「今度? 今度、って?」
聖夜が身を乗りだしてくる。こんな食いつかれるとは、と思いながら「えっと……テスト終わったら、とか?」と答えた。
彼は俺をにらむみたいにして見てくる。
「それって来週だろ。そこまで待てない」
「待てないって――」
「明日がいい」
ねえ、と聖夜は俺の手の上に置いた手に力を込めてくる。
「来週なんていやだ。明日……家にきてほしい」
「う……」
ダメだろ、イケメンがそんなわんこみたいな顔したら……。
「……た、たいしたもの作れないけど。それでよかったら」
「やった」
聖夜は周りまで明るくなるみたいな笑顔で笑う。
「聖夜ってなにが好き?」「ナツが作ってくれるならなんでも」ちゃんと答えろって、と俺は苦笑する。
そのあとは暗くなるまで明日の話をしていた。テスト勉強そっちのけで。
「……なー、母さん。カレーのルーって二人用なら何箱? 二箱?」
「えー?」
聖夜と駅で別れて、家に帰ってきて。夕飯のエビフライ定食を食べながら俺は母さんにそう聞いてみた。父さんはこの時間はまだ仕事中なので、食卓についてるのは俺たちふたりだけだ。
「そんなの半分もあれば足りると思うけど。なあに? 調理実習?」
「そうじゃなくて……」
母親に聖夜のことを話すのはちょっと気恥ずかしかった。聖夜の家に行ってご飯作ってあげるなんてとても話せない。え? どういう関係? って目を丸くされるに決まってる。
「……まあ色々あるんだよ。あと肉ってなに入れればいいの?」
「好みよ、好み。牛でも豚でも好きなのいれれば?」
「えー、なんか適当……」
「ルーの箱の裏にレシピが書いてあるから、それ見ながら買い出しすれば間違いないんじゃない? 作るときもね」
なるほど、と俺はうなずく。
とりあえず俺でも作れそうなカレーを明日は作ることになったものの、よく考えるとそれだって小学生のときの調理実習で作ったのが最初で最後だ。母さんに聞いてみてよかった。
そういえば、とふっくら炊きあがった白米を口に運びながら母さんが言う。
……俺ちゃんと炊けるかな、ご飯。
「夏稀の学校、すごくかっこいい子がいるのねえ」
「え? もしかして聖夜のこと?」
「そうそう、聖夜くん。もう半月くらい前なんだけど、スーパーのセルフレジで操作がよくわからなくて困ってたら助けてくれてね。しかも家まで袋持ってくれたの。お礼になにかお茶でもって言ったんだけど、たいしたことはしてないからってそのまま帰っちゃって。
二年生って言ってたけど、話したことある? よかったら夏稀からお礼言っておいてもらいたいんだけど……」
半月前……って、俺と聖夜と仲よくなってすこししてからだ。あいつも言ってくれればいいのに。
「いいよ。ってか、明日聖夜の家に行くし」
「ほんとう? なんだ、お友達だったのね。あんなイケメンの友達がいるならはやく言いなさいよ」
「言ってどうすんだよ……」
「聖夜くんの家に行く前に一度帰ってきなさいね、手土産持たせるから」と母さんが念押しするように言ってくるのをはいはいと流し、俺は食べるスピードを上げた。母さんが聖夜について質問攻めしてくるのはわかっていたから。
案の定「聖夜くんってなんだかどこかで見たことあるのよねえ……」とか言いはじめる。気のせいだよ、と俺は箸を動かす手を止めずに答えた。
「聖夜、今年の四月に転校してきたんだから」
「そう? じゃあ他人の空似ってこと?」
「知らないよ……」
ごちそうさま、と俺はさっさと席を立つ。
……いま、聖夜は冷凍の弁当をひとりで食べてるのかな。そう思ったら胸がちくりと痛んだ。
その日、聖夜は朝から機嫌がよかった。「楽しみだな」と何度も口にする。
「ナツが家にきて料理作ってくれるなんて」
「言っとくけどただのカレーだからな。成功するかもわからないし」
「ナツのなら失敗したっておいしいよ」
こいつ、ひょっとしてすごいたらしなんじゃないか……?
