大浴場もあるそうだけど俺は部屋に備えつけのシャワーでいいと言った。さすがに聖夜と裸のつきあいは抵抗がある。
夜はルームサービスを取って、交代でシャワーを浴びて。まだ十時なのに眠くてあくびをしたら聖夜が笑った。
「先に寝ていいよ。俺はまだ起きてるから」とソファから言ってくる。彼は途中で文庫本を買っていた。
「うん……あ、電気つけたままでいいから。俺、明るくても寝れるし」
「俺に襲われないか心配?」
「そうじゃない!」
暗かったら本なんて読めないだろうと思ったから言ったのに。
聖夜はおかしそうに笑い、「あっちで読むから」とデスクライトに目をやって言った。
「気にしなくていいよ、ナツ。ありがとう」
「……うん」
俺は入り口から見て手前のベッドにもぐりこむ。
聖夜と同じ部屋で寝るのって変な感じだ。彼は俺にとって警戒しなくちゃいけない相手で……でも、こんなに楽しい一日をくれる相手でもあって……。
俺のこの感情はなんなんだろう?
聖夜ともっと一緒にいたい。でも、一緒にいるのが怖い。こんな、ぐちゃぐちゃした気持ちは。
聖夜が部屋の照明を落とした。すこし遅れてデスクライトがつく。オレンジ色のやわらかい光だった。
デスクはベッドと横並びの位置にある。壁のほうに寝返りを打って、俺は聖夜に話しかける。
――聖夜の好きって、どういう意味での好き? と。
「…………」
聖夜が本を机に置く音がした。
しばらく返事はなくて、聞こえなかったのかな、と思ったとき彼が口を開いた。
「それは、俺がナツに恋愛感情を抱いてるかってこと?」
「……はっきり言えば」
「たしかに俺はナツが好きだよ。だれよりも特別だと思ってる。けどそれが恋愛感情としての『好き』かと言うと、すこしちがうかな」
「あ……」なんだ、と俺はほっとする。聖夜が変な冗談ばっかり言うからてっきり。
「あくまで友情の延長線上……ってことでいいの?」
「たぶんね。ナツがそうやってベッドで寝ててもなにかしたいとは思わないから」
よかった。あの夜の告白だけで受けとめるにはいっぱいいっぱいなのに、それに恋愛的な好きまで加わったら完全にキャパオーバーになるところだった。
「俺は――ナツがだれかのことを思いうかべるとき、俺のことを一番に考えてほしい。『一番の友達』でも。『一番会いたくない相手』でも。それだけだよ」
……それだって充分、ややこしいにはちがいないんだけど。
聖夜が立ちあがる気配がしたので俺は体の向きをか変えた。
「真面目な話をするとね」と聖夜は自分のベッドを回ってそこに座る。
「ナツは……俺にとってそういう対象じゃないんだ。……あのときの俺にとってきみはほんとうに特別だった。悪いやつを倒してくれるヒーローだったから。恋愛……もとい、性の対象にはできない」
生々しい話にどきりとする。
……性。彼の口からそんな言葉がでてきたことに驚いたけど、聖夜だって俺と同じ男子高校生だ。あるに決まってる。
「あのとき俺をたすけてくれてありがとう、ナツ。それと……」
彼はすこし目を伏せる。
オレンジ色の灯りに背中を照らされた聖夜はどこか儚げに見えた。
「俺のこと……可哀想って言わないでくれてありがとう。俺の家庭環境を知った先生たちはみんなそう言うから、ほんとうは怖かった」
先生、というのは学校の先生だけだろうか。
あの妙にからっぽの部屋を思いだして、スクールカウンセラーもそこに入っているかもしれない、と勝手に考える。
なんだかいまの聖夜は消えてなくなってしまいそうだった。俺は体を起こし、あたりまえだろ、とはっきり言う。
「聖夜は可哀想じゃない。自分で父親に立ち向かったんだ。
……俺がもし同じ立場だったら泣いてただけだと思う。なのに……。聖夜はすごいよ」
