家に着くと、キッチンから良い匂いがした。
「ただいまー」
「おかえり、秋くん。ハンバーグ美味しそうに作ったね。今、煮込みハンバーグにしているから」
お母さんが、僕が作ったハンバーグのアレンジをしていた。
僕が料理好きになったのは、お母さんの影響もある。
個人で料理教室を開いているお母さんは、最近はテレビの料理番組や、動画配信の料理番組にも出るようになった。
レシピ本も、年内に発売するという話だ。
毎晩、遅くまでレシピを考え、試作品を作っているお母さんを見て、弁当ぐらいは自分で用意しようと思い、高校一年から自分で弁当を作るようになった。
「でも、今日食べ損ねちゃった」
僕はほとんど手つかずの弁当箱を開けると、流し台に置いた。
それでも、一つだけでも圭斗の口に入ってくれて良かったかも。
「具合でも悪い? 最近寒くなってきたから体調崩したかな? お母さん、忙しくて全然秋くんのこと見てあげられてなくてごめんね」
お母さんの手が僕の頬に触れる。
僕はさっき、圭斗の手に顔を包まれた瞬間を思い出し、頬が赤くなるのを感じる。
「あれ、ちょっと熱っぽいかな。ほっぺたが赤くなっているわね」
「だ、大丈夫。寒い所から暖かい部屋に入ったから紅潮したみたい。着替えてくるね」
僕は急いで自分の部屋に入り、鏡で自分の顔を確認する。
赤い! なんてわかりやすいんだ。
手の甲で頬を冷やそうとした。
でも、さっきの圭斗は何をしたかったのだろう。
あんなに顔を近づけたのは初めてだ。
――あんまり心配かけんなよ
そんなに僕は具合が悪そうに見えたのかな……
🔸🔸🔸
明日の弁当のおかずを何にしようかと、冷蔵庫をあさっているとLINEの通知音が鳴った。
――大丈夫か? 明日学校来られる?
圭斗からだ。
まだ僕は心配されている。
――大丈夫だよ。元気。明日の弁当も期待してていいよ
何を余分に持っていこうかな……
返信をしながらも、冷蔵庫や冷凍庫をのぞく。
――良かった。明日学校に来たら話したいことあるから。放課後時間くれるか?
スマホを落としそうになった。
話したいことって何?
今までこんなに改まってお願いをされたことなんて一度もない。
なんで? 圭斗らしくない!
返信しようと画面に乗せた指が震えていた。
嫌だ! なんて言えるわけがない。
――OK
文字は打たずにOKのスタンプだけ送ると、圭斗の返信を見ずにスマホを置いた。
明日にならなければいいのに……
すっかり、弁当を作る気力が失せた。
🔸🔸🔸
五時に仕掛けている目覚ましのタイマーを七時に変えておいた。
今日は弁当を作らずに、そのまま学校へ向かう。
お母さんにも「お母さんがちゃっちゃっと作るから、ちょっと待っていて」って言われたけど、学校の購買部でおにぎりを買うからいいと断った。
いつもの時間にアップするインスタも、今朝はアップするものがない。
毎日コメントを残してくれる人もガッカリしているかな……
校門を入ると「堤くん」と呼び止められた。
振り向くと、同じクラスで料理部でも一緒の牧田さんだった。
「おはようー。あれ、いつもこの時間だっけ?」
「ううん。いつも堤くんがこの時間だと思って待っていた」
「え? 待っていたの?」
「うん。ちょっと話したいことがあって。今日、放課後時間もらえるかな?」
ここでも放課後だ!
「え……それってLINEとかではダメな話?」
「……LINEで出来るならとっくにしてる」
「そっか……だよね」
放課後は圭斗と話す予定だったけど、正直避けられるなら避けたいと思っていた。
牧田さんを利用するのは悪いけど、ちょうどいい。
「うん。大丈夫だよ」
「良かった……じゃあ、調理室で。田端先輩から鍵預かっているから開けて待ってるね」
そう言うと、駆け足で僕の前を去って行った。
どういうこと? 今って放課後に何かするのが流行っているの?
面と向かって話さなくても、LINEで良くない?
