遡ること、三十分前。時刻は午後八時五十分。俺は帽子に伊達メガネ、マスクという不審者スタイルで、閉店間際のドラッグストアにいた。
そんな俺の目の前には、衛生用品の棚。
店内に流れる『別れのワルツ』を耳にしながら、色とりどりのコンドームと睨めっこしていた。
「えっと……何が良いんだっけ。わっかんねぇー……」
ぼそっと独りごちながら、とりあえず黒いパッケージに手を伸ばす。そっと箱の裏面を見れば、極薄0.01ミリだとか、最高の付け心地だとか書いてあって、頭ん中に宇宙が広がった。
(やばい。未知の世界すぎる……)
何を基準に選べばいいのかさっぱりで、俺は思わず、むむっと口を尖らせる。
だって、俺は見た目はド派手なイケメンと言われるけど、恋愛経験は1なのだ。しかもそれ、史くんへの片想いオンリー。
そんな童貞極まりない俺が、ちゃちゃっとゴムを買えるはずもない。
「つーか、そもそも俺のじゃないし……。こんなとこ、もし史くんに見られたら、どうしてくれんだよ」
原因となった友人たちを思い出すだけで、ついイラッとして、箱を持つ手に力が入った。
とはいえ、今日は木曜日だ。
麻子さん情報だと、薬学部に通う史くんは忙しくて、バイトは週末だけらしい。
(レシートあれば納得するはずだし。もう、さっさと買って帰ろ……)
気を取り直して、ゴムをレジに持って行こうとした、そのとき。
「莱……? そこで何してるの?」
よく耳に馴染む、やわらかなテノールの声。右耳からすっと入ってきたその声に、思わず肩が跳ねる。
(は? 史くん、なんで。今日休みのはずじゃ──)
史くんの方を向けるはずもなく、俺はその場で固まった。
何せ、俺の手にはコンドームの箱。そして俺は、受験生。
史くんには「受験で忙しい」と言って、会うことも連絡することもなかったのだ。手元のこれがバレたら、ガチでやばい。
なのに、現実というのは無情だ。
ダラダラと冷や汗をかく俺のもとに「ねぇ、莱」と、史くんが近づいてくる気配がある。
「ひっ、人違いじゃないですか?」
咄嗟に顔を背けながら、いつもよりも声を二段階くらい上げて誤魔化す。
でも、そんなことは無意味ってもんで。気づけば肩を掴まれていて、ぐいっと強制的に史くんの方を向かされた。
久々に会った史くんは、白シャツの上にエプロンっていう格好。それなのに、相変わらず王子様みたいだから、本当にすごい。
黒髪黒目の俺と違って、日本人離れしたやわらかそうな薄茶色の髪に、琥珀色の瞳。175センチある俺よりも少し目線が高くて、やや垂れ気味の眦をした端整な顔立ち。
そんな眩い史くんに見つめられるだけで、俺の心臓はいつもせわしなくなってしまう。
だけど、今日の史くんの顔はどこか曇って見えた。
「何言ってるの、莱。僕が莱を見間違えるとでも?」
「いや、人違いで」
「そのダル着も、帽子も、見覚えがあるよ?」
史くんはそう言いながら俺に手を伸ばしてきて、口元のマスクをずらしてくる。
「あっ……」
せっかくバレないように隠してたってのに、一瞬で顔があらわになってしまう。
すると史くんは、呆れたように眉尻をさげた。
「莱、なんで嘘つくの」
「ご、ごめん」
「そもそも、何。こんな変装までして、こんな時間に出歩いて」
「えっと、あの」
「おまけにソレ。そんなもの持って、どこの誰と何しようとしてるの」
史くんはゴムを指差して、詰め寄るように顔を近づけてくる。言葉は棘がはらんでいるし、その顔には眉間にしわが寄っているし、まさにお怒りモード。
しかも、あまりに距離が近い。史くんのシャンプーの匂いがして、くすぶったままの気持ちが今にも再燃しそうだ。俺は慌てて、飛び退いた。
