その二の腕が俺を離してくれない!

 翌週、月曜日。史くんから、金土日と徹底的に扱かれた俺は、週の始まりだってのに朝から疲労感に襲われていた。というか、すでにもう眠い。
 教室に着くなり、俺はすぐに一番後ろにある自分の机にうつ伏せた。

「もう無理。何も勉強したくない……」

 なんて弱音を吐いてたら、タイミングよくブレザーのポケットが震えた。
 おずおずと顔をあげて、ポケットからスマホを取り出す。画面を見ると、そこには史くんからのメッセージ通知があった。

《莱、今週の勉強スケジュール立てておいたから、確認して》

 通知をタップすると、うげっと言いたくなるようなプランの画像が表示される。いつ休んだらいい感じ? ってくらい、もう予定びっしりだ。

(こ、こっ、この……史くんの鬼ッ! スパルタァァァァッ……!)

 でも、心の中で悪態をつきながらも、史くんを嫌いになれない俺の方がきっとヤバいんだろう。
 ドMなんかな。と思いながら、史くんとのトーク画面を眺めていたら、なぜかもう一通送られてきた。

《莱。今年は俺の誕生日、祝ってくれない感じ?》

 そのメッセージに「あっ!」と、面食らう。パッと起き上がって、送られてきた画像を拡大して、俺は絶句した。

(やばい……! 史くんの誕生日忘れてた! どうしよ!?)

 とはいえ、既読をつけてしまったからには、返事をしないわけにはいかない。文才はないながらも、慌ててスマホでメッセージを打っていく。

《史くん、遅くなってごめんなさい》
《二十歳の誕生日おめでとう》
《これからもよろしくね》

 立て続けに三つ送って、犬が尻尾を振りまくってるハッピーバースデーのスタンプを送った。
 なんか、とんでもなくショボいメッセージだ。けど、すぐに既読がついて、瞬く間に返事がきた。
 
《莱。ありがと》
《あのさ、誕プレ代わりに、今日一緒に過ごしてよ。食事券もらったし、お金の心配はいらないから》
《ここ行く予定だから。帰ったら綺麗めな服着て待ってて》

 メッセージと共に、ヒュンッとURLまで送られてくる。
 タップすれば、雰囲気の良さそうな海辺のレストランが表示された。

(え……? 俺と……? ここに……?)

 意味がわからなくて、俺はポカンとした。
 だって、史くんには彼氏がいるはずだ。史くんの二十歳の節目は、あの男の人と過ごすんだって思ってた。
 だから、誕生日のことなんて考えないようにしてたのに。史くんと一緒に過ごせるとか……どうしよう。サプライズすぎて、うまく呑み込めない。

「って、ちょっと待った。俺、史くんのスパルタプランがあるんだった──」

 もし行くなら、爆速で終わらせないと間に合わない。
 俺はすかさず、勉強プランが書かれた画像をもう一度確認する。だけど、今日の箇所を拡大してみて、目を瞬いた。なんか他の日と比べて、圧倒的に内容が軽い。

「あれ? もしかして最初から俺と過ごす気で……?」

 ひとりごちながら、今日のスケジュールを指でなぞる。でも、失恋してからの俺は、少々疑い深いのだ。
 
「いや、でも、これは彼氏と予定が合わなかった可能性も……?」

 こんな節目に、一緒に過ごせるのは嬉しいはずなのに。史くんの真意が分からなくて、俺の頭にはいくつものはてなが飛び交っていた。

***
 夕方、麻子さんから譲り受けたというSUVで、史くんは海の見えるレストランに連れて行ってくれた。
 日も傾いているので、海という海はもはや見えないけど。店内は大人のカップルばっかだし、なんか高そうなメニューばかりだし、ここは幼なじみの男二人で来るような場所じゃない。

(絶対これ、彼氏と来る予定だったよな──……)

 やっぱり自分はドタキャンの穴埋め……なんて凹みかけたものの、俺は元来ポジティブな人間なのだ。おまけに、育ち盛りの男子高校生でもあるわけで。
 目の前にご馳走が広がれば、そちらに夢中になってしまう。気づけば、俺は史くんが頼んだメニューに舌鼓を打って、料理を堪能していた。

「ふっ……史くんっ! やばいっ。何このスープ! 美味すぎるっ。パンにつけたらもっと美味いかも!」

 ひとくち含んだ海老のビスクがあまりに濃厚で、勢いよくバッと顔を上げる。
 すると、史くんは心なしか愛に満ちたような目で俺を見ているし、周囲のお客さんのクスっと笑う声が聞こえてくるし、急に恥ずかしくなった。俺、今、すごい子どもっぽい……。みるみるうちに顔が熱くなる。

