***
家に帰るなり、俺は八畳の自室で、ベッドに横になっていた。
《最悪》
《お前らとの罰ゲームのせいで、史くんに見られた》
《なんで史くんとこのバ先で買えって言ったんだよ》
《絶対、俺が使うって勘違いされた》
《史くんに幻滅される》
スマホで『it’s men』と書かれたグループトークに恨み辛みを連投して、盛大にため息をつく。
あんなことが起きたのは、すべて『実力テストで最下位とったヤツがゴムを買いに行く』っていうコイツらとの罰ゲームのせいだ。
でも、既読はつけど、俺を慰める気はさらさらないらしい。
親友の晴人からは、ゲラゲラ笑うサルのスタンプ。他のふたりからは、テーブルを叩くウマと鼻唄を歌うメガネのヒツジ。それぞれ絶妙に本人に似ていて、完全に俺をおちょくって見えた。
「おいこら! コイツら、まじで許せん! 他人事だと思って! せっかく買ったけど、ゴムも渡さねーからな!」
そう叫んで、俺はスマホを枕元にポイっと投げる。ブブッと、通知が来た音がしたけど、そんなの知るか。そのまま放置して、ベッドから起き上がった。
ただ、学習机へと向かって椅子に座るも、勉強しようにも集中力は皆無だ。
だって、さっき史くんから「あとで家に行く」と言われたんだぞ。勉強なんか、手につくはずがない。
(つーか、史くんにゴム買ってるとこ見られたんだし……。今度こそ消えたい……)
後悔しかないし、落ち着かないし。なんなら、胃までじくじくと痛み始める。
俺は史くんを諦めようとしてるけど、それでも幻滅されるとか、考えただけで生きた心地がしない。史くんの呆れた顔を思い出すだけで、目頭がじんとするのだ。
(あ、やばい。なんか泣きそうだ)
奥歯をぐっと噛み締めながら、咄嗟に目元を押さえたそのとき。コンコンッと扉を叩く音が部屋に響いて、俺は反射的に、振り向いた。
父さん母さんと三人暮らしの戸建てで、俺の部屋をノックする人間なんていない。つまり、それは史くんってことだ。
「莱? 入るよ?」
返事を待つことなく、ドアがガチャリと開く。
ただ、扉の向こうから現れた史くんは、さっき見た史くんとは違った。
さすがにエプロンはしてないけど、バイト着はそのまま。髪は乱れてボサボサ。なんか、肩で息もしてて、急いでやってきたのは明白だった。
「……史くん、家、帰んなかったの? 夕飯は?」
「帰って悠長にご飯なんて食べれるわけないよ。一大事なんだから」
史くんは即答して、ずんずんと俺の元にやってくる。
隣に来たかと思えば、ちらと俺の学習机の上を見て、盛大にため息をこぼした。
何か置いてたっけ。と、机を見れば、さっき買ったゴムがなぜかビニール袋から飛び出している。
(やば。どうしよ……)
じわりと背中に汗が滲み始める。
でも、どうすることもできない。今さら隠したところで、もう俺が買ったのを目撃されているのだ。
あぁ、ほんと俺のばか──と、唇を噛み締めた瞬間、史くんが机に手を伸ばした。
「ねぇ、莱。そんなに僕から離れたい?」
「……へ?」
「だから、僕から離れたいの?」
「えっと……どういう?」
史くんからゴムのことを言われるかと思ってたから、俺は首をかしげた。
でも、すぐに史くんの手を見て、ハッとする。触れているのはゴムじゃない。俺の……志望大学の赤本。
「あ……えっと」
「僕と同じ大学行くって、言ってたよね。薬剤師になって、将来は一緒に働きたいねって」
「それは」
「ここ、東京の大学でしょ。なんで……これがあるの?」
