たったそれだけ言うと電話は切れた。けれど、まだなにか言葉がねばりついているかのように俺はスマホを耳のそばから下ろすことができなかった。
――俺はおまえを許さない。
俺は平凡に生きてきた。そんなことを言う相手に心当たりなんて、と思ってから気がついた。
もう声変わりしていたけど。ふてぶてしい大人みたいな声だったけど。
「――原田……?」
小二のときに俺が怒鳴りつけた相手。
あいつがいまもあのときのことを根に持っているとしたら――。
心臓がうるさいくらいに鳴りはじめる。あんなにあからさまに憎悪を込められた声と言葉を向けられたのははじめてだった。
自分の過去のあやまち。それが、十年以上経ったいまも俺を縛りつけていることを実感する。
俺のせいで教室に居場所をなくし、一時は不登校にまで追いこまれた原田。
あいつなら俺に『許さない』という理由がある。
どこかからあいつが見ている気がして、俺は思わず周りを見回した。カーテンの影や押し入れの戸の隙間から眼球が覗いているような錯覚を起こし、俺は悲鳴を押しころす。
スマホが俺の手から零れおちた。画面には知らないスマホの番号。11桁のそれが不吉な数字に見えてくる。
俺は恨まれても仕方のないことをした。わかっていても、直接恨みをぶつけられるのは怖かった。
……だけど、としばらくしてから俺は思う。
どうして原田は俺のスマホの番号を知っていた? あたりまえだけどいまあいつと交友関係はない。共通の友達だっていないはずだし、番号を知っているわけが……。
「…………」
そこではたと思いあたった。
俺は知っている。かつて原田と知り合いで、あいつの連絡先を探りあてて俺の番号を教えそうなやつを。
信じたくなかった。あいつがそこまでするなんて。
だけど。
「……ナツ?」とふすまの向こうから声がかけられる。
「まだ電話長くなりそうなら先にご飯食べちゃうよ。……開けてもいい?」
俺は返事ができなかった。開けるね、と断ってから聖夜はふすまを開ける。
彼の顔はいつもどおりだった。俺の反応から、スマホを傍らに落とした俺の反応から、なにが起きたかは察しているはずなのに。
聖夜は心配そうに眉根を寄せる。
「ナツ……?」
「――聖夜、だろ」
口にしちゃいけない。口にしたら、もう二度と聖夜と友達にもどれなくなる。
でも俺は止められなかった。
「聖夜が原田に俺の番号教えたんだよな……?」
「ごめん、なんのこと?」
「しらばっくれるなよ!」
俺は知っている。聖夜は、俺を追いこむためなら卑劣な手も使うということを。
その上、たっくんのアカウントを特定するくらい情報収集能力に長けていて。俺が話した小学生のときの乱暴者が、原田だと知っている。
犯人は聖夜以外いなかった。
聖夜はくすっと笑った。
「ちゃんと俺を疑えてえらいね、ナツ」
「……っ!」
「そうだよ。あいつ、まだナツのこと恨んでる。自分の周りからみんなが離れていったのはナツのせいだと思ってる。……笑っちゃうよね。あいつのSNS、ナツへの恨み言で埋まってるんだ。あいつさえいなければ、ってさ。ぜんぶ自分のせいなのにね?」
「そう思いながら、聖夜は――」
「うん、ナツの番号をDMで教えた。こっちの身分は明かさないでね。
ふつうだったらそんな番号信じるわけないけど、積年の恨みで判断能力が鈍ってるのはわかってたからさ。利用させてもらったんだ」
利用。その言葉の意味がわからなくて、俺は黙って聖夜の顔を見上げる。
聖夜はおそろしいことに、
天使みたいな笑顔を、俺に向けた。
「あいつのせいで傷ついただろ?――俺がいやしてあげるよ、ナツ」
「自分の過去の罪をつきつけられただろ?――俺が許してあげるよ、ナツ」
「消えない傷も」
「消えない罪も」
「俺がみんな抱きしめてあげる」
「だからこっちにおいで、ナツ」
「俺だけは、ずっとナツの味方だよ」
……俺はその場から動けなかった。
そうだ。聖夜は、俺を傷つけてから大丈夫だと言う。自分だけは味方だと言う。
そういうやつだって。
それが彼の愛情なんだって。
俺はもう、思いしっているはずだったのに。
聖夜は笑顔を浮かべたまま俺に向けて両手を差しのべる。
彼の胸に飛びこめば、旧校舎のときのように優しさで包みこんでくれることはわかっていた。
偽物じゃない。
本物の、大切な相手に向ける優しさで。
おいで、ナツ、と聖夜が言う。
……俺は。必死に涙を堪えている俺は。
「……ふざけんなよ……っ!」
聖夜を押しのけると廊下に飛びだした。階段をかけおりて玄関に向かい、靴をつっかけて外に飛びだす。
無我夢中で走った。自分が傷ついていることを認めたくなかった。自分が一瞬でも聖夜に甘えようとしたことを認めたくなかった。
走りつづけたらこんなぐちゃぐちゃの感情もどこかに飛んでいくような気がした。
そうして――気がついたら俺は森の中に迷いこんでいて。
「え、あ、マジで……?」
すこしずつ薄暗くなっていく夏空の下。
自分が帰り道を見失ったことに気づいてしまったのだった。