「……ほんとう?」
俺はうなずく。
聖夜はすこし不安そうな、子供と大人の狭間みたいな曖昧な笑顔で微笑む。
――彼はいつも笑ってるけど、こんな笑顔を見たのは初めてで。
気がつくと俺は聖夜の前に立っていた。がんばったな、と手を伸ばす。
「聖夜はすごいと思う。ほんとうに」
頭をなでられて聖夜はびっくりしたような顔をした。「ナツ……」と俺を見るその顔がかすかに赤くなる。
さらさらした髪をなでつけるように俺は彼の頭をなでて――聖夜の頭皮が熱かったから、彼もちゃんと生きてるんだと当然のことを感じながら――すこしでも伝わればいい、と思う。
聖夜はひとりじゃない、って。
やがて聖夜が「……どうしよう」と小さくつぶやいた。「え?」と俺は尋ねかえし、手を彼の頭から離す。
「ナツ。……俺、ナツのこと、そういう意味で好きになったかもしれない」
俺は固まる。
そういう意味。そういう意味っていうのは。
「キスしたい。ダメ?」
「――なっ、まっ、なんでだよ!」
たったいま俺への好きはそういう好きじゃないって言ったばっかりだろ!
聖夜は自分の胸のあたりをぎゅっとにぎる。
「いま気づいた。俺は自分の理想のナツを見てたんだ。完璧なヒーロー。そんなきみを手に入れることしか考えてなかった。喜ばせて、泣かせて、好かれて、きらわれて、ぐちゃぐちゃにして俺のところまで引きずりおろすことしか考えてなかった」
「う……、」
「でも……ナツはいまここにいるんだ。俺のヒーローで。舞台から降りても俺を見てくれる、生身のきみが」
聖夜の瞳はかすかに潤んでいた。
ろくに恋愛経験がない俺でもわかる。自分がそういう目で見られてる、ってことに。
「き、聖夜……っ」
あとずさった俺の手首を聖夜がつかむ。逃げないで、と言った声にはリアルな感情が込められていた。
「ナツ。俺の顔、見て」
「……っ」
「こんなにナツが欲しいって思ったの初めてなんだ。……そばにきて、ナツ」
熱っぽい聖夜のまなざしを受けとめていると俺までおかしくなりそうになる。つかまれた手首が、つかんでいる手が、熱暴走でも起こしているみたいに熱い。
いま、聖夜のそばにいったら。
なにをされるか俺でもわかる。キス、だけじゃすまない。たぶん。
「お、俺……っ」袋小路に追いこまれたネズミみたいな気分で俺は叫ぶ。
「そ……そういうの、つきあってからじゃないとよくないと思う……っ!」
「……前は『好きなやつがいるから』って理由で俺から逃げなかった?」
忘れてた。
「そ――それもあるけど! 色々とはやすぎるっていうか、心の準備っていうか、その、」
「……なに?」
「聖夜のこと、俺は……友達だと思ってる、から……」
かすかに手首をつかむ力がゆるんだ。聖夜の熱が引いていくのがわかる。
彼は呆れたように笑う。
「ナツにあんなことした相手だよ? わかってる?」
「……わかってる。でも、それでも、聖夜は俺の友達だから」
「…………」
「そういう、気分には……なれない」
……そうだ。あんなことをされてもまだ、聖夜は俺の特別な友達で。
ここから先のことは、どうしても考えられなかった。
「……そう」
聖夜は俺から手を離す。
恋愛感情を持っている相手からの拒絶。直接的にではないけど俺にも覚えがあったから、俺の心臓はつかまれたみたいに痛んだ。
「聖夜――」
「おやすみ、ナツ。……デスクの灯りはつけたままでいい?」
「あ、うん……」
そう言うと聖夜は自分のベッドにもぐりこむ。
灯りをつけたままにしたいと言ったのは、読書を再開するからじゃなくて真っ暗だと眠れないから。そのことに気づいたのは、俺もベッドにもぐりこんでしばらくしてからだった。