「えっと……」
史くんから離れなきゃいけないから──なんて、口が裂けても言えそうにない。
だって今、見上げた史くんの顔は、苦しげに眉をひそめている。今にも涙がこぼれ落ちそうなその様子に、俺の胸が詰まった。
「莱、もうずっと僕を避けてるでしょ。気づかないとでも思った?」
「それは……えっと……」
「莱は受験生だし、勉強に集中させてあげないとって思ってさ。莱の態度がおかしいなって思っても、見ないふりしてたんだよ。それなのに、莱はひどいよね」
史くんはそう言いながら、赤本を机に置く。
「えっと……その……」
「わかってる。もう、莱には誰かいるんだって」
「へ? 誰か?」
「ゴム、使う相手がいるんでしょ?」
「えっ、いや、それは──」
「相手の男と、一緒に同じ大学行こうって言ってる? その子が一緒に東京に行こうって?」
弁解する間も無く、史くんは立て続けに問い詰めてくる。
そんな今日の史くんは、いつも穏やかな史くんとは違った。焦ってるみたいに冷静さを欠いてるし、なんか盛大に勘違いしてるし。ちょっと雲行きがあやしい。
「いや、あの。ただ、東京もいいなーって思ったというか……」
考え抜いた結果、そう口にしたら、史くんの眉間にさらに深くしわが寄った。
あ、やばい。やらかしたかも。ごくりと唾を飲み込んで、椅子を後ろにずらした瞬間、俺は自分の耳を疑った。
「あ──……クソッ。めんどくせーな」
これまで史くんの口から聞いたことがないほど低い声で、汚い言葉を吐き捨てた。
かと思ったら、俺の椅子の背もたれに手を置いてくる。それはもう、逃げ道を塞ぐみたいに覆い被さってくる史くんは、怒りを必死に押し殺すように顔をゆがませていた。
初めて見る史くんの表情に、息が詰まる。
「なぁ、莱。何を勝手に俺から離れようとしてんの?」
どうやら、知らない史くんの扉を開けてしまったらしい。壁ドンならぬ、椅子ドンをする史くんは、これまでの王子様めいた姿とは程遠かった。
「え……っと、ふ、史くん……?」
戸惑う俺を他所に、史くんは「はっ」と息を吐く。王子様って言うより、まるで悪役だ。
「莱がうちの大学行きたいって言ったから、俺は地元に残ったんだわ。なのにさ、今さら誰が他のやつに渡すかっての。莱は俺のもんって、最初から決まってんの」
そう言って、史くんはさらに俺に顔を近づけてくる。
あまりの近さに戸惑って、喉がひゅっと鳴った。
全身の温度が跳ね上がるし、警報が鳴るように、心臓がけたたましい音を立てる。
やばい。だめだ。離れて欲しい。
だって、どれだけ諦めようとしたところで、俺はまだ史くんが好きなのだ。
(でも、史くん、彼氏いるのに……なんで)
どうしてこんなことになっているのか到底理解ができなくて、俺は目を白黒させた。すると、史くんは満足げににやりと笑う。
あ、そういう史くんも、かっこいい──……。
「って! ちがーう! 俺の知ってる史くんじゃない!」
ハッとして勢いよく叫んだら、史くんはふはっと噴き出した。
「莱、ごめんな? こっちが本性」
史くんはくくっと堪えるように、口元をひとつに結んでみせる。
そんな史くんを前に、俺の頭はもう混乱を極めて、とにかく「えぇっ……えぇぇぇえええ!?」と叫ぶほかなかった。
「──てなわけで、莱。勉強は俺が見るから、うちの大学絶対合格しような? 誰が逃すかよ」
史くんは俺の反応を愉しむように、ふっと目を細める。
(てなわけでって何!? 逃さないってどういうこと!?)