機嫌がいいのは周りにもわかったらしい。教室につくなり、「なんか今日楽しそうじゃない?」とクラスメイトに聞かれる。
理由言うのか……!? と横ではらはらしている俺を知ってか知らずか、「ちょっとね」と聖夜は微笑んで返した。「放課後、大事な用があるから」
「へええ」と話しかけてきた女子たちはお互いに意味深な目くばせをした。そしてなぜか聖夜に「頑張ってねー」と言ったあと俺をちらっと見てきゃーっと笑う。
わからないって。わからないって、その視線と笑顔の意味……!
聖夜は授業中も絶好調だった。先生が試しにだした大学入試レベルの問題をすらすら解く。体育ではあざやかなロングシュートを決める。
毎回そうするたびに俺を見てにこっと微笑んでくるから、俺も『すごいな』という意味を込めて小さく拍手してみたら聖夜は褒められたわんこみたいに目を細めた。何度やってもそうだった。
……やばいかも、と一緒に部室で昼飯にしながら思う。俺、けっこう……。
「ナツのお母さんって料理上手いよね。献立豊富だし」
「そうなのかな。あ、そういや母さんがこの前ありがとうって」
「この前?」
「スーパーで。レジで困ってたら助けてくれたんだろ?」
「ああ」と聖夜はシナモンロールの袋を開けながら笑う。「あれ、やっぱりナツのお母さんだったんだ。表札に綿辺ってでてたし、息子が同じ学校だって言ってたからひょとしたらって思ったんだけど」
「家まで荷物持ってきてくれたんだろ? ごめんな、迷惑かけて」
「迷惑なんかじゃないよ。ナツのお母さんなら、俺にとっても他人じゃないし」
「……それ、どういう意味?」
「内緒」
うちの母親にもこのペースだったんだろうか。おそろしいな……。
俺は弁当の上で箸をさまよわせ、彼がいつもコンビニのパンばっかりなことを思う。「よかったら――」と押しつけがましくならないように言ってみた。なにか食べる? と。
「……いいの?」
「いいよ。聖夜だったらからあげでもなんでも」
「なら卵焼きがいい」
「……え?」
「いつもおいしそうだなって思ってたんだ。ダメ?」
すぐに答えられなかった。だってそれは、いつもたっくんにあげてるやつで。
でももう――たっくんとは、昼飯を一緒に食べれるかどうかもわからなくて。
「……ん。いいよ」
俺は卵焼きをひときれ箸でつかみ、たっくんにいつもしてたみたいにパンの上に置こうとする。そうしたら聖夜に「食べさせてくれないの?」と言われた。
「え?……はっ?」
「パンに置かれたら味が混ざっちゃうよ」
「いや、え、でも。男同士でふつうしないっていうか」
「俺は気にしないけど」
「え――」
「……ダメ?」
ずるいだろ。その『ダメ?』はずるいだろ……!
