新田先輩から鬼のように電話がかかってこなかったら、きっと明け方まで聖夜は俺にキスをしていたと思う。
でもさすがにムードもなにもなくなるくらい連続で聖夜のスマホが鳴って、どちらからともなく俺たちは体を離した。聖夜はちょっと残念そうに電話にでて、「――ええ、大丈夫です。これから帰ります」と言って通話を終える。
俺たちはすこしの間黙りこんで、それからふたりで笑いあった。
「……帰ろうか、ナツ」
「うん――」
聖夜のスマホで足元を照らし、はぐれないように、と彼が言うので手を繋いで帰り道をたどる。迷いなく歩いていく聖夜の背中が、ちょっと、というかかなり頼もしい。
暗闇の中で俺が不安にならないようになのか、聖夜は明るい声を作って話しかけてきた。
「せっかくの夏休みなんだし俺の部屋に泊まりにきてよ、ナツ」
「へ……変なことしないなら」
「するよ。恋人なんだから」
「え、」
「ちがった?」
……ちがわない。
聖夜は俺に断るという選択肢を与えてくれていた。それを蹴って、彼と一緒にいる道をえらんだのは俺自身だ。
ちゃんと受けとめなくちゃ。
「そう……そう、だよ。聖夜は俺の恋人。これでいいかよ」
「もっとちゃんと言って」
「お……俺、綿辺夏稀は、緒川聖夜とつきあうことになりました」
「そうじゃなくて」
「は!?」
「俺のこと、好きって。ちゃんと言って」
聖夜は立ちどまると俺を振りかえる。
……今更なんだけど、俺、聖夜の顔かなりタイプかもしれない。いままではかっこいいとしか思ってなかったのに。いや、それともこれは好きな相手はなんでもよく見えるとかそういう――
「……っ、好きだよ。好き。文句あるか!」
嬉しそうに聖夜は手をにぎりなおしてきた。
「俺も。ナツが大好き。帰ったら世界が滅んでてふたりだけだったらいいのにって思うくらい好き」
「……重いんだよ、聖夜の『好き』……」
「ナツは思わない?」
「……世界が滅亡してたら、もう聖夜と東京遊びに行ったりゲーセン行ったりできなくなるじゃん」
ふたりで楽しい時間を共有すること。それが俺の『好き』なんだと思う。
だから、まあ、変なことはしないけど、と俺は聖夜をうながして歩きだす。
「練習、するから。カレー」
「……うん」
「聖夜の誕生日にも……あんなふうに豪華なのは無理だけど、母さんにアップルパイ作ってもらえるよう頼んでおくし、プレゼントだってちゃんとふたつ用意しておくから。……俺の精一杯で、聖夜に応えるから」
「うん――」
ありがとう、と聖夜が隣で笑った気配がした。
だれかのためじゃない。自然な笑顔で。
「大好きだよ、ナツ」
「……う、ん」
俺も、って言うべきなんだろうか。でもただでさえ顔が熱い。
これ以上熱くなるようなことをしたら発火する、と迷っていたら先に聖夜が言った。
「じゃあ変なことはなしってことで。しばらくだけど」
「しばらくって。しばらくって……!」
旅館に帰るとたっくんが半泣きで鳥見橋先輩が俺たちをまとめて叱ってきて(後輩が迷子になっても彼だけはへらへらしていると思ったので意外だった)新田先輩がそれをいさめて、伯父さん夫婦がはやくお風呂入ってきちゃいなさいと言ってくれた。俺は空腹だったけど、体を温めるのが先だと思ったので即従う。
「聖夜は――」
「……俺も入っておこうかな」
その返事にどきっとしたけど、男同士なのに入るタイミングをずらしたら変だ。なにかあったと思われる。
聖夜の『しばらく』が百年くらい先であることを祈りながら俺たちは着替えを持って大浴場に向かった。
本来なら利用時間ではないのでもうほかに客はいない。さっさと入ってさっさとでよう、と俺はロッカーの前で無心で服を脱ぐ。
そして先行ってるから、と聖夜に声をかけて先に大浴場へのドアを開けた。
