自分が迷子になった。その事実を受けいれられず、俺は辺りをうろうろしたけどどうにもならなかった。旅館への看板があるわけでもなければ道があるわけでもない。
「嘘だろ……」
スマホがあればだれかに連絡を取ったりGPSで自分の居場所を把握できた。でもスマホは部屋に置き去りだ。
嘘だろ、と俺はもう一度つぶやく。
――こういうときどうすればいい?
なにかの漫画では年輪をもとに方角を調べていた気がする。でもその方法を忘れてしまった。そもそも、旅館が東西南北どの方向にあるのかも頭に入れてない。まさかひとりで遭難するなんて思ってもみなかったから。
……遭難。深刻な言葉に足がぴたりと止まる。
俺、いま、かなりまずい状態……?
こうしている間にも空は暗くなっていく。闇雲に歩いたら危ないとわかっているけど落ちつかなかった。
ひとつのところに留まって救助を待とうにも、こんな森の中じゃ……しかも、みんな俺が森にいるって知らないんじゃ……
「だ、だれか……っ」
薄暗くなっていく森の中で俺は叫んだ。当然、返事はない。
がさがさっとなにかが頭上で揺れてぎょっとした。鳥が飛びたったらしい。
――え。俺、まさかここで死んじゃう……?
急に不安を煽られる。ここからでられなかったら……だれにもたすけてもらえなかったら……。
俺は無我夢中で走りだした。
そんなのいやだ。そんなの……!
やがて俺は地面に草が生いしげっていない部分を見つける。それは右側に伸びていた。
人の通り道だ。俺は走るのをやめて、右側の道を息を切らせながら速足でたどる。この先に森の出口があると信じて。
でも結果は――
「小、屋……?」
小さな木製の小屋だった。道具を置いておくところみたいだ。
俺は後ろを振りかえったけれど、足下はもう見分けられないほど辺りは暗くなっている。たとえ道があっても下手に動くのは危険だ。
もう暗くてはっきりしないけどドアには南京錠がかかっているみたいだ。押しても引いても開かない。
それでも風よけになってくれるだけありがたい。今日はここで夜を明そうと決意し、俺はドアに背を向けて座りこむ。
走ったときにかいた汗が冷えて身震いした。寒い、とTシャツから伸びた二の腕をさする。こんなことになるってわかってたら上着を持ってきたのに。夏とは思えないほど高原の夜は涼しい。
気を紛らわすためになにか考えたいけれどネガティブなことしか思いうかばない。
いまの俺は時間もわからなければネットにアクセスすることもできない。世界からぷつんと切りはなされてしまったみたいだった。
……ぜんぶ、自業自得だ。
原田からの電話を思いだしてへこむ。
あいつに電話させるよう仕向けたのは聖夜でも、そのきっかけを作ったのは俺だ。ぜんぶ俺のせい。
「……、」
聖夜、俺を探してくれてるかな。
ちょっと期待してしまったけど、俺が勝手に飛びだしていっただけだ。頭が冷えたら勝手にもどってくると思っているにちがいない。
いくらなんでも遅いと思って探しにいこうとしたときはもう夜。二次災害が起きないように先輩たちや新田先輩の伯父さんたちが止めるだろう。
もしきてくれたとしても――明日の朝だ。
――もうみんなとっくにご飯食べちゃっただろうな……
そう思ったとたん、胃袋がかなしくなるような音を立てた。やばいと俺はあわてて首を振る。食べもののことは考えちゃダメだ。
たっくんは心配してくれてるかな。なんかここのところ心配かけてばっかりだ。俺が聖夜との関係をはっきりさせないせいで……
「…………」
思考はまた彼のところにもどってきてしまう。
緒川聖夜。アイドルみたいな転校生で、俺みたいなモブにも優しくしてくれて、勉強もスポーツもできて、とにかくかっこよくて、
でも裏の顔があって、俺に小学生のときから執着してて、前の父親が最低で、孤独をかかえていて――
……俺のことを。そういう意味で、好きだって言った。
俺はその想いに応えられるんだろうか。わからない。だって、聖夜と恋人になるには考えなくちゃいけないことが多すぎる。
まず男同士だし。聖夜は俺とちがって学校の人気者だし。俺を守ってくれるけど……でも、俺を傷つけることだってする。
「わかんないって……」
