たっくんが風邪で休んで、絶望的だった体育の授業を緒川にかばってもらったことで無事に切りぬけた翌日。
よく言えば古風、悪く言えば年季の入った古い校舎が見えてきたところで俺はだれかが塀にもたれかかるようにして立っていることに気づいた。
俺は小走りになる。
「たっくん、」
「……はよ」
たっくんは気だるそうに視線を俺に向ける。
遊佐拓虎。愛称たっくん。
髪をブリーチしていてピアスを開けていて制服を着崩している彼は高校で初めてできた俺の友達であり、『二人組協定』を結んだ相手であり、ゲーム同好会の同士だ。
目つきは鋭くて、彼のことをなにも知らないと常に不機嫌か怒っているように見える。たっくんも特にそれを否定しようとはしない。
なので必然的に周囲とは大きな壁ができていて――その内側にいるのはいまのところ俺だけのようだった。すくなくとも、学校では。
「風邪もう大丈夫?」
「……あー」たっくんはゆっくり体を起こす。「悪かったな。見舞い来てくれたのに寝てて」
昨日、俺はたっくんの家まで行ったけどあいにく彼は寝ていた。ので、たっくんのお母さんにポカリとゼリーを渡して帰ったのだった。
「まだ声枯れてない?」
「こんなもんだろ」
俺たちはならんで歩きだす。
昨日平気だったか、と聞かれて「なにが?」と俺は尋ねかえした。
「体育。……せっかく協定結んだのに」
「ああ」
俺がぼっちにならないか心配してくれていたらしい。
緒川が組んでくれたから大丈夫、と俺が答えるとたっくんはぽかんとした。
「は? 緒川って……あの緒川?」
「そうだよ。あの緒川」
「……ナツと仲良かったか?」
「そんなことないんだけど」
緒川はああいう感じだから俺があまるのを気にして声かけてくれたんだと思う、と言うと「ふうん」とたっくんは前を見たままつぶやく。
「ナツが平気だったならいいんだけど……」
なんだか複雑そうな声だった。
「けど、なに?」と聞いてみても「べつに」しか返ってこなかったものの。
「そうだ、今日の部活どうする? 出られそう?」
「……あー。ま、無理ない程度に」
たっくんがだるそうなのはいつものことなので、具合がよくなくてそうなのか普段通りなのかちょっと判断ができない。
念のため気をつけておこう。
「そういや昨日、体育サッカーだったんだけど……」
緒川のハットトリックの話を聞かせていたら教室についた。たっくんは終始「ふうん」。
彼の席は俺のひとつ前だけれど、話題にしていた本人がもう教室にいたので俺はそこで話をやめた。
緒川は自分の席で女子たちに勉強を教えてあげているらしい。
面倒見がいいな、と感心しているとふいに緒川が振りかえった。自分の机の前に立っている俺に気づき、シャーペン片手ににっこりと微笑みかけてくる。
「……、」
いや、その笑顔、なに。
例によって俺が女子だったら落ちてたレベルの笑顔にどきりとする。
手くらい振るべきなのかな、と迷っているうちに緒川はもう女子たちのほうに向きなおっていた。
……なに? マジで。
「どした、ナツ」
「……俺、男でよかった……」
「は?」
こんなことされるたびに好きになってたら、キリないし。
午前中の授業はいつもどおり退屈に終わって、俺とたっくんは一緒にゲーム同好会の部室に向かう。同好会に入って以来、昼飯はここで食べるのが恒例になっている。
俺は弁当。たっくんは途中のコンビニで買ったパン。
匂いがこもらないよう窓を開けて、俺たちはふたつあるソファに向かいあって座る。
同好会は俺たちを入れて四人。あとのふたりはどちらも先輩だ。
でもふたりとも部活をかけもちしていてここにくることはあまりない。『適当にやっておいて』が現会長から唯一もらった指示。
パソコンやゲーム機を置く場所が必要だから部室を用意してもらえてるけど、かなり特例だと思う。活動実績から言っても。
「そういや新曲実装されたんだけど、譜面クセあって……」
