ハルノトリのつがい ~白い結婚を求められた元巫女は、白衣の小児科医に溺愛される~

 琴絵と徹平の祝言は三月の彼岸を過ぎた後、卯月のはじめに執り行うこととなった。

 此度の結婚を諸手を挙げて喜んだのは、他でも無い基平と、看護婦の夏月だった。

「やっぱり私の勘は正しかったわね。ぜーったい徹平先生は琴絵さんをお好きだと思っていたもの。大当たりね。ああもう看護婦じゃなくて占い師の方が稼げたかもしれないわ」

 二人の仲を密かに推していたという夏月は、至って上機嫌であった。

「私も勿論気付いていたよ。琴絵さんが受付をしてくださるようになる前から、何かと彼女のことが話題にのぼっていたからね。めでたいねぇ。嬉しいねぇ」

 基平は休憩室でお茶をすすりながら、ほっこりとした面持ちである。

「あの、今まで以上に皆様のお役に立てるよう頑張りますので、よろしくお願いします」

 琴絵が深々と頭を下げる。

「真面目だねぇ」
「かたいかたーい。琴絵さん、カッチコチよ。肩の力を少し抜きなさい」

 夏月が琴絵の強ばった肩を、手もみする。

「寝ても覚めてもいろいろ考えてしまうんです。徹平さんの帰りが遅いと、心配になってしまったり」
「安心しなさい。余所(よそ)の女にのぼせる器用さだけは、私に似て持ち合わせていないから」
「違うんです。基平先生。事故でもあったのではとか、往診先で何かあったのではと」
「心配性ね、琴絵さんは。まぁ、確かに。もうすぐ午後の診療が始まっちゃうわ」

 夏月は「一時」に近付く柱時計を指差し、眉を寄せた。

「ただいま戻りました」

 すると医院の勝手口が開いて、往診鞄を手にした徹平が戻ってきた。

「お帰りなさい、徹平さん」

 琴絵は安心感で満ちて胸をなで下ろした。

「遅かったじゃないですか、徹平先生。どこで油を売っていたんですか」

 夏月は、眉を逆さまの八の字にして問う。

「琴絵さんのお好きなものを見つけたので、寄り道を。どうぞ」

 鞄から取り出したのは、瓶に入った、鞠のように鮮やかな飴玉である。

「これはひょっとして! 手まり飴ですか」
「そう。琴絵さんはお好きでしょう。以前、往診の帰りだったかな、貴女に差し上げたら、とても美味しいと喜んでいらっしゃったから」

 青柳(あおやぎ)家の軒先で洗濯物を干していた時だ、と琴絵は思い出す。「琴絵さん」と声がかかったので振り向くと、垣根の向こうに徹平がいて「良いものを差し上げます」と手の平に載せてくれた。一粒で哀しいことが全部溶けてしまうほど美味しかったのだ。

「全部、琴絵さんのですよ」
「この飴……全部ですか? でも、せっかくだから、皆さんでいただきたいです」

 琴絵、徹平、基平、夏月は一粒ずつ、手まり飴を口に含んだ。おいしい、あまい、と同時に感嘆が零れる。甘味一粒で人は優しくなれるのだ。

「さあ、午後からも頑張ろうかね」

 基平が自分の診療室へと下がる。徹平は小児の診療室へ、夏月は消毒を終えた医療器具の回収をはじめた。琴絵は受付に座り、午後の診療開始前に早めに待合室にやってきた患者様の対応に回る。柱時計の鐘が一時を報せたので、最初の患者様を診療室へ通そうとした、その時だった。

「あの! ごめんください!」

 幼子を抱えた母親らしき女性が医院に飛び込んできた。ねずみ色の皺の寄った小袖をまとっており、結髪はほどけて乱れており、真っ青だ。

「あの! この子の様子が! 手足がしびれたままで! おかしいんです」

 女性の腕の中で、ちりめん柄の着物にくるまれた幼児は、背を大きく仰け反らせ、手足をビクビクと激しく痙攣させていた。白目を剥いており、口からは小さな泡沫がプツプツと音を立てて弾けている。

 ――急患だわ。これは大変。

 琴絵はすぐに徹平のいる診療室へ走った。徹平がすぐに待合室に出て来て、母親の腕にいだかれた幼児の様子をのぞきこむ。

「いつ頃からこの痙攣が始まりましたか」
「つい先程からです。朝方から熱があったのですが……どうしたら良いか分からなくて」
「大丈夫、落ち着いて。さあ、中へどうぞ」

 徹平は母子を診療室へ促す。突然の急患で、待合室の子どもたちも不安そうに様子をうかがっていた。

「申し訳ございません。順にお呼びいたしますので、もうしばらくお待ちください」

 診療を待っていた母子たちに、琴絵はひたすら頭を下げた。

「琴絵さんのせいではないのだから謝らないで。それに今の子、たぶん大丈夫よ」
「ええ。あのくらいの年の子なら、よくあるわ」

 着物姿の母親たちが口々に言い始めたので、琴絵は目を丸くした。

「よくある? どういうことですか?」
「ほら、さっき徹平先生がたずねられたじゃない? 熱がありましたかって。小さい子って、熱を出した時に、あんな風に痙攣が起こることがあるのよ。この子も昔、さっきの子と同じような感じになったわ」
「えっ、僕も? ケホッ、コホッ」

 待合室の本を読んでいた八歳の風邪引き少年は、目をぱちくりとした。

「大体、すぐに治るのだけど、痙攣が長引くと危険らしいわね」
「まぁ、様子見ってところじゃない?」
「皆さん……お詳しいのですね。流石です」

 琴絵が感心の眼差しを向けると、母親たちは「普通よ」「そうそう」と頷き合った。

「小さかったし、さっきのお母さん、初めて経験したのかもね」
「ここに飛び込んできたということは、近くにお住まいなのかしら。あまり見ない顔ね」
「同じ地区の母子なら知っているはずだけど。越してきたばかりとか?」

 母親たちが囁き合っていると、医院の扉が再び勢いよく開かれた。


「おい、カナエ! ここか?」


 その男はゼェゼェと息を切らしながら、汗だくで扉をくぐった。待合室の母子たちは、男の纏う汗臭さと煙草の臭いに顔をしかめる。院内をぎょろぎょろと見回す男の視線は、受付に立ちすくんでいる琴絵に止まった。

「おまえ……なんでここにいるんだよ、琴絵」

 敦史だ。琴絵は総毛立つと、壁際へ一歩後ずさった。

 ――なぜここに? 地方の支社へ異動を願い出たと話していたし、青柳(あおやぎ)の屋敷も無人のはずなのに。

 青柳の屋敷は、売りに出されたと聞いていた。