黄金列車のカンパネラ

 19xx年のあの日私は、何十人の下層民の命よりも価値のある上層階級の貴族を乗せた列車を任されていた。

 長年、列車の運転手として多くの命を運んできた自分だが、あれ程責任と高揚を感じながら運転台のドアに手をかけたことはあっただろうか。

『貴族の方々が乗られるのだから、隅々まで綺麗に』

 各車両を掃除している清掃員たちに、局長がわざわざ、それぞれの場所に回りながら口酸っぱく言っていたせいだろうか。

 運転台は煤を被っていたのに、窓の隅まで丁寧に磨き上げられていた。

 車掌のするどい笛が遠くのほうから聞こえてくる。

「発車用意、よし」

 ハンドルに手を置く。

「カンパネラさん、今日はいい日になりますよ」

 機関助士は手にスコップを握り、汗を拭っている。局長と目配せをしながら、「そうだな」と返す。

「発車」

 汽笛のハンドルを下ろすと、甲高い汽笛が脳を揺らして通り抜けていく。

 列車は徐々に加速していき、駅舎に隠れていた太陽は顔を出して焚口戸を照らす。片道だけの、煤けた栄光を持つ列車は、出発した。

 きっと窓の外に見えるあの農場から見たら、日に照らされた朱色の車体が輝いて、煙突から白い煙を吐く「ハルアト0982」の姿が見えるのだろう。

 海沿いの道を通って東に向かい、そのまま国境を越え、ヒウリフ共和国の首都に向かう予定の列車は、海から離れていく。

 きっと、乗客たちは、ヒウリフの丘に広がる黄金の海のような小麦畑を見れると、呑気に喜んでいるのだろう。

 計画通りに、どんどん列車は人気の無い森へと入って行く。

「煤けた車庫の次は、こんな森の中なんて、『黄金列車』も気の毒だなあ」

 機関助士が石炭を焚口戸に放り投げながらそう言う。

 かつては貿易に使われていて、多くの黄金を運び「黄金列車」と親しまれ、子供時代の核となっていたこの列車も、戦争を前にしては敵わず、車庫に追い込まれた。

「でも、狭い車庫より、広々とした森で忘れられていく方が、列車は嬉しいと思いますよ」

 それを聞いた機関助士は、がっはっはと大笑いをし、

「そうだな。あんなところに置いてたら、勇み足の王族が戦争でもおっ始めたときに壊されかねねえ」

 と、言いながら休めていた手を再び動かし始めた。

 列車では数十分程だが、歩くとなると数時間はかかる森の中、列車は減速していく。

 この列車に乗っている貴族の価値はきっと、田舎町一つにいるものより高いだろう。

 なぜなら、この列車に乗っているのは王都郊外の町を牛耳って王族の命令に従わない大層な権力を持った貴族たちなのだから。

(たとえ計画が成功しても、あの人と同じところには行けないな)

 いや、きっとその方がいいのだろう。舌足らずの自分がいても、場違いなだけだ。

 そんな物思いにふけりながら、ハンドルを下ろす。ヒウリフと王国の国境間に広がる大きな森のなか、「ハルアト0982」は停車した。

 見慣れないものに怯えているのか、動物の気配はしない。森に一瞬、静けさが舞い降りたが、すぐにそれは叩き落とされた。

 列車の外から大勢の足音と話し声が聞こえる。ここらに民家は無いので、貴族たちが客車のドアをこじ開け、こちらへ向かってくるのだろう。

「貴族って言うのは、気が早いなあ」

 機関助士が呆れたように言う。

「町一つを思いのまま、の生活ですから、気に食わないと我慢が出来ないのでしょう」

「本当にふざけたやつらだよ。人の女房を...」

 機関助士は不愉快な記憶を呼び起こしてしまったのか、口をつぐんだまま黙り込んだ。

 少しの間、運転台には無音が響いたが、運転台のドアをこじ開けようとする音が静けさを破った。

「まあ、お互い健闘を祈りましょうや」

 ドアを開ける音と被さったが、機関助士の声はどこか諦めたような声をしていた。