「ふっ、史くんに関係ないじゃん」
「いや、だって、莱。僕には受験勉強しなきゃって避けてるのに、なんでこんな──」
「勉強してるし! してる! してるから!」
食い気味で問い詰めてくる史くんに、慌てて反論する。
「してる? 本当に? なら、なんでコンド──」
「わ〰〰〰〰っ! それより! なんで史くん、木曜なのにバイトにいんの」
史くんの綺麗な顔で、生々しい単語を聞きたくない。
必死に言葉を遮ると、史くんは一瞬、目をぱちくりさせた。でも、すぐにはぁと嘆息する。
「莱。大学生はね、九月も夏休みなんだよ」
「え、ほんとに?」
「うん。ほんと。去年も僕、九月はずっとバイト入ってたのに、忘れちゃった?」
どことなく、寂しそうに肩をすくめる史くんを見て、ちくりと胸が痛んだ。その次の瞬間。
「浅倉くんー! お客さんもうほぼいないから、外の旗、取り込んでもらっていい?」
史くんの向こうから、女性の声がした。すぐさま、史くんは俺の肩から手を離して、振り返る。
「はーい。わかりました。やっておきます」
いつもの史くんの、軽やかな声。そんな返事をするもんだから、もう俺は解放されると思ったのに。すぐに史くんは俺の方に向き直って、耳元に唇を近づけてくる。
「莱。後で話あるから、家行く」
「やだよ」
「やじゃない。いいから、言うこときいて」
俺には、拒否権はないらしい。史くんはいつになく声を低くして、一方的にそう言ってくる。
(……やだよ。史くんと二人っきりとか……なりたくない)
でも、そんなこと口に出すことなんてできなくて、俺はきゅっと唇を引き結んだ。
史くんは何か言いたげな顔をしてたけど、飲み込むように苦笑する。
「じゃあ、またあとで」
そう言い残して、隣を通り過ぎていく。その広い背中が見えなくなるまで、俺は無意識に史くんを目で追っていた。
そんな俺の目の前には、衛生用品の棚。
店内に流れる『別れのワルツ』を耳にしながら、色とりどりのコンドームと睨めっこしていた。
「えっと……何が良いんだっけ。わっかんねぇー……」
ぼそっと独りごちながら、とりあえず黒いパッケージに手を伸ばす。そっと箱の裏面を見れば、極薄0.01ミリだとか、最高の付け心地だとか書いてあって、頭ん中に宇宙が広がった。
(やばい。未知の世界すぎる……)
何を基準に選べばいいのかさっぱりで、俺は思わず、むむっと口を尖らせる。
だって、俺は見た目はド派手なイケメンと言われるけど、恋愛経験は1なのだ。しかもそれ、史くんへの片想いオンリー。
そんな童貞極まりない俺が、ちゃちゃっとゴムを買えるはずもない。
「つーか、そもそも俺のじゃないし……。こんなとこ、もし史くんに見られたら、どうしてくれんだよ」
原因となった友人たちを思い出すだけで、ついイラッとして、箱を持つ手に力が入った。
とはいえ、今日は木曜日だ。
麻子さん情報だと、薬学部に通う史くんは忙しくて、バイトは週末だけらしい。
(レシートあれば納得するはずだし。もう、さっさと買って帰ろ……)
気を取り直して、ゴムをレジに持って行こうとした、そのとき。
「莱……? そこで何してるの?」
よく耳に馴染む、やわらかなテノールの声。右耳からすっと入ってきたその声に、思わず肩が跳ねる。
(は? 史くん、なんで。今日休みのはずじゃ──)
史くんの方を向けるはずもなく、俺はその場で固まった。
何せ、俺の手にはコンドームの箱。そして俺は、受験生。
史くんには「受験で忙しい」と言って、会うことも連絡することもなかったのだ。手元のこれがバレたら、ガチでやばい。
なのに、現実というのは無情だ。