僕はすっかりデジタルに毒されているようだ。
「あれ、弁当は?」
お昼時間、圭斗はわかりやすいほど驚いた顔をしていた。
「作れなかった……寝坊しちゃって」
嘘を吐いた。だって、そんなに驚いた顔をされたら『作らなかった』なんて言えない。
「そっか……やっぱり調子悪いのか?」
圭斗の手が僕の額に伸びてきたのを僕はさりげなく払った。
「どうかな。いつもとはちょっと違うかも」
僕は購買部で買って来たおにぎりを齧る。
不味くはないけど、やっぱり味気ない。
圭斗は箸を持ったまま、僕の顔をじっと見ている。
僕はその視線にいたたまれなくなり「お茶買ってくる」と立とうとすると、腕を掴まれた。
「これ飲めよ」
圭斗のタンブラーを差し出された。
いつもなら、間接キスだと冗談を言いながら何の躊躇もなく飲み合いが出来るのに、今日の僕は手を出してはいけない気持ちになっていた。
「いいよ、大丈夫」
圭斗と弁当を食べる時間が学校で過ごす中で一番楽しい時間だったはずなのに。
今は一番、苦痛な時間になってしまった。
「食べないの?」
僕は全く弁当の中身が減っていない圭斗が気になった。
「喰うよ」
圭斗はおもむろに弁当をかっ込み始めた。
まるで拷問を受けているみたいに。
「……放課後、ちょっと今日は無理かも」
僕は調子が悪いふりをして断ろうと試みる。
「そうだな。今度にしよう。あー美味かった。満足、満足」
いつもの圭斗に戻った? ように見えた。
僕が拗らせているだけ……そんな気がして、食べかけのおにぎりを恨めしく思った。
🔸🔸🔸
授業が終わると、僕は圭斗に気づかれないように教室を出て調理室に向かった。
二年生の教室から二つ上の階にある調理室まで、階段を駆け上がった。
早く着いたところで、牧田さんが鍵を開けなければ入れない。
でも、僕は圭斗に見つからないことが最優先だった。
「もう、堤くん、いきなり教室から走り出すから追いかけるのが大変だった」
息を切らせながら牧田さんが来た。
「ごめん……誰かに見られたらマズいのかなって思って」
息がまだ整わない牧田さんは鍵を開けながら、僕に親指を立てた。
「さすが、堤くん」
誰もいない調理室に入る。
大きなオーブンはないけど、必要な調理器具はほとんどが揃っている。
週に二日、ここでの調理は楽しく仕方がない。
「ごめんね、急に呼び出したりして。私も困っちゃってさ」
牧田さんは椅子に座るとざっくばらんに話し始めた。
「実はね……堤くんも聞いていると思うけど。田端先輩のこと」
「え? 先輩のことって……」
圭斗のこと?
「ほら、橋上くんのこと。同じクラスだからもう少しどうにかならないかって言われちゃって。いやー、正直面倒くさいなって。あ、ここだけの話ね」
やっぱり、圭斗のことか。
「どうにかならないか……って?」
「あれ? 聞いてない? この間、先輩、橋上くんに告ったんだよ」
「え! 知らない……」
全身の血がいきなり沸騰したかのような、熱さを感じた。
それって、この間のカフェのこと?
「その時には返事は保留にされたみたいだけど。でもなんか悪くはない感触だったって話で。で、もう一押しすればどうにかなりそうだからって。ねえ、そんなこと言われてもさ、私がどうにかできる話じゃなくない? 別に橋上くんと仲良いわけじゃないし」
熱が出ると寒くてガタガタと震えるはずなのに、僕は制服を脱ぎたくなるほど汗を掻いていた。
「……断ったわけでもなく、OKしたわけでもないってこと?」
「そうみたいよ。なんかジラすよねー。橋上くんがモテるのはわかるのよ。だって高一で既に陸上部のエースだったし、全国選抜に選ばれるほどだし、それに見た目も良いし。だから女生徒に告られるのに慣れてるのかなって」
「慣れていると何?」
「え? モテる人ってそんな簡単にOK出さないで、引っ張るだけ引っ張った方が相手はもっと燃えるじゃない。そういうのを楽しむタイプなのかなーって」
――ドンっ!
