ハルノトリのつがい ~白い結婚を求められた元巫女は、白衣の小児科医に溺愛される~

「当院に何か……御用ですか」

 琴絵は淡々と言葉を吐いたつもりだが、全身の震えは止まらず、声がわずかに裏返ってしまった。怯えている琴絵を見て敦史は鼻を鳴らす。

「妻と娘を探しに来たんだよ。ここに来たのではないかと」

 ――妻と娘? もしや愛人のカナエさんと再婚を?

「娘が熱を出していてな。病院は金がかかるから行くなと言ったのに、隣人が言うには、カナエが血相を変えて〝近くの小児科はどこか〟尋ねたという。ここしかねーだろうが」

 ――今し方、診療室に通した母子は、まさか。

 琴絵を影ながら苦しみ続けた元凶。愛人相手とその子どもなのではないか。琴絵の膝が得体の知れぬ感情に支配され、小刻みに震え出す。

「おい、質問に答えろ! カナエとミツは来ているのか!」

 幼子の名前がミツということを、琴絵は今、初めて知った。

「あの、先程から主人の声が……聞こえるのですが、まさか」

 診療室から、先程の女性がおそるおそる顔を出す。その声を耳に入れた敦史は「チッ」と舌打ちすると、ドカドカと騒がしい足音で医院の通路へと近付く。

「やっぱりここか。カナエ! よりにもよってなんでこの病院に来た!」

 敦史は病院いっぱいに響き渡らんばかりの大声で、診療室から出て来たカナエへ怒鳴る。

「近くで子どもを見てくれるところは、ハルノトリ医院だって聞いたからよ!」
「馬鹿たれが。ここはヤブだぞ! こんなところに娘を診せやがって!」

 敦史はずんずんと近付き、カナエの頬を平手ではたいた。それを見た待合室の母子たちは顔をしかめ、子どもたちは親の背中に隠れた。

「聞き捨てなりませんね。何を根拠に、うちがヤブだと?」

 診療室から出て来た徹平は、毅然とした態度で敦史の前に仁王立ちした。

「徹平。おまえの人をなめ腐った、その態度が、ヤブの証拠だろう」
「それは主観です。新聞社にお勤めなら、記者は公平な視点を持つべきでは?」
「新聞社は辞めた。あんな馬鹿共と付き合っていられるかよ」

 琴絵は聞き違いではないかと耳を疑った。敦史は自分が記者であることを鼻にかけていたというのに。

「現在は何のお仕事を? 青柳(あおやぎ)の屋敷は売りに出したと聞きましたが、お住まいは?」
「ヤブ医者に答える義理は無い。俺は妻子を養うので忙しいんだ!」
「それはそれは。では治療費は、当然貴方が支払ってくれるのですね」
「ハッ。熱を出した子どもを診たくらいで、楽なモンだよなぁ、医者ってのは」
「お嬢さんは熱性の痙攣を起こしたのですよ」

 敦史は「痙攣?」と聞き返し、眉を寄せる。

「熱を出した幼い子どもがよくかかります。大抵、数分で痙攣はおさまりますが長く続く場合は危険だ。奥様の判断が正しい」
「おい。娘は……何か重い病気なのか?」
「子どもがよくかかると申したでしょう。ほとんどの場合、幼児期のみの限定的症状です。まれに症状が残る場合があります。予後が良好か否かで判断されます」
「そうやって病気だなんだと言って、金を巻き上げるつもりだな!」
「経過観察が大事だと話しているだけです」

 徹平は冷静に返すが、敦史は頭に血が上っており、とりとめのない罵詈雑言を浴びせた。いくら丁寧に説明しようとも、相手が遮るので、徹平も対処の仕様が無く渋面である。


「君も昔、熱性の痙攣を起こしたことがあるよ、敦史くん」


 そう言い放ち診療室から出て来たのは、急患と聞いて加勢に回っていた院長の基平だ。彼の隣に立つ看護婦の夏月は、ようやく痙攣がおさまった虚ろな表情の女児を抱えていた。

「君は幼かったから憶えていないだろう。ちょうど君のお母さんが青柳家を去ったあとのことだったね。(はじめ)さんが幼い君を両腕に抱えて、当院を訪れたんだ。その時に君を診たのが私だ」

 院長の基平は、大人の姿をした中身が子どものままの敦史を針のような視線で射貫く。

「それれから何年も子育ての苦悩を経験して、(はじめ)さんの性格はようやく丸くなった。それに対して、あの時ここに運び込まれた君は、あの日の痙攣など嘘のように、いつぞやうちの(せがれ)を拳で殴り、最近では琴絵さんに出血を伴う大怪我を負わせた。(たくま)しくなったね、医師の予想以上に」