好きな相手を傷つけて、自分の手で癒したい、自分にすがってほしいって気持ちは。
俺には――理解できない。
でも、理解できないからって聖夜を突きはなすことも俺にはできなかった。
彼と深く関わっちゃいけない。それはわかる。本能が危険だって言ってる。
だけど。
聖夜が俺にぶつける気持ちには嘘なんてひとつもない。俺にきらわれてもいい、ぜんぶを伝えたいって思っていることがわかってしまう。
それが……いままで他人にきらわれることを恐れて壁を作ってきた俺にはまぶしかった。
――そうか、と気がつく。
俺は聖夜に憧れてるんだ。あんなことをされる前も。あとも。
彼みたいに本心をぜんぶぶつけられたらって――
「――ナツ!」
不意にひとの声がして俺は飛びあがった。
え、と顔をあげると道の先から懐中電灯を持った聖夜が走ってきている。
「きよや……?」
「ナツ、大丈夫!? 怪我は!?」
「し、してないけど」
俺は立ちあがろうとしたものの、あまりにもびっくりしすぎたせいで腰が抜けてしまっていた。変な話、『腰が抜ける』って表現はほんとなんだなと思う。そこだけ見事に力が入らない。
懐中電灯のライトも聖夜が走ってきたこともわからないくらい考えてこんでいたなんて。
「俺にぜんぜん気づかないから具合悪いのかと――ほんとうに大丈夫? 熱とか、ない?」と俺の前まできて彼が聞いてくる。大丈夫、と俺は座ったまま答えた。
「……なら、いいけど」
彼は肩で息をしていた。体育ではどんなに走っても平気そうにしているのに。
聖夜はぬかりなく長袖長ズボンのジャージを着ていた。そして手にしているのは懐中電灯じゃなくてライトをつけたスマホ。
「寒くない?」と彼はジャージの上着を脱ぐと俺の肩にかけた。平気だよ、と俺は言うけど「いいから」と押しきられた。
……内側に残る体温に安心してしまうのは。相手がだれでもあっても、一緒なんだろうか。
俺の横に腰を下ろし、見つかってよかった、と聖夜はつぶやいた。
「もしきみが森の中に迷いこんだとしたら、小屋を見つけてそこで待機してるかもしれないって新田先輩の伯父さんが言うのを聞いたからきたんだ。ほかに捜索するべき場所はたくさんあったけど――ひとつめで見つかってよかった」
「……みんなは?」
「旅館で待機してる。もうこんな暗いからね。夏だし、この辺りに獣はいないから万が一の心配はない。明るくなってから警察に連絡しようって話になったんだよ」
「そ、っか……」
うなずいてから、ならどうして聖夜はここにいるのかと疑問が浮かんだ。『新田先輩の伯父さんが言うのを聞いた』と間接的に言っているのもおかしい。
電池の消耗を抑えるためだろうか、聖夜はスマホのライトを切る。そして、たぶん新田先輩に手早くメッセージを送った。俺が見つかったと伝えたのだろう。
俺はシルエットだけになった彼の横顔に尋ねる。聖夜も旅館で待機するはずじゃなかったの、と。
「…………」
聖夜は居心地悪そうに身じろぎする。
「……ほんとうは止められたんだよ」とつぶやいた。
「ジャージに着替えて、玄関にあった懐中電灯を持って、さあでかけようってところで新田先輩に見つかって力づくで部屋に閉じこめられた。いまのおまえは周りが見えなくなってる、そんなやつが行ったら怪我をするだけだって。
……でも、それがなんだっていうんだろう。怪我をしてるかもしれないのはナツのほうなのに、ナツが部屋を飛びだしていったのは俺のせいなのに、自分の身を護るために待機するなんて……俺には無理だった」
「……もしかして」
「うん。みんなは一階の食堂で話しあってたから、その隙に二階の窓から飛び降りたんだ」
普段の彼からは想像もできない無茶だった。大丈夫だったのかとつい聞いてしまう。
聖夜はくすっと笑った。
「平気だよ、あれくらい――でも森を捜してる間、気が気じゃなかった。ナツになにかあったらどうしよう。怪我でもして動けなくなってたらどうしよう。そうしたら俺はとても正気じゃいられない。
もとはと言えば、俺が原田に接触したせいだ。ナツを傷つけようともくろんだせいだ。そのせいでナツを失うことになったら……。俺は死んでも死にきれない。
……だから、思ったんだ。ここにくるまでの間。
俺はもう、ナツに関わらないほうがいいんだって」