「……っ、特別だからな!」
やけくそで俺は卵焼きを聖夜の口元まで持っていった。聖夜はきれいな仕草でそれにかぶりつく。
「……ん、思ったとおりおいしい」
「…………」
「ナツ、顔赤いよ」
「赤くもなるだろ……」
やばいかも、ともう一度思う。
俺――けっこう、聖夜のこと好きかもしれない。
もしなにかがあって、周りが全員どっかにいっちゃって、聖夜とふたりぼっちになっちゃってもいいとか。そんなことを真剣に考えてしまうくらい。
「ナツにもひとくちあげるよ。はい、あーん」
「お、俺はいいって……!」
「あーん」
「うぐ……」
聖夜がさしだしてきたパンに俺はためらいがちにかぶりつく。
そのあとで彼がそのパンをかじっているのを見て、あ、間接キスだと思ったけど、言葉にする勇気はなかった。
手土産がどうこう母さんに言われてたけど、一度家に帰って母親とやりとりするのを聖夜に見られるのとかが恥ずかしくて俺は忘れたふりをした。なんでも聖夜の家からスーパーは遠いそうなので、駅ビルの中の店で材料をそろえてからバスに乗りこむ。
駅から四十分。周りからどんどん店がなくなっていって、立ちならぶ家はどんどん古くなっていく。
一応市内ではあるけど、こっちのほうにはなにもないから来るのは初めてだ。なんとか原商店(看板の最初の文字がかすれてて読めない)のそばにあるバス停で俺たちは降り、こっちだよ、と聖夜がその横の細い道を入っていくので俺もついていく。
商店と塀の間の道で、ここって私有地なんじゃないかと不安になる。そもそもこの先に家なんてあるのかはらはらしていると、ここ、と聖夜が言って立ちどまった。
「……へえ……」
よくある二階建てアパートだ。外装は水色で、ペンキはまだ新しい。鉄製の外階段も錆ひとつなかった。テレビにでてくるようなタワマンが似合いそうな聖夜が住んでるところとしては意外だったけど、素朴ながらも清潔感がある建物は不思議としっくりくる気もする。
「最近リフォームしたばっかりなんだよ」と階段をとんとん登りながら聖夜が言う。一階の一番奥には懐かしい子供用の自転車があって、小さい子がいるんだな、と思いながら俺もあとにつづいた。
「さっきの、萩原商店のオーナーがここのアパートも所有してるんだ。住むひとに気持ちよく使ってもらいたいから貯金はたいてリフォームしたって言ってたけど、それなら店が先でしょって住人みんなに言われたって笑ってたよ」
「文字消えてたもんな、看板」
手前から二番目の部屋の前で聖夜は立ちどまり、鞄から鍵を取りだす。キーホルダーは飾りがなにもついてないシンプルなものだった。
「ナツが初めてのお客さんだよ」
「ほんと?」
「引っ越してきてから、まだ母親も入れてないんだ」
そんな重大な役目を背負っていたなんて。やっぱ手土産必要だったかも。
聖夜が扉を開けて支えてくれたので、お邪魔します、と頭を下げて俺は中に入る。
中は入ってすぐがキッチンになっていた。小型の冷蔵庫が置かれたよくあるキッチン。二口あるコンロはIHじゃなくてガスみたいだ。
反対側にふたつならんだドアはたぶんトイレと風呂場だろう。ドラマや漫画でよく見る一人暮らしの部屋、という感じだけどリフォームしたばかりというだけあってどこもきれいだ。もちろん、流しに洗いものが溜まっていることもなければ洗濯ものがカゴからあふれていることもない。
――俺が一人暮らししたとして、こんなにきれいにできるかな? さすが聖夜。
「聖夜ってきれい好き?」
「どうかな。散らかってると落ちつかないけど」
聖夜は俺の手からスーパーの袋を取ると調理台に置く。
「そっちがリビングだから」と言われて俺は奥につづくドアを開けた。
二人掛けのソファにガラスのローテーブル。隅にはパスコンデスク。カーペットはブラウンでカーテンはアッシュグレーと全体的にシックにまとまっていて、とても同じ高校生が住んでいるとは思えない。
ソファに置かれたクッションはへたらず背もたれにまっすぐに立てかけられていた。イスもデスクにきちんと収まっている。
すごいな、と感心してからなにか違和感があることに気づく。……なんだろう? わからないけれど。
どこで寝てるんだろ、と思ったら左側にスライドドアがあった。そっちが寝室なのだろう。
「適当に鞄置いて」と聖夜に言われたので、遠慮しながら俺は革張りのソファの脇に置く。使いふるした鞄が可哀想なくらい場違いだ。
