その日を境にたっくんは部室にこなくなった。教室で話しかけても目を逸らされる。ラインも既読スルー。
胸がざわついたけど、聖夜に言われた言葉がそれ以上の行動を俺に取らせなかった。たっくんが怒っている理由がわからないならいまはそっとしといたほうがいい、という。
二人組同盟は自然と解散したみたいな形になってしまったけど、聖夜がいつも俺をまっさきにえらんでくれた。たっくんもほかのクラスメイトと適当にやっているみたいだった。
なにも問題はない。……なにも。
ただ、聖夜と教室で話してるときのクラスメイトたちの視線がちょっと痛いだけで――
「聖夜、最近付き合い悪くね?」
放課後、聖夜を遊びにいこうと誘って『ごめん、夏稀と過ごすから』と断られた伊藤が大声で言う。聖夜じゃなくて俺にあてつけているのはあきらかだった。
そうかなと聖夜は微笑する。
「でも今度の大会で結果だすから。期待しててよ」
「それ、俺たちには関係ないし。ってかなんで綿辺なんかと――」
「またね」
話を打ちきって聖夜が俺の席まで迎えにくる。
彼の後ろでは伊藤やその取り巻きたちが俺をあからさまににらんでいて、まずいとは思ったけど取りなす方法を俺は知らなかった。
聖夜が俺をかまうことはみんなのなかで『俺が聖夜を独占している』に変換されているだろう。つまり不満は彼じゃなくて俺に向かう。
聖夜を悪く言われるよりずっとましだから、それは仕方ないんだけど――
「う、わ……」
一ヵ月近くそんなことをつづけていたある日のことだった。家に帰って弁当箱を取りだそうと鞄を開けたら見覚えのないプリントが一枚入っていた。
A4の白いコピー用紙に赤い字で、『きよやにちかづくな』。
――こんな昔のドラマみたいなこと、あるんだ。
心臓はばくばく鳴っていた。でも現実から逃げるみたいに頭はそんなどうでもいいことを考えていて、雑な文字からして左手で書いたんだろうな、筆跡でだれがやったかわからないように、と変に冷静に思っていた。
――ってことは、
犯人はクラスメイトのだれかなのかもしれない。そう思った瞬間、心臓の鼓動がさらにはやくなって汗がにじんだ。
赤い文字からは敵意が伝わってくる。ナイフを突きつけられているみたいに、鋭い敵意と怒りが。
……どうしよう。
こんなこと親には言えない。あたりまえだ。先生だって困るだろう。
たっくんだっていまは距離ができてしまっていて。あと俺が相談できるとしたら聖夜だけだけど、彼は張本人だ。こんなものを見せたら気に病んでしまうに決まっている。
――ひとりで耐えなくちゃ。
頭のなかをいろいろなものがぐるぐるまわったあげく、俺がだしたのはその結論だった。
このことはだれにも言わない。ひとりでかかえる。
――聖夜と離れるのがほんとうは一番いいんだろうけど。
聖夜と離れてひとりぼっちにもどる。その勇気がいまの俺にはなかった。
幸い、このコピー用紙を鞄に入れてきたやつは聖夜のことが好きなはずだ。なら彼に危害が及ぶことはない。
……だいじょうぶ。聖夜になにかされないなら、俺は耐えられる。
そのことをたしかめ、俺は震える手でコピー用紙をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。
それでも――赤い文字は視界に焼きついて、なかなか消えてくれなかったけれど。
その日からいやがらせはじまった。ほぼ毎日、鞄か机のなか、あるいはロッカーに赤い字が書かれたコピー用紙がつっこまれている。
文面はいつもだいたい同じ。『きよやにちかづくな』『みのほどをしれ』『きよやからはなれろ』そんな殴り書きの赤い字を見るたび、心臓を冷たい手でつかまれたような心地がした。
――だれがやってるんだ?