僕は思わず、右手でテーブルを叩いていた。
「へ? どうかした」
牧田さんが目を見開いている。
「あ、なんか小さな虫がいて……」
「ビックリさせないでよー。そういうわけで、早く答えてあげてって堤くんから橋上くんをつついてもらえないかな? 私のようなよく知らない人間に言われるよりかはマシでしょ。そう思わない?」
僕は身体が熱すぎて、頭がよく回らなくなっていた。
「そうだね、わかった」
「良かった。じゃ、話は終わり」
牧田さんは立ち上がると、ドアの方に向かった。
僕はボーッとしたままその後に続き、調理室を出た。
「じゃ、よろしくね」
そう言うと牧田さんは手を振りながら階段を降りて行った。
僕は自分で自分の身体を支えきれずに、調理室のドアを背にその場にしゃがみこんだ。
どうしてこんなに身体が熱いのだろう、どうしてこんなに頭が回らないのだろう、どうして『わかった』なんて答えたんだろう。
「ただいまー」
「おかえり、秋くん。ハンバーグ美味しそうに作ったね。今、煮込みハンバーグにしているから」
お母さんが、僕が作ったハンバーグのアレンジをしていた。
僕が料理好きになったのは、お母さんの影響もある。
個人で料理教室を開いているお母さんは、最近はテレビの料理番組や、動画配信の料理番組にも出るようになった。
レシピ本も、年内に発売するという話だ。
毎晩、遅くまでレシピを考え、試作品を作っているお母さんを見て、弁当ぐらいは自分で用意しようと思い、高校一年から自分で弁当を作るようになった。
「でも、今日食べ損ねちゃった」
僕はほとんど手つかずの弁当箱を開けると、流し台に置いた。
それでも、一つだけでも圭斗の口に入ってくれて良かったかも。
「具合でも悪い? 最近寒くなってきたから体調崩したかな? お母さん、忙しくて全然秋くんのこと見てあげられてなくてごめんね」
お母さんの手が僕の頬に触れる。
僕はさっき、圭斗の手に顔を包まれた瞬間を思い出し、頬が赤くなるのを感じる。
「あれ、ちょっと熱っぽいかな。ほっぺたが赤くなっているわね」
「だ、大丈夫。寒い所から暖かい部屋に入ったから紅潮したみたい。着替えてくるね」
僕は急いで自分の部屋に入り、鏡で自分の顔を確認する。
赤い! なんてわかりやすいんだ。
手の甲で頬を冷やそうとした。
でも、さっきの圭斗は何をしたかったのだろう。
あんなに顔を近づけたのは初めてだ。
――あんまり心配かけんなよ
そんなに僕は具合が悪そうに見えたのかな……
🔸🔸🔸
明日の弁当のおかずを何にしようかと、冷蔵庫をあさっているとLINEの通知音が鳴った。
――大丈夫か? 明日学校来られる?
圭斗からだ。
まだ僕は心配されている。
――大丈夫だよ。元気。明日の弁当も期待してていいよ
何を余分に持っていこうかな……
返信をしながらも、冷蔵庫や冷凍庫をのぞく。
――良かった。明日学校に来たら話したいことあるから。放課後時間くれるか?
スマホを落としそうになった。
話したいことって何?
今までこんなに改まってお願いをされたことなんて一度もない。
なんで? 圭斗らしくない!
返信しようと画面に乗せた指が震えていた。
嫌だ! なんて言えるわけがない。
――OK
文字は打たずにOKのスタンプだけ送ると、圭斗の返信を見ずにスマホを置いた。
明日にならなければいいのに……
すっかり、弁当を作る気力が失せた。
🔸🔸🔸
五時に仕掛けている目覚ましのタイマーを七時に変えておいた。
今日は弁当を作らずに、そのまま学校へ向かう。
お母さんにも「お母さんがちゃっちゃっと作るから、ちょっと待っていて」って言われたけど、学校の購買部でおにぎりを買うからいいと断った。
いつもの時間にアップするインスタも、今朝はアップするものがない。
毎日コメントを残してくれる人もガッカリしているかな……
校門を入ると「堤くん」と呼び止められた。
振り向くと、同じクラスで料理部でも一緒の牧田さんだった。
「おはようー。あれ、いつもこの時間だっけ?」
「ううん。いつも堤くんがこの時間だと思って待っていた」
「え? 待っていたの?」
「うん。ちょっと話したいことがあって。今日、放課後時間もらえるかな?」
ここでも放課後だ!
「え……それってLINEとかではダメな話?」
「……LINEで出来るならとっくにしてる」
「そっか……だよね」
放課後は圭斗と話す予定だったけど、正直避けられるなら避けたいと思っていた。
牧田さんを利用するのは悪いけど、ちょうどいい。
「うん。大丈夫だよ」
「良かった……じゃあ、調理室で。田端先輩から鍵預かっているから開けて待ってるね」
そう言うと、駆け足で僕の前を去って行った。
どういうこと? 今って放課後に何かするのが流行っているの?
面と向かって話さなくても、LINEで良くない?