ダラダラと冷や汗をかく俺のもとに「ねぇ、莱」と、史くんが近づいてくる気配がある。
「ひっ、人違いじゃないですか?」
咄嗟に顔を背けながら、いつもよりも声を二段階くらい上げて誤魔化す。
でも、そんなことは無意味ってもんで。気づけば肩を掴まれていて、ぐいっと強制的に史くんの方を向かされた。
久々に会った史くんは、白シャツの上にエプロンっていう格好。それなのに、相変わらず王子様みたいだから、本当にすごい。
黒髪黒目の俺と違って、日本人離れしたやわらかそうな薄茶色の髪に、琥珀色の瞳。175センチある俺よりも少し目線が高くて、やや垂れ気味の眦をした端整な顔立ち。
そんな眩い史くんに見つめられるだけで、俺の心臓はいつもせわしなくなってしまう。
だけど、今日の史くんの顔はどこか曇って見えた。
「何言ってるの、莱。僕が莱を見間違えるとでも?」
「いや、人違いで」
「そのダル着も、帽子も、見覚えがあるよ?」
史くんはそう言いながら俺に手を伸ばしてきて、口元のマスクをずらしてくる。
「あっ……」
せっかくバレないように隠してたってのに、一瞬で顔があらわになってしまう。
すると史くんは、呆れたように眉尻をさげた。
「莱、なんで嘘つくの」
「ご、ごめん」
「そもそも、何。こんな変装までして、こんな時間に出歩いて」
「えっと、あの」
「おまけにソレ。そんなもの持って、どこの誰と何しようとしてるの」
史くんはゴムを指差して、詰め寄るように顔を近づけてくる。言葉は棘がはらんでいるし、その顔には眉間にしわが寄っているし、まさにお怒りモード。
しかも、あまりに距離が近い。史くんのシャンプーの匂いがして、くすぶったままの気持ちが今にも再燃しそうだ。俺は慌てて、飛び退いた。
「ふっ、史くんに関係ないじゃん」
「いや、だって、莱。僕には受験勉強しなきゃって避けてるのに、なんでこんな──」
「勉強してるし! してる! してるから!」
食い気味で問い詰めてくる史くんに、慌てて反論する。
「してる? 本当に? なら、なんでコンド──」
「わ〰〰〰〰っ! それより! なんで史くん、木曜なのにバイトにいんの」
史くんの綺麗な顔で、生々しい単語を聞きたくない。
必死に言葉を遮ると、史くんは一瞬、目をぱちくりさせた。でも、すぐにはぁと嘆息する。
「莱。大学生はね、九月も夏休みなんだよ」
「え、ほんとに?」
「うん。ほんと。去年も僕、九月はずっとバイト入ってたのに、忘れちゃった?」
どことなく、寂しそうに肩をすくめる史くんを見て、ちくりと胸が痛んだ。その次の瞬間。
「浅倉くんー! お客さんもうほぼいないから、外の旗、取り込んでもらっていい?」
史くんの向こうから、女性の声がした。すぐさま、史くんは俺の肩から手を離して、振り返る。
「はーい。わかりました。やっておきます」
いつもの史くんの、軽やかな声。そんな返事をするもんだから、もう俺は解放されると思ったのに。すぐに史くんは俺の方に向き直って、耳元に唇を近づけてくる。
「莱。後で話あるから、家行く」
「やだよ」
「やじゃない。いいから、言うこときいて」
俺には、拒否権はないらしい。史くんはいつになく声を低くして、一方的にそう言ってくる。
(……やだよ。史くんと二人っきりとか……なりたくない)
でも、そんなこと口に出すことなんてできなくて、俺はきゅっと唇を引き結んだ。
史くんは何か言いたげな顔をしてたけど、飲み込むように苦笑する。
「じゃあ、またあとで」
そう言い残して、隣を通り過ぎていく。その広い背中が見えなくなるまで、俺は無意識に史くんを目で追っていた。