「あ、なんか……ごめん。はしゃぎすぎちゃって。史くんの誕生日なのに」
「何言ってんの。ここ半年くらい、莱がこんな風にはしゃぐの、見てなかったし。俺はうれしーよ」
「史くん、お酒飲んでる……?」
「飲んでない飲んでない。飲酒運転になるじゃん」

 史くんはふはっと笑って、即答する。

「なんか……ごめん」
「なぁに。なんで謝んの」
「だって……せっかくの二十歳の誕生日なのに、お酒飲ませてあげられないじゃん。俺がまだ免許もないし、子どもだし」

 普通なら、二十歳の誕生日ならお酒解禁だ。今日ほど年下だったことが、悔やまれる日はない。
 それに気づいてしまったら、なんか急に気持ちが重くなってしまう。
 史くんに申し訳なくて唇を軽く噛み締めながら俯いたら、史くんから「らーい」と甘く呼ばれた。
 もう一度、顔を上げたら、史くんは眦をやわらかく下げている。

「なーに言ってんの。気にしないでいいから。俺はただ、莱と一緒に来たかっただけなんだし」
「俺と……?」
「そうだけど。何、ほかの人と来た方がよかった?」

 そう聞かれて、俺はぶんぶんと首を横に振った。

「俺も史くんと来れて、嬉しい」

 彼氏と来たかったわけじゃないんだ。そう思うだけで、なんか胸のあたりがふわふわして、へへっと笑ってしまう。
 史くんが彼氏より、俺を選んでくれた……。それだけで、嬉しくてにこにこ笑ってしまう。
 なのに、史くんは俺の史くんじゃないんだって思う自分もいて、急に鼻の奥がつんとした。
 でも、史くんの誕生日なのだ。俺の方が泣くなんておかしすぎる。
 必死に押し隠すように「ねえ、史くん! こっちも美味しそー! 早く食べよ!」とテンション高めに、俺は次の料理に手を伸ばした。

***
 食事を終えてレストランから出ると、史くんから「少し夜の海岸でも歩く?」と提案された。
 ほんとはこのあと車で、学校の帰りに買ったプレゼントを渡すつもりだった。でも、どうせ渡すならロマンチックに渡したい。
 いいチャンスだと思って、プレゼントを入れたトートバッグの持ち手をきゅっと握る。

「うん」
「じゃあ、莱。手、出して。暗くて足元危ないから」

 史くんは俺の前にそっと手を差し伸べてくれた。
 昔の俺なら、迷うことなくすぐに手を繋いでた。むしろ腕を絡めて密着だってしてたと思う。
 いいのかなって躊躇ってたら、史くんは「莱。なーに恥ずかしがってんの?」とやわらかく笑って、俺の手を握ってくれる。

(あぁ、だめだ……)
 
 俺のこの気持ちは忘れなきゃいけないのに、ところどころに史くんの優しさが見えて、やっぱり好きだなって思ってしまう。
 それだけじゃない。また、以前のように勘違いしそうになる。
 だけど、そんな自惚れそうになる自分を戒めるように、現実というものは襲いかかってくるのだ。

 ブーッ、ブーッ、ブーッとスマホのバイブ音が響く。
 俺のスマホはスラックスのポケットの中にあるけど、振動はない。きっと史くんのだ。
 でも、史くんは全くスマホを手に取ろうとはしない。

「史くん、出たら?」
「いいの?」
「うん。史くんさえ良いなら」

 そう促したら、ようやく史くんはスマホを取り出した。画面をタップして耳元にスマホを当てると、「もしもし、天馬(てんま)? どうかした」と、気さくな感じで話し始める。

 電話の相手の声は聞こえない。けど、よっぽど気を許してるんだろう。
 史くんは俺だけじゃなくて、他の人の前でもずっと王子様みたいな姿だったから、ありのままの自分を出してるのに驚いた。

(相手の人……誰なんだろ)

 自分から「出たら?」って言ったのに、つい気になってしまう。悪いと思いながらも、暗い海の方を見つめながら、史くんの会話に耳をそばだててしまった。
 相手は同じ学部の人らしくて、課題のことで何かを話してばかりいた。

「え。やだよ。俺の誕生日なのに、なんでわざわざお前のとこに行かなきゃなんないんだよ。恋人以外に優しくする筋合いはない」

 史くんはそう言ったところで、俺と繋いだままの手にキュッと力を入れてくる。
 史くんの方を向けば、口をぱくぱくとさせて、「もう終わらせるから」と言っているように見えた。
 けど、俺の頭の中は、史くんの「恋人以外に優しくする筋合いはない」って言葉でいっぱいだった。
 だって、スパルタな勉強させられてる俺は、史くんの恋人にはなれないんだって言われてるみたいじゃんか。
 目を背けてきた現実を、まざまざと突きつけられたようで、胸が苦しかった。

 結局、史くんの誕生日プレゼントは渡せないまま、しばらく夜の海風を浴びてから、俺たちは帰路についたのだった。