俺はただただ動揺して、口をぱくぱくさせるほかなかった。
だって、目の前にいる史くんは、俺の好きになった史くんじゃない。でも、そんな表情すらも、俺の心を揺らすのには十分すぎて──……。
この日を境に『史くんから逃げたい俺』と『俺を逃したくない史くん』による、勝ち目の見えない受験攻防戦が始まったのだった。
家に帰るなり、俺は八畳の自室で、ベッドに横になっていた。
《最悪》
《お前らとの罰ゲームのせいで、史くんに見られた》
《なんで史くんとこのバ先で買えって言ったんだよ》
《絶対、俺が使うって勘違いされた》
《史くんに幻滅される》
スマホで『it’s men』と書かれたグループトークに恨み辛みを連投して、盛大にため息をつく。
あんなことが起きたのは、すべて『実力テストで最下位とったヤツがゴムを買いに行く』っていうコイツらとの罰ゲームのせいだ。
でも、既読はつけど、俺を慰める気はさらさらないらしい。
親友の晴人からは、ゲラゲラ笑うサルのスタンプ。他のふたりからは、テーブルを叩くウマと鼻唄を歌うメガネのヒツジ。それぞれ絶妙に本人に似ていて、完全に俺をおちょくって見えた。
「おいこら! コイツら、まじで許せん! 他人事だと思って! せっかく買ったけど、ゴムも渡さねーからな!」
そう叫んで、俺はスマホを枕元にポイっと投げる。ブブッと、通知が来た音がしたけど、そんなの知るか。そのまま放置して、ベッドから起き上がった。
ただ、学習机へと向かって椅子に座るも、勉強しようにも集中力は皆無だ。
だって、さっき史くんから「あとで家に行く」と言われたんだぞ。勉強なんか、手につくはずがない。
(つーか、史くんにゴム買ってるとこ見られたんだし……。今度こそ消えたい……)
後悔しかないし、落ち着かないし。なんなら、胃までじくじくと痛み始める。
俺は史くんを諦めようとしてるけど、それでも幻滅されるとか、考えただけで生きた心地がしない。史くんの呆れた顔を思い出すだけで、目頭がじんとするのだ。
(あ、やばい。なんか泣きそうだ)
奥歯をぐっと噛み締めながら、咄嗟に目元を押さえたそのとき。コンコンッと扉を叩く音が部屋に響いて、俺は反射的に、振り向いた。
父さん母さんと三人暮らしの戸建てで、俺の部屋をノックする人間なんていない。つまり、それは史くんってことだ。
「莱? 入るよ?」
返事を待つことなく、ドアがガチャリと開く。
ただ、扉の向こうから現れた史くんは、さっき見た史くんとは違った。
さすがにエプロンはしてないけど、バイト着はそのまま。髪は乱れてボサボサ。なんか、肩で息もしてて、急いでやってきたのは明白だった。
「……史くん、家、帰んなかったの? 夕飯は?」
「帰って悠長にご飯なんて食べれるわけないよ。一大事なんだから」
史くんは即答して、ずんずんと俺の元にやってくる。
隣に来たかと思えば、ちらと俺の学習机の上を見て、盛大にため息をこぼした。
何か置いてたっけ。と、机を見れば、さっき買ったゴムがなぜかビニール袋から飛び出している。
(やば。どうしよ……)
じわりと背中に汗が滲み始める。
でも、どうすることもできない。今さら隠したところで、もう俺が買ったのを目撃されているのだ。
あぁ、ほんと俺のばか──と、唇を噛み締めた瞬間、史くんが机に手を伸ばした。
「ねぇ、莱。そんなに僕から離れたい?」
「……へ?」
「だから、僕から離れたいの?」
「えっと……どういう?」
史くんからゴムのことを言われるかと思ってたから、俺は首をかしげた。
でも、すぐに史くんの手を見て、ハッとする。触れているのはゴムじゃない。俺の……志望大学の赤本。
「あ……えっと」
「僕と同じ大学行くって、言ってたよね。薬剤師になって、将来は一緒に働きたいねって」
「それは」
「ここ、東京の大学でしょ。なんで……これがあるの?」
