あの日の音が消えるまで

その日の放課後。

 私は蒼真と一緒に体育館にいた。

 文化祭のステージの準備のためだ。

 体育館の中は少しひんやりしている。
 まだ誰もいないから、広い空間が静かに感じた。

 ステージの上では、先輩たちが機材を準備している。

 スピーカー。
 マイク。
 ミキサー。

 私はその機械を見て、少しだけ緊張した。

 音響。

 つまり音を出す仕事。

 蒼真が隣で言った。

 「大丈夫そう?」

 私は少し考えてから答える。

 「……たぶん」

 本当は少し怖い。

 でも逃げたくなかった。

 蒼真が言う。

 「無理なら外出てもいい」

 「うん」

 私は小さくうなずいた。

 

 そのとき、先輩が声をかけてきた。

 「音テストするぞー」

 体育館に声が響く。

 私は少し肩がびくっとした。

 先輩がマイクを持つ。

 「マイクチェック」

 

 キーン。

 

 高い音がスピーカーから響いた。

 

 胸が一瞬でざわつく。

 呼吸が浅くなる。

 

 だめかもしれない。

 

 先輩が言う。

 「もうちょい音上げる」

 

 その瞬間。

 

 ドン!!

 

 大きな音が体育館に響いた。

 

 頭の奥が揺れる。

 視界が少しぼやける。

 

 だめ。

 

 体が動かない。

 息がうまくできない。

 

 人の声が遠くなる。

 体育館の天井が揺れて見える。

 

 そのとき。

 

 「一ノ瀬」

 

 声が聞こえた。

 蒼真だった。

 蒼真はすぐ私の前に立った。

 そして静かな声で言う。

 「外行こう」

 

 私はうまく歩けない。

 

 そのとき。

 

 蒼真が私の手を握った。

 

 「大丈夫」

 

 低くて落ち着いた声。

 

 私はそのまま体育館の外へ連れていかれる。

 

 外の空気。

 少し冷たい風。

 

 蒼真が言う。

 「座って」

 

 私は体育館の横のベンチに座る。

 呼吸がまだ速い。

 

 蒼真がゆっくり言う。

 

 「吸って」

 

 私は息を吸う。

 

 「吐いて」

 

 ゆっくり吐く。

 

 「もう一回」

 

 私は言われた通り呼吸する。

 

 少しずつ、心臓の速さが落ち着いていく。

 

 しばらくして、私は小さく言った。

 

 「……ごめん」

 

 蒼真は首を振る。

 

 「謝らなくていい」

 

 私は手を見る。

 

 蒼真の手が、まだ私の手を握っていた。

 

 蒼真はそれに気づいて、少しだけ手を離した。

 でも表情は変わらない。

 

 「やっぱ音きつい?」

 

 私は少し考えてから言った。

 

 「びっくりしただけ」

 

 本当は怖かった。

 でも逃げたくなかった。

 

 蒼真は少し空を見る。

 

 「無理しなくていい」

 

 私は小さく首を振った。

 

 「……やりたい」

 

 蒼真が少し驚いた顔をする。

 

 私は続ける。

 

 「怖いけど」

 「逃げたくない」

 

 自分でも少し不思議だった。

 でも本当にそう思った。

 

 蒼真は少しだけ笑った。

 本当に、ほんの少しだけ。

 

 「わかった」

 

 そして言う。

 

 「じゃあ、ゆっくりやろう」

 

 私はうなずく。

 

 そのとき、体育館のドアが開いた。

 さっきの先輩が顔を出す。

 

 「大丈夫?」

 

 蒼真が答える。

 「少し休んで戻ります」

 

 先輩はうなずいた。

 「無理すんなよ」

 

 ドアが閉まる。

 

 静かな夕方。

 

 私は空を見上げる。

 少しだけ呼吸が楽になっていた。

 

 蒼真が隣で言う。

 

 「一ノ瀬」

 

 「なに?」

 

 蒼真は少し考えてから言った。

 

 「強いな」

 

 私はびっくりした。

 

 「強くないよ」

 

 蒼真は言う。

 

 「怖くても逃げない」

 

 「それ強い」

 

 その言葉を聞いたとき。

 

 胸の奥が、少しだけ温かくなった。

 

 怖さはまだ消えていない。

 

 でも。

 

 少しだけ。

 

 前に進めた気がした。

 

 蒼真と一緒だったから。