湯船に入る前に髪と体を洗っていると、ひとつ空けて隣に聖夜が座った。ほとんど逃げるようにして俺は体を洗いながして湯船に浸かる。
はやく上がりたい気持ちとは裏腹に冷えた体が熱いお湯でほぐれていって、思わず息を吐きだした。
……あ、っていうか聖夜のジャージ返さなきゃ。半袖じゃ今日寝るとき寒いよな。
あとで忘れずに返そう、と思っていると丁寧に体を洗っていた聖夜が湯船に入ってくる。いくらなんでもその直後にでたら悪いと思って、「聖夜、あとでジャージ――」と彼のほうを見た俺は言葉を失った。
聖夜の左腕、肩の近くには十センチくらいの火傷の痕があった。
――痛い、と俺は尋ねる。
すっかり白くなった古傷だったけど、それは妙に浮きあがって見えたから。
聖夜は不思議そうな顔をしてから俺がなにを言っているかに気づき、ああ、と自分の左腕をちらりと見た。
「大丈夫だよ。もう十年以上前のだから」
「……なんでできたのか聞いてもいい?」
「うん。ナツにだったら……」と彼は言いかけて、「ちがうな。ナツには、知っておいてほしい」と言いなおした。
そしてやわらかい声で俺に教える。
これも父親のしつけの一環。でもその日父親は悪酔いしていて、熱湯が入ったケトルを聖夜に投げつけてきたのだという。
「母親はすぐに水で冷やしてくれたけど、病院にはいかなかった。行けばなにがあったか聞かれるから。……だから、こんなに痕が残った」
もう十年以上も前なのにね、と聖夜は白い湯気を見ながらつぶやく。
彼の母親がすぐに病院に行っていたら。
こんなにくっきりと残ることはなかったかもしれないのに――
「でも、これだけだよ。痕が残った傷は。これに懲りて手加減するようになったからさ」
「…………」
「きっともう――これをつけた本人も、母さんも、俺が腕に火傷したことなんてとっくに忘れてるだろうけど」
俺は腕を伸ばして聖夜の火傷痕にふれた。
聖夜は笑顔を作ろうとしていたのをやめて、お湯で濡れた手で自分のまぶたをこする。
着替えのときにクラスメイトかだれかに指摘されることはあっただろう。でも聖夜はほんとうのことを教えなかったはずだ。
こんなふうに笑顔を作れなくなってしまうから。
――彼が俺以外のだれにも見せまいとしている素顔。まだ痛いと泣きさけぶ傷跡。
それをぜんぶ見せてくれたことが悲しいくらい愛おしくて、
「……大丈夫だよ、聖夜」
「…………」
「俺が憶えてる。聖夜が戦ってきたこと。いまも戦ってること。俺がぜんぶ憶えてるから」
「……そう、だね」
俺が火傷の痕を指でなでながら言うと聖夜はうなずいた。
そして、「ああ、そっか――」とまぶたを閉じて静かにつぶやく。
「俺はナツのぜんぶをもらうつもりでいるけど。ナツにも、俺のぜんぶを持っていかれちゃうんだ」
「……ん?」
「皮膚を切りとりたいくらいこの傷がきらいだったのに。……ナツがそうやってさわってくれたら、もうできないよ」
この火傷はもう、自分が可哀想な子供だった証じゃなくて。
大切なひとに出逢えた証明になってしまったから。
それを聞いて自分の過去にこだわっていた自分がバカみたいに思えてきた。
自分の言葉で――正しいと思ってやったことで俺はクラスメイトを傷つけてしまった。
でもそれでいつまでも立ちどまっていちゃダメだ。
過去は変えられない。そんなことは嘘だって聖夜が教えてくれた。
傷ついて、傷つけた事実は変わらない。これから何年経っても永遠に。
だけど――
それに対する想いは変えていける、と。
……あのときのことがあってたから、聖夜がいまここにいるのなら。
俺の間違いも無駄じゃなかった。そう、思える。
聖夜ははにかんだように微笑む。
「――ナツ。責任、取ってくれる?」
俺の答えは当然――