クラスメイトは――たっくんと聖夜を除いて――全員敵に見えた。もしかしたら先生も一枚噛んでいるのかもしれない。俺みたいなやつが聖夜と一緒にいるなんてほんとうはいけないことなんだから。
親に感づかれないように家ではふつうにふるまっているけれど、学校では食事が喉を通らなくなった。
昼休みの部室。弁当にほとんど手をつけずにふたをする俺を見て、「どうしたの」と向かいのソファにいる聖夜が聞いてくる。
「……ちょっと食欲なくて」
「昨日もそう言って残してなかった?」
「だいじょうぶだよ」
聖夜にだけは知られちゃいけない。そう思って、「ごめん、今日先生に呼びだされてたの思いだした」と俺は逃げるように部室をでた。
『みのほどをしれ』
赤い文字が視界にちらつく。
……わかってる。わかってるんだよ。
『きよやからはなれろ』
俺だって、それくらいできたらとっくに――
「――夏稀!」
部室棟をでようとしたときだった。名前を呼ばれて、後ろから手首をつかまれる。
びっくりして振りかえると聖夜が立っていた。
「……聖夜、」
「ごめん、やっぱり気になって。走ってきちゃった」
その割に息ひとつ乱していない。
彼は俺よりも大きな手で俺の手をつかみなおし、こっちにきて、と俺をひっぱっていく。
「けど……」と俺は言ったけれど、そのあとにつづく言葉を持っていなかった。昼飯を食べてないせいで力が入らない足で彼についていく。
聖夜がつれてきたのはいまはもう使われていない旧校舎だった。彼は横手にまわり、保健室があった部屋のテラス窓を持ちあげるようにして外から開ける。
――鍵がかかってるはずなのに。俺が驚いているのに気づいて、「こうやると開くんだよ。知らなかった?」と聖夜が教えてくれた。
……知らなかった。俺は、去年からこの学校に通ってるのに。
きっと伊藤とかだれかから聞いたんだろう。聖夜は俺の手をつかんだまますばやく中に入る。
もう使われていない保健室は時間が間延びしているみたいだった。木製の床は歩くたびに軋んで、日なたと埃の匂いがする。先生のデスクやベッドがまだ残されているのが不思議だった。
聖夜は二階の隅――本校舎から見て一番遠い区画――にある教室まで俺をつれてきた。
ここも様相は保健室と似ている。授業がはじまるのを待っているみたいに机と椅子がならんでいて、緑色の色褪せたカーテンがかかっている。
「ここまでくればだいじょうぶかな……」と聖夜はつぶやき、俺を振りかえった。手をつかんだままで。
「なにがあったか教えてくれる?」
「……ごめん」
「ごめんじゃわからないよ」
「俺は夏稀のこと友達だと思ってる。夏稀はちがうの?」とやさしく言われたけれど、俺は首を横に振ることしかできなかった。
聖夜は俺を無言でじっと見つめ、そっか、とちいさくつぶやいた。
……解放してもらえる。俺はそう期待したけど、聖夜は逆に俺の手首をきつくつかみなおして。
窓際に俺を連れていくと――片手でカーテンをふわりと広げて俺と自分の体を包みこんだ。
太陽の光を吸った古いカーテンはあたたかくて。
布越しに入ってくる陽射しが、夢のなかみたいにまぶしい。
「きよ、や……?」
「――これでふたりきりだね」
「――――」
「俺は夏稀になんでも話してほしいけど――でも、それを言うことで夏稀が苦しむなら言わなくていい。そのかわり、夏稀が苦しそうにしてるときはこうやってふたりだけの世界に連れてきてあげるから」
包みこむように言われて俺の目に涙がにじんだ。あわててうつむいて顔を隠す。
「いいよ、隠さなくて」俺の手をつかんでいないほうの手で聖夜が俺の頬にふれてくる。その手はどこまでもやさしくて、俺は、堪えきれずに涙を零した。
聖夜とふたりきりの世界で。
……家に帰って気づいた。聖夜につかまれていた手首は、赤いあざになっていた。
でもそのときの俺は、それだけ彼が俺を心配してくれたんだとしか思わなくて。むしろその気持ちが嬉しくて。
たっくんからそのラインが送られてきても、まだ、聖夜のことを疑うことができなかった。
『ナツ、あいつやばい』
『俺見たんだ』
『ナツの机に、あいつが』

