今日もおいしくいただきました!

 朝、五時に起きて僕はハンバーグの種を練る。
 氷水で冷やしながら練ると良いと教えてくれたのは田端先輩だ。
 高校に入学して入った料理部。
 部長だった田端先輩は、男子一人の僕に何かと気を遣ってくれた。
 尊敬できる先輩。
 そんな先輩が「橋上くんのことが好きかも」と夏休み明けに打ち明けてきた時、僕は今まで感じたことがない気持ちに襲われた。
 大事に育てたインコが、鳥かごの扉を開けた瞬間に飛び立ってしまったような、もう僕の手の中には戻ってこないようなそんな感覚。
 そのインコは田端先輩ではなく、圭斗だ。
 僕は未だに、この気持ちを何と呼べばいいのかわかっていない。
 種を練る指先が冷たくなっていく。それでも手を止めない。
 昨日、圭斗とあんな別れ方をしたのに、律儀にもリクエストに応えている。
 我ながら、どうかしている。
 僕は先輩に協力しますと答えた。
 あの時の自分は、なんて馬鹿だったんだろう。 
 だって、あんなに慕われている先輩に好意を持たれて嫌な気持ちになるわけない。だから圭斗だって嬉しいはずだ。
 そう思いながらも、未だに圭斗にそのことを話していない自分はズルい奴だ。
 でも、昨日のあのシーンを思い出すと、もう僕が一人で悶々とする必要は無いかもしれない。
 そんなことをツラツラと考えながら練ったハンバーグは、いつもよりも粘り気が強くなった。

🔸🔸🔸

「で、昨日はなんでいきなり俺を置いて帰ったんだよ!」

 いつものように、圭斗は弁当を持って僕の席に来た。
 少し不機嫌そうに、でも僕の機嫌を見るように、遠慮がちに。

「バスが来そうだから走っただけだよ」

 僕は視線を上げずに、弁当の蓋を取る。

「お! 俺のリクエスト聞いてたのかー。美味そう」

 圭斗は嬉しそうに一つ余分に詰めておいたハンバーグを箸で取る。

「やっぱり、俺の秋吉だよなー。俺が食べたい物絶対作ってくれるよな」

 いつもの圭斗の調子に戻っていた。
 僕は呆れて、苦笑いしか出てこなかった。
 でも、喜んでくれたなら嬉しい。

「美味い! このソースが絶妙だよな。しかも肉汁が凄い。店出せよ、俺も手伝うから」
「今日はすっごく練ったから、肉汁が止まらなかった」

 誰のせいでそんなに練ったと思っているんだよ。
 僕は少し、意地悪がしたくなった。

「そういう、圭斗はあの後どうしたの? なんかドラマのワンシーンみたいな恥ずかしい感じになっていたけど。周りのお客さんに冷やかされなかった?」

 僕の言葉に、勢いよく食べていた圭斗の口が止まった。

「……別に」

 照れくさそうな、嬉しそうな、でもそれを隠そうとするのに、口元のゆるみは誤魔化せない。
 それを見た僕の頭の中でキーンという金属音が鳴り始めた。

「冷やかされたりはしねーよ。でも、あのまま倒れなくて良かったけど。まあ、恥ずかしいったら恥ずかしいよな……」

 神経を逆なでするような金属音がウルさくて、止めたくても止まらない。
 僕は箸を置いて、右手で頭を押さえた。

「おい、秋吉、どうした? 大丈夫か?」

 僕は答えたいのに言葉が出てこない。

「だ、大丈夫。ちょっと頭が痛くて……保健室行って来る」
「一緒に行くよ」
「いいよ。弁当食べていて」

 僕は自分の弁当の蓋を閉じると、おもむろに席を立って保健室に向かった。
 まともに圭斗の顔が見られなかった。
 だって、圭斗の瞳の中に一瞬、田端先輩が見えたから。
 
🔸🔸🔸

「寝不足かな? 熱はないけど、まだ頭痛い?」

 保健室の先生に熱を測られた。
 金属音は少しずつ静かになっていた。

「ちょっと痛いです」
「じゃ、少しベッドで休んで。石川先生には話しておくから」
「ありがとうございます」

 僕はベッドに横になる。
 自分でも情けなくて、すごく惨めに思えた。
 まだ圭斗から何かを言われたわけでもないのに。
 でも、田端先輩と何かあったのは確かだ。
 僕が先輩と話しているとあんなに不機嫌になっていたのに、表情が変わるってどういうこと?
 そして、僕は何に対してショックを受けているのだろう……
 ハンバーグ、食べ損ねた。
 そんなことを考えながら眠りに落ちた。

 目を開けると誰かが僕の顔を見つめていた。

「大丈夫か?」

 カーテンの隙間から、オレンジ色の光がベッドの上に斜めの線を刺す。
 眩しくてよく顔が見えない。

「圭斗? うん……よく寝た」

 僕は起き上がり、圭斗と視線を合わす。
 圭斗は僕の額に手をあてて熱があるかを確認しようとする。

「大丈夫。熱は無いよ。寝不足だったみたい。今何時?」
「四時。帰るかと思って荷物も全部持ってきたよ」

 四時間も寝ていたことに驚いた。
 すっかり授業をさぼってしまった。

「ありがとう。あ、今日部活の日だった」
「ああ、うん。先輩には俺から伝えておいたから心配すんな」

 また、あの表情。
 でも僕の頭の金属音はすっかり止んでいた。

「そっか。良かった」

 僕は掛けていた布団をはいで、靴を履こうと向きを変えると、いきなり圭斗に両手で顔を包まれた。

「あんまり心配かけるなよな」

 そう言うと、圭斗は自分のおでこを僕のおでこにくっつけた。
 僕は喉を鳴らして唾を飲みこむ。
 圭斗の息遣いが聞こえて、僕は震えそうになる。
 保健室のドアが開く音がして、咄嗟に圭斗は僕から離れた。
 僕はガクガクと震えそうになるのを何とか抑えようとした。

「堤くん、起きた? 大丈夫そう?」

 保険医がカーテンを勢いよく開けると、いきなり西日が僕の顔を直撃し、僕は耐えきれずに顔を歪めた。

「は、はい。もう大丈夫です」
「うん、良かった。あ、橋上くん一緒に帰ってもらえる?」
「はい。家まで送るので大丈夫です」
「ありがとう。あ、最近脚の方はどう?」
「ええ、まあなんとか」
「そっか。じゃあ二人とも気を付けてね」

 僕は圭斗に支えられながらベッドを降りると、先生に頭を下げ保健室を出た。
 圭斗はまだ僕の左腕を支えてくれている。

「圭斗、大丈夫だよ。一人で歩ける」
「りょーかい」

 僕は圭斗の左ひざに視線を向けた。
 普通に歩くことも、走ることも出来る。
 でも……
 僕よりも十センチ背が高い圭斗の顔を見上げた。
 僕が、圭斗のあの弾けた笑顔を取り戻せることが出来たら良いのに。
 でも、その相手は田端先輩かもしれない。
 そう思った瞬間、圭斗から一歩下がって歩いていた。