「えっと……」
史くんから離れなきゃいけないから──なんて、口が裂けても言えそうにない。
だって今、見上げた史くんの顔は、苦しげに眉をひそめている。今にも涙がこぼれ落ちそうなその様子に、俺の胸が詰まった。
「莱、もうずっと僕を避けてるでしょ。気づかないとでも思った?」
「それは……えっと……」
「莱は受験生だし、勉強に集中させてあげないとって思ってさ。莱の態度がおかしいなって思っても、見ないふりしてたんだよ。それなのに、莱はひどいよね」
史くんはそう言いながら、赤本を机に置く。
「えっと……その……」
「わかってる。もう、莱には誰かいるんだって」
「へ? 誰か?」
「ゴム、使う相手がいるんでしょ?」
「えっ、いや、それは──」
「相手の男と、一緒に同じ大学行こうって言ってる? その子が一緒に東京に行こうって?」
弁解する間も無く、史くんは立て続けに問い詰めてくる。
そんな今日の史くんは、いつも穏やかな史くんとは違った。焦ってるみたいに冷静さを欠いてるし、なんか盛大に勘違いしてるし。ちょっと雲行きがあやしい。
「いや、あの。ただ、東京もいいなーって思ったというか……」
考え抜いた結果、そう口にしたら、史くんの眉間にさらに深くしわが寄った。
あ、やばい。やらかしたかも。ごくりと唾を飲み込んで、椅子を後ろにずらした瞬間、俺は自分の耳を疑った。
「あ──……クソッ。めんどくせーな」
これまで史くんの口から聞いたことがないほど低い声で、汚い言葉を吐き捨てた。
かと思ったら、俺の椅子の背もたれに手を置いてくる。それはもう、逃げ道を塞ぐみたいに覆い被さってくる史くんは、怒りを必死に押し殺すように顔をゆがませていた。
初めて見る史くんの表情に、息が詰まる。
「なぁ、莱。何を勝手に俺から離れようとしてんの?」
どうやら、知らない史くんの扉を開けてしまったらしい。壁ドンならぬ、椅子ドンをする史くんは、これまでの王子様めいた姿とは程遠かった。
「え……っと、ふ、史くん……?」
戸惑う俺を他所に、史くんは「はっ」と息を吐く。王子様って言うより、まるで悪役だ。
「莱がうちの大学行きたいって言ったから、俺は地元に残ったんだわ。なのにさ、今さら誰が他のやつに渡すかっての。莱は俺のもんって、最初から決まってんの」
そう言って、史くんはさらに俺に顔を近づけてくる。
あまりの近さに戸惑って、喉がひゅっと鳴った。
全身の温度が跳ね上がるし、警報が鳴るように、心臓がけたたましい音を立てる。
やばい。だめだ。離れて欲しい。
だって、どれだけ諦めようとしたところで、俺はまだ史くんが好きなのだ。
(でも、史くん、彼氏いるのに……なんで)
どうしてこんなことになっているのか到底理解ができなくて、俺は目を白黒させた。すると、史くんは満足げににやりと笑う。
あ、そういう史くんも、かっこいい──……。
「って! ちがーう! 俺の知ってる史くんじゃない!」
ハッとして勢いよく叫んだら、史くんはふはっと噴き出した。
「莱、ごめんな? こっちが本性」
史くんはくくっと堪えるように、口元をひとつに結んでみせる。
そんな史くんを前に、俺の頭はもう混乱を極めて、とにかく「えぇっ……えぇぇぇえええ!?」と叫ぶほかなかった。
「──てなわけで、莱。勉強は俺が見るから、うちの大学絶対合格しような? 誰が逃すかよ」
史くんは俺の反応を愉しむように、ふっと目を細める。
(てなわけでって何!? 逃さないってどういうこと!?)
俺はただただ動揺して、口をぱくぱくさせるほかなかった。
だって、目の前にいる史くんは、俺の好きになった史くんじゃない。でも、そんな表情すらも、俺の心を揺らすのには十分すぎて──……。
この日を境に『史くんから逃げたい俺』と『俺を逃したくない史くん』による、勝ち目の見えない受験攻防戦が始まったのだった。