たっくんは基本的にどんなゲームもやるけど、いま一番はまっているのがソシャゲのリズムゲームだ。前にプレイしているところを見せてもらったら目で追えないほど速く指が動いていてぶっ飛んだ。俺もアプリ自体はインストールしてあるものの、FPSのほうで忙しく、いまでは無事にログボ勢になっている。
「さすがに風邪のときはやってないよな?」
「やってねーよ。ログボ受けとってデイリーこなしてスタミナ消費しただけだから」
「やってんじゃん」
ちゃんと休まなきゃダメだろ、と俺が叱るとたっくんは「はいはい」とぶっきらぼうに答える。そして好物の焼きそばパンにかぶりついた。
俺も自分の弁当を食べようとしたとき、「ナツ」と呼びかけられる。
「卵焼き」
「……はいはい。一個だけな」
「やりぃ」
焼きそばパンの上に卵焼きをひと切れのせてやるとたっくんは歯を見せて笑う。
彼の好物その二は俺の母親が作る卵焼きだ。毎回ねだられる。
入学式で初めてたっくんを見たときはこんなふうに仲良くなるなんて思いもしなかったな……。
とんとん、と部室のドアがノックされたのはふたりとも昼飯を食べおえたときだった。
「はい?」
先輩たちならノックしてくることなんてない。隣の地図研究部がなにか用事できたのかな、と思いながら俺は返事をする。
ドアを開けて入ってきたのは緒川だった。
「え――」
予想もしていなかった相手に驚く俺。体を固くするたっくん。
「あ、なんだか驚かせた?」と緒川は微笑むと後ろ手にドアを閉めた。手ぶらだけどもう昼飯は済んだのだろうか。
休み時間になるとだれもが緒川と話したがる。なので、彼がひとりでいるのを見るのは不思議な心地がした。
「え……っと」と俺はたっくんと顔を見合わせ、代表して俺が「どうした?」と緒川に尋ねる。
緒川は俺を見下ろすとやわらかい声で言った。
「ゲーム同好会に入りたいんだ。ダメかな?」
予想もしていなかった相手、から言われた予想もしていなかった言葉にきょとんとする。
「え……緒川が?」と尋ねかえすと「そう」と彼はうなずいた。
「ひょっとして枠がいっぱいとかある?」
「いや、そんなことないけど……」むしろ足りないくらいだ。「でも緒川って運動得意じゃん。運動部から誘われてないの?」
「誘われてるけど――でも、こっちのほうが楽しそうだから」
「はぁ……」
たしかにFPSをやっているとは言っていた。でも、緒川はゲームのコントローラーやキーボードを操作するよりもサッカーボールを追いかけていたほうが似合うような……
……いや、そんなことない、と俺は自分で否定する。緒川はなにをやらせても似合う。軽やかにキーボードを叩く姿なんて歴戦のハッカーみたいだ。
自分で想像した緒川の姿に『やるな……』と感心したあと、「で、でも」と俺は我に返る。
「ほんとにいいのか? うち運動部のほうが有名で強いし……サッカー部なんかは地元のテレビが取材にくるくらいなのに。そっちのほうが活躍できると思うけど」
「そうかな。俺、eスポーツでも戦力になるよ」
「ぶっちゃけ女の子たちに受け悪いよ? なんか陰キャっぽいって」
「そうかな。大会に向けてがんばってる姿に陰も陽もないと思うけど」
俺はたっくんを振りむく。
「たっくん……どうしよ、期待の大型新人かも……」
「…………」
はぁっと彼は溜め息を吐きだす。
「べつに。ってか俺らに決定権ねえじゃん。先輩に聞かないと」
「あ、そか」
入部していいか決めるのは三年の鳥見橋先輩だ。
「ごめん、先輩に聞いてみる」と緒川に断って俺はスマホを操作した。先輩にラインで事情を説明する。
返事は十分くらいで返ってきた。
『おっけー』
「……だそうです」と俺はスマホをたっくんと立ったままの緒川に見せる。
たっくんはぷいと横を向いて、よかった、と緒川は微笑んだ。
「これでナツと一緒にいられるね」
「え?」
「冗談」
……こうして期待の大型新人の入会が決まって。
ゲーム同好会は四人から五人になって。
そして、あとにして思えば。
緒川は俺と合法的にふたりになる手段を手に入れた――のだった。
