聖夜は不思議そうに俺を見た。どうして、と一拍遅れて尋ねてくる。
「……今日遊んでよくわかった。俺と聖夜の住む世界がぜんぜんちがうこと。聖夜が俺といても……なんていうか、聖夜のためによくないと思う」
「よくないって? 具体的には?」
「え、えっと……」
たとえば――聖夜がサッカー部とか運動部に入ったらたくさん注目を浴びれると思う。スポーツ推薦だって狙えるかもしれないし、そうじゃなくても大学入試に有利に働くのは間違いない。
そういう意味のことを言う俺に「大人みたいなこと言うんだね」と聖夜はつぶやいた。アイスコーヒーのカップを持ちあげて、氷をざらりと鳴らす。
「でも、それだけじゃ夏稀と遊ばないほうがいいっていう理由にはならない」
「…………」
「俺が運動部に入ったとしても、ほかの時間をどう過ごそうが自由だと思うけれど。夏稀はどうしてそう思うの?」
すぐには答えられなかった。
ねえ、夏稀、とやさしくうながされて俺はのろのろと口を開く。
「……俺がいることで聖夜の迷惑になってる気がする」
「なってないよ。俺は夏稀と一緒にいて楽しい」
「聖夜は……もっと、カースト上位のやつといたほうがいいと思う」
「そんな決まりなんてない。俺はそんなことで付き合う人間を決めないし、そもそも、カーストどうこうなんてくだらない幻想だ」
「――聖夜は……」
それ以上言葉がでてこなかった。聖夜はコーヒーを一口飲み、「ぜんぶただの言いわけだろ」と諭すように言ってくる。
「ほんとうの理由はちがうんじゃないの?」
どこかのテーブルで大きな笑い声があがった。おまえさー、バカじゃねーの。俺たちと同年代のその声を聞いて心臓がひやりとする。
俺が落ちつきをなくしたのを見て、 場所変えようか、と聖夜が聞いてきてくれる。そこまでする必要はないと俺は首を横に振った。そして、もうどうにでもなればいいと思いながら話しだす。
小学生のときの傷を。
「小学生のときさ。体が大きくて、なにか気に入らないことがあったらすぐ暴力をふるうやつがいたんだ。男はそいつに媚びるか、自分がターゲットにされないように関わろうとしないかのどっちか。女子はみんな泣かされてて、先生も手を焼いてた」
一年生のときからそいつの傍若無人っぷりは目立っていたけれど、二年生になってさらにエスカレートしていた。
運悪く同じクラスになってしまった俺はそいつと関わらないことをえらんだ。なるべく目を合わせない。近寄らない。気に障ることをしない。
「教室は……そいつに支配されてた」
そいつがいるだけで教室の空気が張りつめていた。次はどんな理由をつけてだれを殴るのか。みんなびくびくしていた。
「だれも保護者には言わなかったの?」
「……言った子もいたと思う。でもそいつは狡猾で。痕が残るようなケガはさせなかったし……学校もことなかれ主義ってやつで。子供同士の喧嘩でごまかしてたと思う」
あのときのことは思いだすだけで気分が悪くなる。
あいつが風邪かなにかで休んでくれればいいのに。たぶん、みんな毎日そう願っては裏切られていた。
「二学期がはじまってすこしして、だった。学期が変わったタイミングで席替えがあったんだけど、そこで俺はあいつの後ろになって……俺の好きな子がそいつの隣になったんだ。
……その子は毎日髪をひっぱられたり足を蹴られたりしてた。口にしたくないようなことだってされてて。それで――そのうち、俺は耐えられなくなって」
――いやがってんだろ! やめろよ!
「授業中だったけど、そう叫んで立ちあがったんだ。みんなびっくりして俺を見て……そのなかで、俺は、」
――言っとくけど、おまえのこと好きなやつなんてどこにもいないからな
「……そう追いうちかけたんだ。やめとけばよかったのに。
先生でもなければ目立つ生徒でもない俺に言われて、なんでかそいつはそれきり暴力を振るわなくなった。やるじゃん、ってそのとき仲よかった子はみんな言ってくれた。俺が好きだった子も『ありがと』って言ってくれた。俺は……そいつをやっつけたんだ、って嬉しくなった。でも」
次の日から、そいつは学校にこなくなった。
「初めはみんな喜んだ。俺のことをヒーロー扱いしてくれた。でもそれが一ヵ月以上つづくと風向きが変わってきた。『そいつが不登校になったのは俺のせいだ』。みんな、影でそう言いはじめた。『あれは言いすぎだ、さすがに可哀想だ。夏稀が悪い』って」
好きな子を助けたはずのヒーローは、いつの間にか加害者になっていた。
「……そいつはけっきょく、新年度まで学校にこなかった。登校してからも元気なくて。俺を見ると避けるようになってた。
そのことがきっかけで当時仲がよかった子とはよそよそしくなった。俺が好きだった子も。『あれはひどいよね』って――いつだか友達と話してた」
いまならわかる。あいつの暴力はみんなにかまってほしい気持ちの裏返しだった。
俺は、あいつが一番言われたくなかったことをみんなの前で言ってしまったのだと。
それ以来、俺はだれかと関わることが怖くなった。
だれかを傷つけること。目立つこと。悪者になること。そのぜんぶが。
「正直。忘れたい思い出、だけど」
十年近く前のことを引きずってるなんて笑われるかもしれない。でも俺は。
正しいと思ってやったことがだれかを傷つけて――正しいと思ってやったことが間違いだったとみんなにささやかれたときのことが、いまだに胸に棘のように突き刺さっていた。
俺が加害者になってしまったとき、だれも助けてくれなかった。そのこともふくめて。
「あー……えっと。だから、なにが言いたいかっていうと」
俺は聖夜と仲よくしていい人間じゃない。顔をあげて、どうにかそうまとめようとしたとき、
向かいに座っている聖夜の瞳が。
真っ黒に翳っていることに気がついた。
俺は小さく息を呑む。
「聖夜……?」
「――ああ、ごめん」
聖夜は小さく首を振る。
さっきのは見間違いだったのか、いつものやさしい表情で聖夜は俺を見つめてくる。
「ちがったら申しわけないんだけど。夏稀は、俺と関わることで世界が広がるのが怖いのかな」
「え?」
「関わる相手が増えると、そのぶんだれかを傷つけてしまう確率も高くなる。夏稀はそれに怯えてるのかな……って思ったんだけど。ちがう?」
……そう、なんだろうか。
聖夜と一緒にいちゃいけないと思うのは。俺が、自分を守ろうとしてるだけ……?
「ならこうしよう」と聖夜は手を伸ばしてテーブルの上に置いていた俺の手の上に重ねてくる。
「夏稀と遊ぶときはふたりきり。ほかのだれかを誘ったりしない。これでどう?」
「……けど、」
「俺の進路のことなんて気にしなくていい。自分でどうにかできるくらいの実力はある。――それに」
俺、自分がほしいと思ったものはどんな手を使っても手に入れるタイプなんだよ。
そう微笑みながら言った聖夜の目は、笑っていない……気がした。

