真直の嫁入り

「では、診察を始めましょうか。胸の音を聴きますので、失礼します」

 聴診後、喉を見たり目を見たり。有馬様と会話しながら一通りの診察をして、ふむふむと何やら書き込む清水医師。
 なぜかときおり険しい表情をしているのが気になるが、診察結果はきっと回復傾向にあると言うのだろうと期待に胸を膨らませて清水医師の言葉を待った。

「うーん、やはりまだ回復の見込みはありませんねぇ」

(…………え?)

 清水医師の言葉に、思わず固まる。

(今、何て……? 回復の見込みがない? うそ、そんなわけ……咳も減って肌もだいぶ綺麗になって出歩けるまで回復したのに……?)

 清水医師の言葉が頭をぐるぐると回る。
 ちらっと有馬様を見れば有馬様も私と同様に動揺しているのか、困惑した様子を見せていた。

「引き続き、薬を出しますからまたそれを飲んで二ヶ月後に様子を見ましょう」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ」

 私が思わず食い下がると、清水医師は驚いた表情をする。まさか聞き返されるとは思っていなかったらしい。

「……何でしょう?」
「本当に、回復の見込みがないんですか?」
「えぇ、あいにくまだ治療法が見つかっていない難病ですから。徐々に回復していくとは思いますが、一朝一夕で治るものではありませんので」

 ニコニコと愛想よく話してるようにしか見えないが、煩わしそうにしているのがわかる。
 そして、「では」と診察を打ち切ろうとする清水医師に、納得できなかった私はさらに食い下がった。

「よく見てください……っ! 先程も主人が申告してた通り、ここ最近は咳き込むことも腕の発疹も減りましたし、出歩けるまでに体力も回復してきています! これは回復傾向にあると言えるのではないでしょうか!? 本当に回復していないと言えるんですか!?」

 私が思わず大きな声で言えば、清水医師の柔和な表情が一瞬だけ崩れる。眉間に皺を寄せて顰めるように私のことを睨んだものの、すぐさま何事もなかったかのように元の表情に戻った。

 __何なんだこの女。女のクセにオレに逆らうつもりか? 回復傾向だと? そうなったら困るんだよ。

(っ!? どういうこと……? 困るって何で……どういう意味?)

 流れてきた悪意の内容にさらに困惑する。
 暴言もさることながら、困るという単語が引っかかる。まるで、回復したら困るとでも言いたげな様子に不信感が募った。

「えーっと……それは……恐らく一時的でしょう。確かに、そうですね。多少は回復傾向にあるかもしれませんが、きっと揺り戻しが来るはずです。そんなすぐに治ったら医師などいりませんからね。あまり体調を軽視していると以前よりも悪化する可能性がありますから、前回よりもお薬を多めに出しておきましょうか」

 清水医師の言葉に絶句する。
 治るどころか悪化するという言葉に、隣にいる有馬様も動揺を隠しきれない様子だ。

「揺り戻し……」
「えぇ。よくなったように思えたぶん、またつらい状態になってしまうかもしれませんが、長い間闘病されている千金楽さんならきっと耐えられますよ」
「……っ」

 清水医師の言葉に有馬様の目の光が失われるのを感じる。せっかく回復傾向だと希望を見出していたのに、またあのつらい日々、苦しい闘病生活が戻ってくるのかと思うと絶望するのも理解できる。

 だからこそ、納得できない私がここで引き下がるわけにはいかなかった。

「あの……っ!」
「……まだ何か?」
「さらに増やすって……さすがに薬が多くありませんか? 今でさえ、かなりの薬の量ですし。また、食事制限なども指導されているとお聞きしました。私が不勉強で申し訳ありませんが、食事制限の理由は? どうしてお肉などを食べてはいけないのでしょうか? 薬を増やすにしても、それぞれどういった効能があってどう作用するのか、薬が効いていないのであれば別のお薬に変えてくださるとかできないでしょうか? そもそも、主人はどこが悪いのですか?」

 清水医師の鬱陶しそうな表情に臆することなく畳み掛けて質問する。不躾であることは百も承知だ。
 もし自分のことであれば何か思っていたとしても我慢していたかもしれないが、有馬様の今後がかかっていると思うとこのまま何も言わずにはいられなかった。

「奥様に言ってもわかりませんよ。とにかく、処方された薬を飲んでください」
「ですから、勉強しますから。せめて出される薬がどんな薬なのか、何に効くのかだけでも教えてください……!」
「うるせぇ!!」

 突然の怒声に身体が大きく跳ねる。
 先程の柔和な表情からは想像つかないほどの苛立った表情に、私だけでなく有馬様も驚いた様子だった。

「素人がごちゃごちゃと口出すんじゃねぇよ! オレは医師だぞ? 患者は黙ってオレさまの言うこと聞いてりゃいいんだよ!」
「……っ!」

 目の前で恫喝されて身体が固まり、足が竦む。
 清水医師の怒気に飲まれた私は、それ以上何も言えなかった。

「清水先生。妻がお気に障るようなことを申し上げて申し訳ありません。では、失礼します。行こう、真直」
「……はい。失礼しました」

 私に代わって有馬様が頭を下げ、そのまま震える私を優しく連れ出してくれる。

(あぁ、どうしよう)

 正直、言ったことは後悔していない。
 いないけれど、清水医師を怒らせてしまったことや有馬様に謝らせてしまったこと。結局何の成果も得られていないことや役目をきちんと果たせなかったことなど、たくさんの後悔が押し寄せる。

(どうしたらよかったんだろう……? どうするのが正解だった?)

 私は自問自答しながら、有馬様への申し訳なさで小さく縮こまるのだった。