「コーヒーでいい? 紅茶もあるけど」
「え、ええと。聖夜と同じので」
「じゃあミルクティーにするね」
俺にソファを勧め、聖夜はキッチンに立つ。
俺は面接のときみたいに膝をそろえてソファに腰かけた。ついきょろきょろ見回してしまう。
窓からは茜色に染まった山が見える。視界をさえぎるような高い建物は見当たらなくて、鳥の鳴き声を車の音がかき消すようなこともない。
みんな、聖夜がこういうのどかなところに住んでるって知ったら驚くだろうな……。
デスクトップ型のパソコンはそこまで知識がない俺でもわかる。かなり性能がいいやつだ。
キーボードもマウスも見えない線でもあるみたいにびしっとまっすぐに置かれている。
――きれい好きだよな、間違いなく。
「聖夜、パソコンでゲームとかする?」と俺は隣のキッチンにいる彼に声をかける。「ほんとうはやりたいけど」と返事がきた。
「時間忘れて熱中しちゃうのがわかってるからあえてやらないようにしてる。大画面で『アイドロ』やりたいんだけどね」
「聖夜って、こう……自分を律するっていうの? できるタイプじゃないの?」
「そんなことないよ」彼が小さく笑う気配がした。「俺は……なにかに夢中になると、それしか見えなくなるタイプだから」
意外だった。聖夜ってなんでも冷静っていうか、ちょっと俯瞰して見てる感じするのに。
あんな立派なパソコンをゲームじゃないならなにに使ってるんだろう、と思っていると「だから株価チェックがメインかな」と思いもよらない答えが返ってきた。え? と俺はドアのほうに向けて身を乗りだす。
「株って、え、本物の? 高校生でも買えるの?」
「親権者の同意とか色々必要だけどね。自分の生活費くらいは自分で稼ぎたかったから、いまの父親に徹底的に教えてもらったんだ。そういうの詳しいひとだから」
「へえー……」
株ってもっと大人のひとがやるものだと思ってた。意外すぎる、とまたしても感心してから『いまの父親』と聖夜が言ったことに気がつく。
いまってことは、前の父親もいるってことだよな……。
それに気づいたせいで不格好な沈黙が落ちてしまい、俺は所在なく聖夜を待つ。
聖夜は「こっちがナツの」とふたつ持ったマグカップのうちのひとつを俺に差しだしてきた。聖夜のは無地の白いマグなのに俺のには猫の顔が描かれている。
「ナツが来るから新しく買ったんだ。専用だからね」
「あはは、ありがと」
「……ほんとうだよ?」
優しく言ってから聖夜は俺の隣に座る。
ソファは充分広いのに。腕がふれあうくらいの距離感で。
――いま、聖夜の家に聖夜とふたりきりなんだ。
彼の腕が俺の腕をかすめた瞬間、そのことを強く意識した。ミルクティーの甘い香りに誘惑されているような気分になる。
……いやいや。俺が女子だったらなにか起こるかもしれないけど、男同士だし。ただの友達だし。
どきどきしているのを誤魔化すように俺はミルクティーを一口飲む。蜂蜜が入っていて甘いけど、しつこくなくて飲みやすい。
「おいしい」と正直に言うと聖夜は隣で微笑んだ。
「いまはまってるんだ。よかった、ナツの口に合って」
「喫茶店でだせるよ。なんかすごい上品な味する」
「そう?」
聖夜は満更でもなさそうだ。
聖夜がマスターの喫茶店。びっくりするほど繁盛するだろうな。
ミルクティーを飲みながら、俺は聖夜に話しかけようとして話題が見つからないことに驚く。
――あれ? 俺たち、いつもどんな話してたっけ?
「……どうかした? ナツ」
「え……いや……」
……なに緊張してるんだろ、俺。いつもみたいにゲームとかクラスメイトの話とかでいいのに。
なんでこんなどきどきしてるんだろ……。
「あ」と聖夜が声をあげたので俺は彼を見る。そうしたら意外なほど近くに聖夜の顔があって――あやうくマグカップを落としかけた。あわててつかみなおし、「大丈夫?」と聞かれたので大丈夫と返事をする。
なにやってるんだ、俺――
「ナツ、髪にゴミついてる」
「え、」
聖夜の手が俺の髪にふれる。
たった一秒。神経も通ってないところ。それなのになぜか全身をなでられたみたいな気持ちになって、
「……っ、りょ、料理の支度してくる!」
パニックになって俺はマグカップを持ったまま立ちあがった。心臓をばくばく言わせながら。
――あいつ、絶対小学生のときのあだ名『王子さま』だったって……!
