今日もおいしくいただきました!

 五時限目の五分前に席に戻った。
 身体は冷え切っていたけど、それ以上に心の中は凍り付いていた。
 食べかけの弁当はそのままカバンの中にしまった。

「どうした? 大丈夫か?」

 圭斗が僕の席まで様子を見に来た。

「ごめん……昼飯さんざん待たせたくせに、いきなり居なくなって……」
「……何かあるなら聞くよ」

 いつになく、優しい声にやっと止まった涙が、また流れそうになるのを必死で堪える。
 僕は圭斗の顔も見ずに、ただ首を横に振った。

「始めるぞー」

 五時限目の担当科目の先生の声で、圭斗は自分の席に戻った。
 席に座ってからも、振り向いて僕を見ているのがわかった。
 でも、僕は顔を上げられなかった。
 早く家に帰りたい……
 指先が冷たく、シャープペンを持つ手に力が入らなかった。

🔸🔸🔸

 五時限目が終わり、六時限目の間の十分休憩で、圭斗が僕の席に来ることはわかっていた。だから僕は終わるとすぐに席を立って、後ろのドアからまた非常階段に逃げた。
 自分でもバカみたいなことをしているとわかってはいるけど、他にどうすればいいのかわからなかった。
 
「ックション! ハックション!」

 このまま風邪を引いて、一週間学校を休むのもありかな……
 自虐的過ぎて、自分でも呆れていた。

🔸🔸🔸

「ハックション!」

 しまった! 気づかれないように帰ろうと思ったのに、こんなに大きなくしゃみしたらバレるだろうーー

「秋吉、風邪ひいたのか? だから保健室行っていたのか?」

 逃走失敗……

「う、うん。急にゾクゾクして、くしゃみが止まらな……ックシュン!」
「熱は?」

 圭斗の手が伸びてきたのを、はらおうとするが、上手く交わされた。

「……ちょっと熱いかな……」

 身体は冷え切っているのに、圭斗に触れられている額だけが異常に熱くなる。
 止めて欲しいんだけど。

「大丈夫。帰って薬飲んで寝るから」
「送ってく」
「え! いいよ。大丈夫だよ」
「なんでだよ、俺が一緒じゃ嫌か?」

 嫌だ!
 ……なんて言えないけど、これ以上一緒に居たら、本当に熱が出そうな気がする。

「せ、先輩と帰るんじゃないのか? 今日部活ないよ」
「……帰らねーって。行くぞ」

 なんで、『帰らねー』なんだろう。
 先輩と圭斗が付き合っていれば、僕は自分の気持ちを封印する覚悟はあるのに。
 そうじゃないと、好きが溢れて僕自身が溺れてしまいそうだ。

 さすがに、校門前にも、駅にも今朝待ち伏せしていた女子高生たちの姿はなくなっていた。
 でも、駅の改札前には田端先輩がいた。
 やっぱり、圭斗と一緒に帰るんだ。

「橋上くん! あ、堤くんもなんか大変だったんでしょ?」
「あ、ええ」
「あの画像、確かに人気出るのわかる気がしたもん。でも、料理部としては堤くんの人気にあやかりたいかなー」
「止めろよ! 秋吉は大変な目にあったんだから、おちょくるなよ!」
「け、圭斗……その言い方はちょっと。全然気にしてないから……」
「でも、職員室に呼ばれただろ? だから……」
「大丈夫だから! もうこの話はいいよ。じゃ、僕はこれで」
「圭斗! 送っていく……」
「橋上くん! 約束でしょ?」
「……なんでだよ」

 僕は改札を抜けて、足早にホームに向かった。
二人の言い合いは聞きたくなかった。
もう、わかったから、二人が上手くいっていないということが。
あんな、喧嘩腰に話す圭斗を見たことがない。
握った力拳に力が入る。
でも、僕には関係ないことだ。

🔸🔸🔸

「ハックション! ハックシュン!」
 
 本当に熱が出てきた。
 あんな寒空の下で制服だけで座っていたら、風邪もひくだろう。
 でも、内心ホッとしていた。
 これで、明日学校は休めそうだし、圭斗に会わなくてすむ。
 僕は薬を飲んで、今ベッドの中にいる。
 ただ、DMだけは出したい、あの人に。

――今日僕は散々な目に遭いました。一番ひどいことは僕が自覚してしまったことです。本当であれば嬉しいことかもしれません。でも僕にとってはこれからどうすればいいのかわからなくて苦しいです。助けてほしいです。でもあなたに言うべきなのかわかりません

 ここに残していいのか、わからなかった。
 文字にしてしまうのが怖かった。
 考えれば、考えるほど熱が上がりそうで、身体がゾクゾクして、頭痛もする。
 僕はスマホを置いて、眠ることにした。
 寝て起きたら、今よりも状況は良くなっていて欲しいと願いながら。

――何に苦しんでいるのか僕に話してください。力になれるかもしれません

 🔸🔸🔸

「三十八度か……上がったね。頭痛い? 解熱剤、飲もうか」

 朝起きたら、熱が高くなっていた。
 身体の節々が痛い。
 お母さんに解熱剤をもらい、また眠りに落ちた。

 LINEの通知音で目が覚めた。
 汗をかいたのか、着ているパジャマが濡れていた。
 でも、朝よりも少しスッキリしている。

――風邪、大丈夫か? 何か欲しいものがあれば持っていく

 圭斗からだった。
 この言葉だけで嬉しい。

――ありがと。でも大丈夫。おとなしく寝ている

 僕は重い身体を起こして、リビングに行く。
 お母さんが、買い物に行くというメモを残してあった。
 お手製のお粥もあった。
 既に午後二時を回っている。
 何時間寝てたんだろう。
 そういえば、あの人の返信は……
 インスタを開くと、昨日アップした投稿にあの人からのコメントがあった。

――風邪、お大事に

「え! なんで知っているんだ?」

 僕は昨日送ったDMを読み返したが、風邪のことも調子が悪い事も一言も書いていない。
 あの人からの返信も届いていた。
 時間を確認すると、僕が送って寝てしまった後すぐだ。

――何に苦しんでいるのか僕に話してください。力になれるかもしれません
 
 僕の頭の中で、なかなか組み立てられないバラバラなピースが浮かんでいる。
 幾つかのピースは合致しそうなのに、それがどのピースなのかわからない。

「いや、熱にうなされて頭が混乱しているだけだ。今は考えない」

 僕は自分で自分のほほを軽く叩くと、お粥を温める。
 今は、このお粥でお腹を満たすことに気持ちを切り替えた。