 基平が皮肉節をきかせると、待合室にいた親子たちが、ひそひそと囁き合う。

 あの男の名字は?
 奥さんの名はカナエ?
 娘の名はミツと言っていたわ。
 琴絵さんにも大怪我を負わせたんですって。
 あの男、前科があるのかしら、と。

「ことえ、と言った? まさか貴女が……」

 再婚相手であり敦史の元愛人であるカナエは、気まずそうに顔をしかめると、琴絵から視線を逸らした。カナエは今まで琴絵と面識は無かった。敦史が琴絵に興味が無いことをうかがっていたので、きっと不細工なのだろうとたかをくくっていたのだ。

 だがカナエの想像とは真逆に、琴絵は背筋の真っ直ぐに伸びた品性の良い女性だ。それに比べて今のカナエのだらしのない装いと来たらなんだろう。カナエは激しい劣等感に襲われた。

「琴絵さんは、(せがれ)(つがい)になる女性だ」

 基平の一言が、さらにカナエを絶望の水底に突き落とした。院長の倅。つまりは医院の跡継ぎ息子。ここにいる白衣を着た若い男は、徹平しかいない。

「そう。貴女の目の前にいる、その男が私の(せがれ)だよ」

 カナエは、徹平と琴絵へ視線を往復させる。自分は敦史に愛され、娘も生まれ、幸せになったはずだった。けれど琴絵は、それ以上の幸せをつかんだのだ。

「帰りましょう、あなた」

 カナエはここにいるのがいたたまれなくなり、看護婦の夏月の腕から、返せと言わんばかりに愛娘のミツを乱暴に奪い取った。

「娘さんは痙攣の時間が長かった。(せがれ)の言う通り経過観察は大事だ。しかし、この次は、余所(よそ)の医院で診ていただきたい。正直、こちらとて複雑な心情なのでね」

 カナエは「はい」と小さな声で淡泊な返事をしたが。

「ああ、そのつもりだとも! こんなヤブに払う金も惜しい!」

 頭に血が上った敦史は、かつて自分を診てくれた基平に、怒号と冷笑を浴びせた。カナエと共に病院を足早に去ろうとしたが。

「ちょーっと待って。治療費の支払いはきちんとしていただきます」

 看護婦の夏月が一足早く玄関先へ回り、通せんぼした。

「通せ! 大した治療もせずに金を取る気か」
「支払わなければ、警察を呼びますよ」
「そこをどけ!」

 敦史が右手を振り下ろした瞬間、夏月の前にサッと人影が飛び出す。その人は受付用の書類挟みを盾にして、敦史の暴力から夏月を防いだ。

「琴絵……おまえ」
「当院の看護婦さんに、乱暴はお止め下さい」

 琴絵は書類挟みを下げると、敦史を睨み付けた。

「お支払いを」

 今まで敦史が見た事のない琴絵の冷たい気迫に、敦史は怯む。彼は舌打ち、受付で申しつけられた金額を支払うと、妻子と共にハルノトリ医院を逃げるように去った。

「念には念を入れて、青柳(あおやぎ)敦史および妻子、立入禁止の張り紙をしましょうかね」
「徹平さんったら」
「琴絵さんが無理をするからです。血の気が引きましたよ。分厚い書類挟みで良かった。どこもぶつけていないですね?」
「大丈夫ですよ。ちゃんと防ぎましたから」
「あっ、その書類挟みは新しいものに替えましょう。敦史の手のあとがしっかり残ってしまった。曰く付きの呪物だ」
「あら、本当ですね」

 書類挟みに付着した、敦史の手の脂がテカテカと光った。

「拭けばいいですよ、徹平さん。物は大事にせねば。そして物以上に人命は(たっと)ぶべきもの。ここにご縁があって学ぶことばかりです。徹平さん、基平先生、夏月さんのおかげです」

「お互い様よ。それにさっきは助けてくれてありがとう、琴絵さん」

 夏月は「格好良かったわぁ!」と興奮気味だ。

「さすが当院の看板娘、いや看板嫁になる人だ」

 基平が感慨深げに言うと、それを聞いた待合室の親子たちから黄色い声が上がった。

「やっぱり! 琴絵さんと徹平先生、結婚されるんですね」
(せがれ)(つがい)だと、基平さんが先程(おっしゃ)ったわね」
「おめでとうございます! お二人、とってもお似合いだわ」

 青柳(あおやぎ)夫婦の来襲で張り詰めていた空気は一変、老いも若いも二人の門出を祝い、待合室は和気藹々とした。

「さあ、診療を始めましょう」

 徹平が呼びかけ、それぞれが配置につく。
 小児の患者さんは徹平へ、大人の患者さんは基平の診察室へ、琴絵はテキパキと患者様を誘導していく。この仕事に彼女は生き甲斐を感じていた。愛する人のそばで、命を守るお手伝いができることに。

 老いも若いもここでは皆平等、ハルノトリ医院は、人生という荒波を渡る鳥たちの翼を癒やし、健やかな日常へ飛び立つお手伝いをする。春告鳥(はるつげどり)(つがい)と共に、末永く。

【おわり】




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咲良あさひ