あの日の音が消えるまで

文化祭まで、あと三週間。

 放課後、私は蒼真と一緒に体育館で音響の練習をしていた。

 最初は怖かった音も、少しずつ慣れてきている。

 大きな音が鳴るたび、胸はまだドキッとする。
 でも前みたいに動けなくなることは減ってきた。

 蒼真が横でミキサーを触る。

 「これで音量少し下げる」

 「うん」

 私はメモを取りながらうなずいた。

 体育館には、スピーカーのテスト音が響く。

 ドン。

 少し低い音。

 私は一瞬目を閉じた。

 

 その瞬間。

 

 頭の奥で、何かが揺れた。

 

 夜。

 明るい屋台。

 赤い提灯。

 人の声。

 

 ――お祭り。

 

 私は急に息が止まりそうになる。

 

 人がたくさんいる。

 押される。

 誰かが叫ぶ。

 

 ドン!!

 

 大きな音。

 

 「……っ」

 

 私は思わず頭を押さえた。

 

 蒼真がすぐに気づく。

 「一ノ瀬?」

 

 私はその場に座り込んでしまった。

 

 頭の中に映像が浮かぶ。

 

 夜の祭り。

 人混み。

 花火の音。

 

 そして。

 

 人が一斉に走り出す。

 

 「逃げろ!」

 

 誰かが叫んでいる。

 

 怖い。

 

 押される。

 転びそうになる。

 

 そのとき。

 

 誰かの手が私の腕を引いた。

 

 「小春!」

 

 知らない声。

 でも優しい声。

 

 そしてまた——

 

 ドン!!

 

 私ははっとして目を開けた。

 

 体育館だった。

 

 呼吸が速い。

 胸が苦しい。

 

 蒼真が目の前にいた。

 「大丈夫」

 

 その声を聞いて、少しだけ現実に戻る。

 

 私は小さく言った。

 

 「思い出した」

 

 蒼真が静かに聞く。

 「何を?」

 

 私はゆっくり話した。

 

 「お祭り」

 

 蒼真は黙って聞いている。

 

 「花火の音がして」

 「人が急に走り出して」

 

 私は震える声で言う。

 

 「みんな逃げてた」

 

 蒼真の表情が少し変わる。

 

 私は続ける。

 

 「誰かが私の手を引いたの」

 

 そのときの感覚だけ、はっきり覚えている。

 温かい手。

 

 でも。

 

 「誰かは思い出せない」

 

 私はうつむいた。

 

 蒼真は少し黙ってから言った。

 

 「花火大会の事故」

 

 私は顔を上げた。

 

 蒼真が静かに言う。

 

 「三年前」

 「ニュースになってた」

 

 胸がドクンと鳴る。

 

 「人が将棋倒しになった」

 

 私はその言葉を聞いた瞬間、体が少し震えた。

 

 将棋倒し。

 

 人が押し合って倒れる事故。

 

 蒼真は続ける。

 

 「俺、ニュースで見た」

 

 そして少し間を置いて言った。

 

 「妹も」

 

 私は息を止める。

 

 蒼真の声は静かだった。

 

 「その事故で亡くなった」

 

 時間が止まったように感じた。

 

 私は何も言えない。

 

 蒼真は続ける。

 

 「妹、人混み苦手だった」

 「でも花火好きで」

 

 少しだけ笑う。

 

 「行きたいって言ってた」

 

 その笑顔は、どこか寂しかった。

 

 私は胸が苦しくなる。

 

 「ごめん」

 

 思わず言ってしまった。

 

 蒼真は首を振る。

 

 「謝ることじゃない」

 

 そして少しだけ私を見る。

 

 「でも」

 

 蒼真の声はやさしかった。

 

 「一ノ瀬が無事でよかった」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 

 私は何も言えなかった。

 

 でも心の中で思った。

 

 もしあの日。

 

 私の手を引いた人がいたなら。

 

 その人は、誰だったんだろう。

 

 そして。

 

 どうして私は助かったんだろう。