの花園』。そのお店は佳奈さん、という若い女の人が経営しているお店だ。
陽だまりの花園はとても可愛い花屋さんで、見たこともないような綺麗な花がたくさん飾られている。ピンクの薔薇に、季節外れの向日葵。そして甘い香りを放つ白い百合の花。
その空間だけ、絵本の中の世界が広がっているように感じられた。
「瑛太君、こんにちは」
「あ、こんにちは」
そう笑う佳奈さんは可愛らしい女性だ。
俺は花には興味がなかったから立ち寄るなんてことはなかったけど、時々挨拶くらいはしていた。
花屋の周りには、花の香りに誘われてか、いつも数匹の猫が店先で日向ぼっこをしながらくつろいでいる。
陽だまりの花園の周りは、そんな穏やかな雰囲気に包まれていた。
ある日、ふと佳奈さんの店先に並んでいた花の中に、アルタで見かけた花があることに気づき、ふと立ち止まる。すると、佳奈さんが声をかけてきてくれた。
「瑛太君、お花とか興味が出てきましたか?」
「え? 花ですか?」
「はい。やっぱり男性ってお花とか興味ないのかなって」
「あぁ、そうですね……すみません、あまり興味がなくて……」
「ふふっ、そうですよね」
下校途中に話しかけられた俺は、困惑してしまう。花屋の店員さんを前に「花に興味はありません」なんて、言いにくかったから。
「ちょっと花について勉強してみます」
「そんな、無理しないでくださいね」
でもそんな俺に気を悪くする様子もなく、佳奈さんは笑っていた。
◇◆◇◆
『今から瑛太君の家に行ってもいい?』
夜の七時を回った頃、突然メールが届く。
「こんな時間になんだろう」
もうとっくに部活も終わっている時間だろう。一体何の用だ……。
首を傾げながらも、断る理由もなかったから『別にいいよ』と返信した。
その直後、ピンポンとインターフォンが静かな室内に響き渡る。
「え? まさか……」
恐る恐る玄関に向かえば、「瑛太君、実はもう部屋の前まで来てるんだ」という湊の声がドア越しに聞こえてきた。
(え? もう?)
玄関に置いてある鏡で自分を見て驚愕する。風呂から出たばかりの俺は、髪もビショビショで洒落っ気も何もないルームウェアを着ている。
こんな格好で湊に会うのは……。
心の中で葛藤するが、アパートの外の廊下でいつまでも湊を待たせるわけにはいかない。
仕方ない……。
諦めた俺は玄関のドアをそっと開く。それと同時に冷たい風が室内に流れ込んできた。
「寒いー!」
そう叫びながら湊が突然抱きついてきたから、思わず尻もちをつきそうになったのを必死に堪える。湊の体は冷え切っていた。
五月になって日中は温かいけれど、夜になると一気に気温が下がる。
湊の体は冷たくなってしまっていた。
「急にどうしたんだよ?」
冷たい髪を撫でながらそっと問いかければ、背中からガサガサッという音が聞こえてくる。
「これを瑛太君に渡したくて……」
「え? 何かくれんの?」
「俺、今めちゃくちゃ恥ずかしいから、絶対に笑わないでね」
「ふふっ。なんだよ、それ」
「こんなことするのは瑛太君が初めてだから……。死ぬほど恥ずかしいけど、どうしても瑛太君にプレゼントしたくて……」
「なんだよ、湊。どうした?」
物凄い力でしがみついてくる湊の体をそっと離して、顔を覗き込む。こいつには珍しいくらい必死な顔をしていたから、こっちにまで緊張が伝わってきた。
「これ、受け取って」
「え、これ……どうしたの?」
「恥ずかしいから深くは聞かないで」
「なんだよ、それ……」
湊から押し付けられるように渡されたのは、真っ赤なチューリップの花束だった。
少しだけ時季外れに咲くチューリップは、とても可愛らしい。肌寒い玄関にフワリと春の香りが漂った。
「なんで突然チューリップの花束……?」
「お願い、それ以上は聞かないで」
「でも、チューリップ……。凄く可愛いな。ありがとう、湊」
「よかった、喜んでもらえて」
「でも花瓶がないや。明日一緒に買いに行こう」
「うん!」
顔を真っ赤にしながら笑う湊の頭を、そっと撫でてやる。それは無意識のうちにしてしまったことだけど、湊のことが愛しくて仕方なかった。
突然の贈り物を、大事に大事に抱き締める。
湊が帰ってから、もう一度チューリップの花を手に取り、そっと眺めた。
チューリップの花はとても可愛らしくて、見ているだけで心が温かくなる。
俺は、この可愛らしさを、この感動を永遠に留めておこうと思った。
「生憎、いいカメラなんてないからスマホで……」
そう呟いて、俺はスマホを取り出した。
カシャ。
レンズ越しに覗く花は、更に可憐さを増しているように見える。
俺はこの一枚の写真に、湊への感謝と、この美しい瞬間の感度を、そっと閉じ込めた。
◇◆◇◆
「あの……。佳奈さん、ちょっといいですか?」
「あ、瑛太君。急にどうしたんですか?」
