ハルノトリのつがい ~白い結婚を求められた元巫女は、白衣の小児科医に溺愛される~

 旧姓、花柳(はなやぎ)
 花柳(はなやぎ)琴絵(ことえ)は、帝都から離れた片田舎の神社で、巫女として奉仕していた。
 だが昨年の冬、両親から突然縁談話をもちかけられた。

「琴絵。お前をぜひ嫁にと望んでいる家があるのだよ。青柳(あおやぎ)家というのだが……」

 花柳(はなやぎ)家と青柳(あおやぎ)家はその昔、同じ主君に仕えていた名のある武家であったという。

 だが主君を招いた武芸大会において、花柳(はなやぎ)家の跡取りが、対戦相手に「不正を働いた」と難癖をつけられたことがあるという。「主君の目を汚すような真似を」と糾弾された花柳(はなやぎ)家の盾となり「根拠の無い言いがかりだ」と味方になってくれたのが青柳(あおやぎ)家とのことだった。

青柳(あおやぎ)家が苦しい時には、花柳(はなやぎ)家が助けると約束を交わしたのだ」
青柳(あおやぎ)家は今、ご当主の(はじめ)様が詐偽に遭い、資産を根こそぎ奪われてしまったの」

 琴絵の父と母は、青柳(あおやぎ)家が被った受難を事細かに語った。

(はじめ)様はご病気になり、敦史様は新聞社にお勤めになった。(はじめ)様をお支えしようと日夜勤められているという。だが青柳(あおやぎ)家の受難が、跡取りの敦史様と縁談があがっていた他家にも広く伝わって、破談続き。嫁入る者がいないという」
「そこで(はじめ)様が、花柳(はなやぎ)家の御嬢様を、敦史様の伴侶にと、求められてきたの」

 父と母から事情を聞き、琴絵は青柳(あおやぎ)家の窮状を救ってあげたいと思った。聞けば使用人を雇う余裕も無くなったので、敦史が一人で患った父の面倒を見ているというではないか。

「私が、お力になれるのならば」

 そうして琴絵は嫁入りを決めた。
 しかし敦史から初夜に告げられた「白い結婚」を求める一言は、琴絵の決意を根本から瓦解するものだった。

 ――こんなことならば、あのまま巫女として奉仕をしていたかった。

 悔いても仕方無い。
 嫁いだからには青柳(あおやぎ)家の為に力になろうと賢明に勤めたが。

朝餉(あさげ)は良い。昨日、多少飲み過ぎたから胃もたれしているんだ。仕事に行ってくる」

 炊きたての白米が載った食膳を、敦史は寝ぼけ面で拒否した。

「父の世話を頼む。それじゃ」

 敦史は足早に仕事用の鞄を一つ携え、家を後にした。神社で奉仕の心を身につけた琴絵にとって、誰かの為に日夜働くことは苦は無かった。しかし一つの恐れを心の中から拭うことができない。

 ――(はじめ)様にもしも大事があったら、私はこの家で居場所を失ってしまう。

 青柳(あおやぎ)家の老いた当主の介護という役目が解かれた時、彼女に残るのは、白い結婚を望んだ夫と、この無駄に広い空虚なお屋敷だけである。

 ――ダメよ、悪い考えは禁止。このような暗い考えは神様が最もお嫌いになるものよ。

 琴絵は自分に言い聞かせ、洗濯に取りかかる。朝の太陽が昇る東向きの庭に竹竿を並べて、そこに三人分の洗濯物を干した。春風が洗濯物を鯉のぼりのように泳がせる。

「神様。今日も良い一日でありますように」

 琴絵は目を閉じると、天に祈りを捧げた。

「今日はもう良い一日になっていますよ」

 垣根の向こうから、朗らかな声がかけられた。

「あっ、おはようございます、徹平(てっぺい)先生」
「おはよう、琴絵さん」

 垣根の向こうから、白衣を纏った男性が、にこやかに手を振る。

 彼の名は春告(はるつげ)徹平(てっぺい)青柳(あおやぎ)家の近所にあるハルノトリ医院の跡取り息子だ。徹平は敦史と同じく年は二十五という。

 ハルノトリ医院の開業者は、徹平の父親の春告(はるつげ) 基平(きへい)である。この医院は元々大人の内科医であったが、子持ちの家庭が多く住む住宅地の中にあるため、しばしば小児の診察もしていた。

 明治より〝小児専門医〟の重要性が世間で説かれるようになったのをキッカケに、跡取りである徹平が最新の医学に触れるようになる。父は大人、息子は小児と、親子で負担を分けてハルノトリ医院は回っていた。

「往診の帰りでございますか」
「ええ。それから少々寄り道を。どうです、これ」

 徹平は革鞄から、模様も色も様々な正方形の紙束を取り出した。

「折り紙ですか」
「そうです。医院の待合室で手持ち無沙汰な子どもが多くって。折り紙を置こうかと」
「ステキな考えです、徹平先生。そうだ、折り紙の教本なども一緒に置いたらどうでしょうか。巷の書店にありますよ」
「それは良い考えです。琴絵さんは、お詳しいですね」
「巫女として奉仕していた折、近所の子に折り紙をせがまれることがあったので」
「なるほど、それで。――あっ、(はじめ)さん。おはようございます」
「やあ、徹平くん」