僕はすっかりデジタルに毒されているようだ。
「あれ、弁当は?」
お昼時間、圭斗はわかりやすいほど驚いた顔をしていた。
「作れなかった……寝坊しちゃって」
嘘を吐いた。だって、そんなに驚いた顔をされたら『作らなかった』なんて言えない。
「そっか……やっぱり調子悪いのか?」
圭斗の手が僕の額に伸びてきたのを僕はさりげなく払った。
「どうかな。いつもとはちょっと違うかも」
僕は購買部で買って来たおにぎりを齧る。
不味くはないけど、やっぱり味気ない。
圭斗は箸を持ったまま、僕の顔をじっと見ている。
僕はその視線にいたたまれなくなり「お茶買ってくる」と立とうとすると、腕を掴まれた。
「これ飲めよ」
圭斗のタンブラーを差し出された。
いつもなら、間接キスだと冗談を言いながら何の躊躇もなく飲み合いが出来るのに、今日の僕は手を出してはいけない気持ちになっていた。
「いいよ、大丈夫」
圭斗と弁当を食べる時間が学校で過ごす中で一番楽しい時間だったはずなのに。
今は一番、苦痛な時間になってしまった。
「食べないの?」
僕は全く弁当の中身が減っていない圭斗が気になった。
「喰うよ」
圭斗はおもむろに弁当をかっ込み始めた。
まるで拷問を受けているみたいに。
「……放課後、ちょっと今日は無理かも」
僕は調子が悪いふりをして断ろうと試みる。
「そうだな。今度にしよう。あー美味かった。満足、満足」
いつもの圭斗に戻った? ように見えた。
僕が拗らせているだけ……そんな気がして、食べかけのおにぎりを恨めしく思った。
🔸🔸🔸
授業が終わると、僕は圭斗に気づかれないように教室を出て調理室に向かった。
二年生の教室から二つ上の階にある調理室まで、階段を駆け上がった。
早く着いたところで、牧田さんが鍵を開けなければ入れない。
でも、僕は圭斗に見つからないことが最優先だった。
「もう、堤くん、いきなり教室から走り出すから追いかけるのが大変だった」
息を切らせながら牧田さんが来た。
「ごめん……誰かに見られたらマズいのかなって思って」
息がまだ整わない牧田さんは鍵を開けながら、僕に親指を立てた。
「さすが、堤くん」
誰もいない調理室に入る。
大きなオーブンはないけど、必要な調理器具はほとんどが揃っている。
週に二日、ここでの調理は楽しく仕方がない。
「ごめんね、急に呼び出したりして。私も困っちゃってさ」
牧田さんは椅子に座るとざっくばらんに話し始めた。
「実はね……堤くんも聞いていると思うけど。田端先輩のこと」
「え? 先輩のことって……」
圭斗のこと?
「ほら、橋上くんのこと。同じクラスだからもう少しどうにかならないかって言われちゃって。いやー、正直面倒くさいなって。あ、ここだけの話ね」
やっぱり、圭斗のことか。
「どうにかならないか……って?」
「あれ? 聞いてない? この間、先輩、橋上くんに告ったんだよ」
「え! 知らない……」
全身の血がいきなり沸騰したかのような、熱さを感じた。
それって、この間のカフェのこと?
「その時には返事は保留にされたみたいだけど。でもなんか悪くはない感触だったって話で。で、もう一押しすればどうにかなりそうだからって。ねえ、そんなこと言われてもさ、私がどうにかできる話じゃなくない? 別に橋上くんと仲良いわけじゃないし」
熱が出ると寒くてガタガタと震えるはずなのに、僕は制服を脱ぎたくなるほど汗を掻いていた。
「……断ったわけでもなく、OKしたわけでもないってこと?」
「そうみたいよ。なんかジラすよねー。橋上くんがモテるのはわかるのよ。だって高一で既に陸上部のエースだったし、全国選抜に選ばれるほどだし、それに見た目も良いし。だから女生徒に告られるのに慣れてるのかなって」
「慣れていると何?」
「え? モテる人ってそんな簡単にOK出さないで、引っ張るだけ引っ張った方が相手はもっと燃えるじゃない。そういうのを楽しむタイプなのかなーって」
――ドンっ!
僕は思わず、右手でテーブルを叩いていた。
「へ? どうかした」
牧田さんが目を見開いている。
「あ、なんか小さな虫がいて……」
「ビックリさせないでよー。そういうわけで、早く答えてあげてって堤くんから橋上くんをつついてもらえないかな? 私のようなよく知らない人間に言われるよりかはマシでしょ。そう思わない?」
僕は身体が熱すぎて、頭がよく回らなくなっていた。
「そうだね、わかった」
「良かった。じゃ、話は終わり」
牧田さんは立ち上がると、ドアの方に向かった。
僕はボーッとしたままその後に続き、調理室を出た。
「じゃ、よろしくね」
そう言うと牧田さんは手を振りながら階段を降りて行った。
僕は自分で自分の身体を支えきれずに、調理室のドアを背にその場にしゃがみこんだ。
どうしてこんなに身体が熱いのだろう、どうしてこんなに頭が回らないのだろう、どうして『わかった』なんて答えたんだろう。



