あの日の音が消えるまで

校門を出ると、夕方の空が広がっていた。

 昼間より少しだけ涼しい風が吹いている。
 部活の声が遠くから聞こえる。

 私は蒼真の隣を歩いていた。

 なんだか少し不思議な感じがする。

 クラスメイトと一緒に帰ることはある。
 でも、蒼真と二人きりで歩くのは初めてだった。

 しかも、今日初めてまともに話したばかりなのに。

 少し沈黙が続く。

 靴がアスファルトを踏む音だけが聞こえる。

 私は何か話したほうがいい気がして、口を開いた。

 「……蒼真って」

 「ん?」

 「いつも静かだよね」

 蒼真は少し考えてから言った。

 「そうかも」

 それだけだった。

 私は少し笑う。

 「クラスの人たち、ちょっと緊張してると思う」

 蒼真は小さく息を吐いた。

 「慣れてないだけ」

 「転校?」

 「うん」

 それ以上は話さなかった。

 でも私は少し気になって聞いた。

 「東京から来たんだよね」

 蒼真はうなずく。

 「うん」

 そして少しだけ間を置いて言った。

 「前は、妹と住んでた」

 私は足を少し止めそうになる。

 昼休みに聞いた言葉。

 

 ――妹がいた。

 

 私はゆっくり聞いた。

 「妹……」

 蒼真は前を見たまま歩いている。

 「体弱かった」

 静かな声だった。

 「外の音とか、人が多い場所とか」

 胸が少しだけざわつく。

 やっぱり似ている。

 私と。

 蒼真は続けた。

 「急に怖くなることがあった」

 私は何も言えなかった。

 どうしていいかわからない。

 しばらく歩いたあと、蒼真が言った。

 「でも」

 少し風が吹く。

 桜の花びらが道に落ちていた。

 蒼真はその花びらを見ながら言う。

 「俺、何もできなかった」

 その言葉は、とても小さかった。

 でも重かった。

 私は思わず言った。

 「そんなことないよ」

 蒼真がこちらを見る。

 私は少し焦りながら続けた。

 「だって……そばにいたんでしょ」

 蒼真は少し驚いた顔をした。

 私は言葉を探しながら言う。

 「それだけでも、きっと……」

 そこで言葉が止まる。

 うまく言えない。

 でも蒼真は、少しだけ笑った。

 本当に少しだけ。

 「一ノ瀬って」

 「え?」

 「優しいな」

 その言葉に、私は少し戸惑った。

 そんなこと言われたこと、あまりない。

 むしろ私は、自分のことでいっぱいだった。

 怖くて。

 逃げてばかりで。

 普通のふりばかりして。

 私は小さく言った。

 「そんなことない」

 蒼真は何も言わなかった。

 でもその沈黙は、さっきまでより少しやわらかかった。

 

 しばらく歩くと、分かれ道に着いた。

 私はそこで立ち止まる。

 「私、こっち」

 蒼真もうなずく。

 「じゃあ」

 私は少し迷った。

 でも言った。

 「……今日はありがとう」

 蒼真は少し不思議そうに聞く。

 「何が?」

 「廊下で」

 蒼真は少しだけ考えてから言った。

 「気にしなくていい」

 そして続けた。

 「俺も、ああいうの見たことあるから」

 その言葉に、また胸が少しざわつく。

 でも今度は怖さじゃない。

 少しだけ違う感情。

 

 私は小さく手を振った。

 「また明日」

 蒼真もうなずく。

 「また明日」

 

 家に向かって歩きながら思う。

 今日の帰り道は、少しだけ違った。

 怖いことは、まだ消えていない。

 夢もきっとまた見る。

 でも——

 

 少しだけ。

 

 ほんの少しだけ。

 

 世界が怖くない気がした。

 

 蒼真がいたから。