学校帰りに花屋に立ち寄って、佳奈さんにそっと問いかける。俺はどうしても、突然湊がチューリップをくれたことが気になって仕方がなかったのだ。
佳奈さんは店先にいる猫の頭を撫でながら、俺を見上げた。
「この前、突然真っ赤なチューリップをプレゼントされたんですが……」
「えぇ⁉」
「え?」
すると佳奈さんは真ん丸な目を更に見開いて言葉を失ってしまった。そんな佳奈さんの反応に俺もびっくりしてしまう。
こんな俺がチューリップをプレゼントされたなんて、気持ち悪いと感じたのだろうか。
言わなければよかった……と後悔してしまった。
「あの……。この商店街に最近引っ越してきた男子高校生いるじゃないですか?」
「最近引っ越してきた男子高校生?」
「めちゃくちゃイケメンの子です」
「あぁ、湊のことですか?」
「あ、そうそう、湊君です」
最近では湊の名前を聞くだけで心拍数が上がってしまう。それを佳奈さんに悟られたくなくて平静を装った。
「あの人はお花に興味があるのかな? 花言葉を教えてあげたら凄く真剣に聞いてくれたんです」
「花言葉、ですか?」
「はい。あまりにも真剣だったから、私、図々しいことに『もしかして誰かにお花をプレゼントしたいんですか?』って聞いたんです。そしたら顔を真っ赤にしちゃって……。お付き合いしたいくらい好きな人がいるんです、ってこっそり教えてくれました」
「へぇ……」
予想もしていなかった佳奈さんの言葉に、俺は真剣に耳を傾けた。
「湊君に、告白するときに渡すにはどんな花がいいですか? って聞かれたから……」
「え?」
また、心臓がうるさいくらい高鳴り出す。いつか急に止まってしまうのではないか……って最近は不安になるくらいだ。
「だから私、告白するなら真っ赤なチューリップがいいですよって教えてあげたんです」
「真っ赤なチューリップ……」
「はい。真っ赤なチューリップの花言葉は……」
「花言葉は……?」
俺は緊張のあまりゴクンと息を呑んだ。その瞬間。
「瑛太君、お疲れ!」
「あ、え? 湊? 今日はもう部活が終わったの?」
「うん。今日は顧問の先生がいなかったから、早く終わったんだ」
「そっか……」
湊が突然俺に後ろから抱きついてきたから、二人の会話を遮られてしまった。
なんだよ、いいとこだったのに……。
俺は心の中で小さく舌打ちする。
「佳奈さんは仕事で忙しいんだから、無駄話なんかしてたら迷惑だよ」
「はぁ? 今声をかけたばかりなんだけど?」
「でも、迷惑なものは迷惑です!」
「ふふっ。仲がいいんですね」
そんな俺達を見て佳奈さんが笑っている。
「べ、別に仲良くなんか……!」
俺が必死になればなるほど滑稽に見えるらしく、佳奈さんが腹を抱えて笑い出す。
「仲が良くて本当に羨ましいです。いつかお二人に幸せが訪れますように……」
透き通るような佳奈さんの瞳が、とても印象的だった。
アパートに到着して、すぐにスマホで赤いチューリップの花言葉を調べてみる。
湊には「絶対に変な詮索はしないでよね!」と何度も念を押されたけれど、気になって仕方ない。
(ごめん、湊。やっぱり気になる!)
俺は心の中で謝罪してから、スマホの画面を食い入るように見つめた。
「マジか……」
検索結果に全身の力が抜けて、思わず壁に寄りかかった。
真っ赤なチューリップの花言葉は、『愛の告白』。
俺は後日、チューリップのお返しに湊に五本の薔薇を買った。
薔薇なんて高級な花を買うのは生まれて初めてで、佳奈さんのお店で体が凍り付いてしまう。さすがに真っ赤な薔薇は恥ずかしかったので、黄色い薔薇にしてもらう。
そんな俺を見て、佳奈さんが「本当に可愛いね」と笑っていた。
俺は佳奈さんに綺麗な薔薇をラッピングしてもらってから、震える手でスマホをタップする。数回のコールの後、「もしもし?」という湊の声が聞こえてきた。
その瞬間、スマホを持つ手に力が籠る。
何かを話さなくちゃ、と思うのに、言葉が出てきてくれない。
「もしもし? 瑛太君? どうしたの?」
スマホ越しから、湊の不安そうな声が聞こえてくる。
俺は呼吸を整えてから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「湊に渡したいものがあって、今アルタの店前にいるんだ。外に出てこられるかな?」
「OK。今すぐ行くから待ってて」
電話を切った瞬間、俺の鼓動がどんどん速くなっていくのを感じる。
「あ、瑛太君。急にどうしたの?」
湊が嬉しそうな顔をしながら俺に近づいてくる。
一歩、また一歩と湊が近づいてくるたびに、呼吸をすることさえ忘れてしまいそうなほど緊張してしまった。
なぁ、湊。五本の薔薇の花言葉を知っているか?
五本の薔薇の花言葉は『あなたに出会えて本当によかった』、だよ。
花言葉に思いを込めて……。



