「リーゼ様、あれからすっかり引き籠もってらっしゃって……よほどショックだったのでしょう」
「無理もないわ。初夜すら叶わなかったんですから」
「せっかくの機会だったのにねぇ」
「実家の借金を肩代わりしてもらったって噂もあるし、追い出されないよう息を潜めているのかも」
口さがない使用人たちの言葉が止むことはない。
王都の守護者にして、王位継承権を保持する若き騎士団長、アルフレート・カスティール公爵。
そして、王都の社交界では名も知られぬ、地方の貧乏男爵家の娘でしかないリーゼとの婚姻は、「王家によるカスティール家の権力を削ぐための格落ちの押し付けだ」とまことしやかに囁かれていた。
そんなふたりの挙式から、既に数日が過ぎていた。
下世話な噂話を尻目に、侍女のクレスはリーゼの閉じこもっている別塔──通称『図書塔』へと足を進める。手にしたトレイには、片手でつまめるひと口サイズのサンドイッチとティーセット。
──食欲がないのだろう。
皆が勝手にそう納得しているが、リーゼが幼い頃より仕え、唯一、随行を許されたクレスだけは違うと知っていた。
ノックをしてリーゼの私室に入る。返答がなくとも入室する許可は得ていた。
リーゼの姿は部屋にはない。
最初こそ在室していないことを心配したが、今やもう慣れてしまっている。
クレスは奥の部屋へと向かった。トレイを近くのテーブルに置くと、重い扉を思いきり開いた。
「リーゼ様! また徹夜されたでしょう」
「ああ! おはようクレス! 今日もいい朝ね!」
積まれた本の中から顔を出したリーゼが、隈の濃い目元も何のその。
太陽のような笑顔をクレスに向けてきた。
あれから数日、リーゼは狂ったように本を読み漁っていた。
飢えた獣のようと評したのはクレスで、リーゼもそれを否定しない。
図鑑や歴史書、古典文芸などをめくりながら、「この辺りの歴史は、こちらの騎士の物語と繋がりがあるのかも……」と推理半分、妄想半分の想像を膨らませていた。
『リーゼは昔から、行間を読むのが得意だね』──両親はそう言って笑った。
手にしていた本の最後の1ページを読み終わり、リーゼは恍惚の溜め息と共に本を閉じた。
ひと段落ついたようだと判断したクレスが、紅茶の用意を始めた──その時。
積まれた本の間でうっとりとしていたリーゼが勢いよく立ち上がり、部屋の中央にある洋机へと向かったのだ。
「リーゼ様?」
「クレス。読み手として最高のインプットを大量にした今、私のやるべきことはひとつ!」
「食事と入浴、そして睡眠ですね」
クレスの冷静な指摘にもリーゼはめげなかった。
「そう!大量のアウトプットしかない!」
リーゼは机の引き出しから、真っ白な羊皮紙と、深い青色のインク瓶を取り出した。
幸運にも、アルフレートが「自由に使え」と言ったこの塔には、彼女の想像力を羽ばたかせるための全てが揃っていた。
頭の中にあらゆるアイデア、展開、結末が次々と駆け巡る。
「アルフレート様は、塔内であれば自由に過ごしていいとおっしゃったわ。──つまり、自由に執筆しても良いのです!」
周りには檻などと呼ばれれていたが、リーゼからすれば最高の読書環境であり、最高の執筆環境でしかなかった。
「さあ、書きましょう。誰にも邪魔されない、私だけの騎士様の物語を」
「リーゼ様!その前にせめて食事と睡眠を…!」
ペン先が紙に触れ、カリ、と硬質な音が静かな図書塔に響く。
世間が『檻』と呼ぶこの場所で、リーゼは真の自由を手に入れたのだ。
──そして。
後に王国中を熱狂させる天才作家『リネア・ステラ』が、この瞬間に産声を上げたのである。
「無理もないわ。初夜すら叶わなかったんですから」
「せっかくの機会だったのにねぇ」
「実家の借金を肩代わりしてもらったって噂もあるし、追い出されないよう息を潜めているのかも」
口さがない使用人たちの言葉が止むことはない。
王都の守護者にして、王位継承権を保持する若き騎士団長、アルフレート・カスティール公爵。
そして、王都の社交界では名も知られぬ、地方の貧乏男爵家の娘でしかないリーゼとの婚姻は、「王家によるカスティール家の権力を削ぐための格落ちの押し付けだ」とまことしやかに囁かれていた。
そんなふたりの挙式から、既に数日が過ぎていた。
下世話な噂話を尻目に、侍女のクレスはリーゼの閉じこもっている別塔──通称『図書塔』へと足を進める。手にしたトレイには、片手でつまめるひと口サイズのサンドイッチとティーセット。
──食欲がないのだろう。
皆が勝手にそう納得しているが、リーゼが幼い頃より仕え、唯一、随行を許されたクレスだけは違うと知っていた。
ノックをしてリーゼの私室に入る。返答がなくとも入室する許可は得ていた。
リーゼの姿は部屋にはない。
最初こそ在室していないことを心配したが、今やもう慣れてしまっている。
クレスは奥の部屋へと向かった。トレイを近くのテーブルに置くと、重い扉を思いきり開いた。
「リーゼ様! また徹夜されたでしょう」
「ああ! おはようクレス! 今日もいい朝ね!」
積まれた本の中から顔を出したリーゼが、隈の濃い目元も何のその。
太陽のような笑顔をクレスに向けてきた。
あれから数日、リーゼは狂ったように本を読み漁っていた。
飢えた獣のようと評したのはクレスで、リーゼもそれを否定しない。
図鑑や歴史書、古典文芸などをめくりながら、「この辺りの歴史は、こちらの騎士の物語と繋がりがあるのかも……」と推理半分、妄想半分の想像を膨らませていた。
『リーゼは昔から、行間を読むのが得意だね』──両親はそう言って笑った。
手にしていた本の最後の1ページを読み終わり、リーゼは恍惚の溜め息と共に本を閉じた。
ひと段落ついたようだと判断したクレスが、紅茶の用意を始めた──その時。
積まれた本の間でうっとりとしていたリーゼが勢いよく立ち上がり、部屋の中央にある洋机へと向かったのだ。
「リーゼ様?」
「クレス。読み手として最高のインプットを大量にした今、私のやるべきことはひとつ!」
「食事と入浴、そして睡眠ですね」
クレスの冷静な指摘にもリーゼはめげなかった。
「そう!大量のアウトプットしかない!」
リーゼは机の引き出しから、真っ白な羊皮紙と、深い青色のインク瓶を取り出した。
幸運にも、アルフレートが「自由に使え」と言ったこの塔には、彼女の想像力を羽ばたかせるための全てが揃っていた。
頭の中にあらゆるアイデア、展開、結末が次々と駆け巡る。
「アルフレート様は、塔内であれば自由に過ごしていいとおっしゃったわ。──つまり、自由に執筆しても良いのです!」
周りには檻などと呼ばれれていたが、リーゼからすれば最高の読書環境であり、最高の執筆環境でしかなかった。
「さあ、書きましょう。誰にも邪魔されない、私だけの騎士様の物語を」
「リーゼ様!その前にせめて食事と睡眠を…!」
ペン先が紙に触れ、カリ、と硬質な音が静かな図書塔に響く。
世間が『檻』と呼ぶこの場所で、リーゼは真の自由を手に入れたのだ。
──そして。
後に王国中を熱狂させる天才作家『リネア・ステラ』が、この瞬間に産声を上げたのである。