 よろよろとした足取りで、縁側に(はじめ)が顔を出した。

「お義父(とう)様、御用でしたら私をお呼びしてくださいと」
「ちょいと厠に出て来ただけだよ。おっと」

 (はじめ)が足をもつらせて壁に寄りかかる。琴絵は縁側へ走り、よろめいた(はじめ)の肩を支えた。

「お義父様、お怪我は?」
「大丈夫だよ」
「琴絵さん、待って。一人じゃ危ない! ちょっと失礼」

 徹平は垣根をひょいと越えると、琴絵の反対側から、(はじめ)の肩を支えた。

「すまないね、二人とも。ありがとう」
「厠までお連れしましょうか」
「ああ、今済んだばかり。部屋に戻るところさ」

 琴絵と徹平は、(はじめ)を部屋まで介助すると、布団にゆっくりと寝かせた。

「ありがとう、琴絵さん、徹平くん。春になったというのに、今年の冬の寒さが身体に応えたようでね、最近はすっかり足腰が重くなってしまった」
「ご療養中ですから、仕方のないことです。安静にされて、無理はなされないで下さい」
「ありがとう、君は昔から……優しいね、徹平くん」

 (はじめ)は「ありがとう」ともう一度言って、徹平の手を弱々しく握った。

「うちの敦史とは大違いだよ」
「彼はとても忙しいので、仕様が無いです」
「そうだね。私が騙されなければ……敦史が私を嫌うこともなかった」

 父親の(はじめ)が詐偽に遭い資産を失ったことで、そのしわ寄せは全て敦史に来た。だから敦史は、(はじめ)を嫌っているのである。

「行方を眩ませた詐欺師が悪いのであって、(はじめ)さんが悪いのではありませんよ」

 徹平が優しく語りかけると、(はじめ)の目に涙が浮かんだ。

「ありがとう。でも、悔やむことが多くてね。敦史は……せっかく嫁入ってくれた琴絵さんを大事にしてくれない。私は(せがれ)だけでなく、義理の娘まで不幸にしてしまったのではないかと……私が彼女を望んだばかりに」
「お義父(とう)様、それは杞憂だと何度も私は申し上げましたわ。そのようにご自分を責めてはお身体に触ります。どうかお休みくださいませ」

 琴絵は(はじめ)をなだめると、徹平と共に、そっと彼の部屋を退室した。

「徹平先生、ありがとうございます。とても助かりました」
「あ、いえ。しばらく見ないうちに、(はじめ)さんがすっかり弱ってしまって、驚きました」
「お食事もあまりすすまなくて。消化に良いものを選んではいるのですが」
「献立を考えるのも、大変ですね」
「いいえ、楽しいですよ。あっ、徹平先生、待ってください。今、お茶を淹れます。応接間へ……」
「お気遣いは不要です、琴絵さん。これから診療の予約があるので。それではまた」

 縁側に戻った徹平は、脱いでいた靴を履いた。

「琴絵さん。これは……医師としての勘なのですが……その」

 徹平は急に真面目な表情になると、彼女を真っ直ぐ見つめた。

「今は春ですが……(はじめ)さんは、今年の夏、もたないかもしれない」

 琴絵は目に映るもの全てがモノクロになってしまったかのような衝撃に襲われた。

「もたない? そんな……」
「足腰の使い方、呼吸、体重も随分と落ちていらっしゃる。冬を越せたのは奇跡です。しかし今年の夏は……お身体に堪えるかもしれない」
「ど、どうすれば……今飲んでいるお医者様のお薬では、ダメなのですか」
「今かかっているお医者様ではこれ以上の治療は無理でしょう。僕の父と仲の良い専門医に紹介状を書こうかと、敦史にすすめたのですが、あれは首を縦に振らなかった」
「なぜ? 敦史さんはどうして徹平先生のご厚意を無下にされたのかしら」
「敦史は僕のことを嫌っていますから」

 徹平は肩をすくめた。

「貴方のような優しいお医者様を? なぜ?」
「敦史とは昔いろいろあったんです。僕の専門が小児なので、大人の病気には疎いだろうと思っているのでしょう。だが僕の勘は今まで一度も違えたことはございません。(はじめ)さんは極めて……危険な状態だ」

 いずれ別れは来ると、琴絵なりに心構えをしていたつもりだった。白い結婚を求められた上に、夫には愛人がいて、なぜ夫の父の介護をせねばならないのだろうという不満はあった。しかし義父である(はじめ)の優しさに触れ、誠心誠意、身の回りのお世話をすることに、唯一の生き甲斐すら感じていた。それすら無くなってしまったら、琴絵はここに嫁いできた意味を、どこに見出せば良いのだろう。

「お力になれることがあれば僕を呼んで下さい」
「お気遣い、ありがとうございます」

 その年の春が短く、夏の足音がすぐそこまで来ていることを、この時琴絵は想像もしていなかった。医師である徹平の勘が、思いの他早く当たることを。