少女漫画のヒロインの気持ちがわかりそうだった。怖い。そして危ない。
……だって聖夜ってたぶん天然でやってるし。俺(男)を落とそうとか百パーセント考えてないし。
「ナツ、コンロの使い方とかわかる?」
「だ、大丈夫だから! 聖夜はそっちいて!」
ひょこっと顔を覗かせた聖夜を全力で押しかえしてドアも閉める。
ひとりきりになり、俺は大きく息を吐きだした。こんな調子でカレーなんて作れるのかなと悩みながら。
……で、はい、結論。
いままで食べたこともないようなカレーができました。
肉は焼きすぎて硬いし野菜は中まで火が通ってないしルーは溶けきってないし、マシなのはパックのご飯だけというありさまで。
なのに聖夜は「大丈夫、おいしいよ」と笑って食べてくれた。三杯も。本気でちょっと泣きそうだった。
「ごめん……ほんと俺、なにしに来たんだろ」
「もういいって。ちゃんと食べれたんだから」
作ってくれたお礼に洗いものはやるから、と聖夜は申しでてくれたけどそんなことさせられなかった。俺はキッチンで皿を洗い、隣にいる聖夜に渡す。聖夜は下ろしたての布巾でそれを拭いた。
「俺に料理作りたいっていうナツの気持ちが一番嬉しかったし。気にしないで」
「うう……」
「それに――こういうのも思い出になるだろ? ナツが何度もうちにきて料理上手になったらさ。最初に作ったカレーうまくできなかったのが嘘みたいだね、って笑いあえる」
「リベンジしてもいいってこと……?」と俺は隣に立っている聖夜を見る。もちろん、と彼は食器をしまいながら答えた。
「……っ! 神かよ……っ!」
申しわけなさすぎて半泣きだった俺は聖夜の腕に抱きつく。
「っ、ナツ……」と驚いたように聖夜は俺を見てきて、あ、ごめん、と俺はあわてて離れた。
「聖夜こういうのやだよな。たっくんといるときみたいなノリで、つい」
「……遊佐くんと?」
「たっくんとゲームしててピンチ助けてくれたときとかさ、神さまーって言って抱きつくんだよ。ついそのノリで……ごめ、」
ん、と言い終わるまえに俺は口を閉じた。
聖夜が。見るからに不機嫌になっていたから。
「え、そ、そこまでいやだった……?」
「……いやだ」
「う……」
「俺以外のやつにナツが抱きつくなんて――いやだ」
きれい好きの聖夜は抱きつかれるなんていやだろう。てっきりそう思っていた俺は、え、と尋ねかえす。
聖夜は俺に向けて両腕を伸ばしてきた。なにかを思う暇もなくその長い腕に抱きこまれる。どきっとするくらい強い力で。
「き、聖夜……?」
「――どうしよう。俺、すごく嫉妬してる」
「え……?」
「遊佐くんに。悔しいくらい嫉妬してる」
……嫉妬って。
友達が自分以外のだれかと仲よくしてたら妬くこともあるけど――そういうこと?
だからて抱きしめてくることないのに。服越しに伝わってくる体温にどぎまぎしていると、「……もっとはやくナツと友達になりたかったな」と聖夜がつぶやいた。
「そしたら。ナツの時間は、ぜんぶ俺のものだったのに」
「聖夜――」
「……ナツ。今夜泊まっていかない?」
「え、」
「いままでそばにいなかった時間を取りかえしたい。……ダメかな。こんなこと思うの、俺、おかしい?」
そんなふうに――そんな苦しそうに言われたら、いや今日は帰るからなんて返せなかった。
「……ダメじゃない、けど」と聖夜の腕の中で俺は答える。
「ほんとうに?」
「……う、うん。だから」
そろそろ離してほしい。そう言う前に、聖夜は「よかった」と俺をぎゅっと抱きしめなおす。
「ナツ。ナツは、俺だけの特別な友達だからね」
その言葉の意味を。数時間後に、俺は知ることになる。

