これを恋と呼ぶのはいささか身勝手すぎやしないだろうか

 明日、この街から好きなひとがいなくなる。
「学ランのほうがよかったのになー」
 鈴白(すずしろ)真琴(まこと)が情感豊かに愚痴を吐いたのを見て、俺は口元を緩めた。
「ブレザーいいじゃん。学ランなんて中学んときからだし、高校生になったって感じで、がち羨ましい」
 励ましたのに効果はなかったようで、右隣から盛大なため息が聞こえてきた。
「羨ましいのはこっちだって。首元が寒くなるじゃん?」
 真琴と俺はなぜか漫才コンビのように立ち位置が決まっている。学校の帰りに寄るこの廃墟のような公園の階段でも、図ったみたいに座る位置が固定されていた。
「……たった数センチの違いだろ?」
「たったとか言うな。首元の数センチはでかいんだぞ。北のほうに行くんだし、雪もめちゃくちゃ降るんだから」
 引っ越しが決まってからこの話題ばかりだ。真琴はこれから過ごす土地がこの街より寒くなると聞いて、夜も眠れないくらい不安らしい。
「じゃあ、そんな首元に怯える真琴くんには、これをプレゼントしてやろう」
 大げさすぎる真琴にいい加減呆れた俺は、自分の首からマフラーを解いて真琴の首にかけてやった。
餞別(せんべつ)が使い古しかよ? これ小五んときから使ってるやつだろ?」
「要らんならやらん」
「……もらってやってもいいけど」
「つーか、小五じゃないって。四年のときだよ。確か」
「五年だって。マフラーなんて洒落たものつけてくるやついなかったから、すげーインパクトだったもん。覚えてる」
 買ってもらったのは四年生のときだった。でも周りはみんなネックウォーマーだとか、なにもつけていないかで恥ずかしく、せっかく買ったのにと怒られるまで持ち出さなかったのだ。
 よく覚えているなと感心した。いや、ちょっと泣きそうになった。真琴はだからたくさんの人から好かれている。こんな些細なことまで気にかけてくれているのだから、好意的に思うのは当然だ。でも真琴の魅力はそれだけじゃない。
「じゃあ、いいじゃん。洒落てるって言うくらいなら使ってよ」
「うん。ぶっちゃけ結構かっこいいと思ってたんだよな」
 俺が無造作にかけたマフラーを、真琴はきゅっと結んだ。
 考えなしにしたことだったけど、我ながらナイスアイデアだったかもしれない。離れてしまっても、俺の分身がそばにいるようなものだ。真琴に寄り添って温めてやれるのだから、真琴は見るたび俺を思い出してくれるだろう。そう願えるだけでも寂しさが少し減るように思えた。
「そろそろ行くか」
 真琴はスマホを見て立ち上がり、右側の空気がふっと揺れた。
「明日は何時に出発するん?」
 時をとめることはできない。刻々と明日に近づいているのだから、悲しかろうとどうすることもできない。
「八時だよ。もう荷物はまとめてあるけど、念のため最後のチェックはしておきたい」
「車でどれくらいなんだっけ?」
「三時間はかかるって言ってたかな……こっちの家はばあちゃん家だし取りに来られるけど、不便になるのは嫌だし」
「だな。買えば済むってものでももったいないしな」
「そうそう、マフラーはゲットできたから金は浮いたけど」
「じゃあ、浮いた分俺に寄越せよ」
「なんでだよ。餞別だろ」
 日が沈みかけている。春分が近づいている今、少しずつ日が長くなっているから、かなり長いこと真琴と過ごしていたことになる。真琴はたくさんの友人がいるのに、引っ越し前夜の貴重な日を俺と二人で過ごしてくれた。マフラーとこの事実は、告白できないまま恋が終わってしまう無念さを薄くしてくれるに十分だ。そう、考えよう。
「……他のやつらには会った?」
 真琴が歩き出したので、俺も横に並んで歩みを揃えた。
「あー、昼にな。送別会ってほどじゃないけど、マックで昼食って少し喋った。何人いたんだろ。十人はいたな」
「佐山たち?」
「そう。店出たら一年の女子もいてビビったわ」
 それって、真琴に片思いしてると噂の子じゃないか? もしかして告白されたのだろうか。聞いてみようか……
「その一年ってさ……」
「見ろよ、隆臣(たかおみ)
 突然、真琴は足を止めた。なぜか帰り道じゃないほうへ顔を向けている。
「なに?」
「ここって、神社だったのかな?」
「えっ?」
 草むらへ真琴は近づき、かき分けて進んでいく。するとこじんまりとした木製の建物と、鳥居のようなものが見えてきた。
「うわ、がちでこれ神社じゃね?」
 腰の高さまで伸びた雑草だらけだけど、真琴の言うように神社と言っていいような佇まいだ。
「こんなのあったなんて知らなかった……」
「それな。中学あがってからだから四年くらいだろ? まったく気づかなかったな」
 ここは中学校からの帰り道にある。俺と真琴の家へ向かう岐路にあって、丘の上の公園だと思い込んでいた。遊具があるわけではないけど水道とベンチがあり、二十段ほどの階段を上がったところに猫のひたい程度の草地がある。街を見渡すことができるので、子ども向けではなく休憩スペース的な意図の公園だと思っていた。
「でも、管理はされてないよな?」
「だろうな。俺ら以外誰も見かけたことないし」
 ここへ来るための階段も雑草が生い茂っていてる状態だった。だから俺と真琴の他に人の姿を見かけたことはなく、まるで秘密基地のようにして使っていた。俺よりうんと友達の多い真琴も、ここは他の誰にも教えていなかったようで、この四年間は二人だけの空間だった。
「……って、何してんだ?」
 真琴はゆっくりと社のほうへ近づいていく。
「いや、本物の神社なら、なんかご利益とかあんのかなって」
「え……でも管理されてないし、神様なんていないんじゃね?」
「抜け殻ってこと?」
「たぶん。てか、いたら逆に怖くね? よくわかんないけど、神様って祀らなきゃいけないんだろ? こんなふうに放置されてたら祟りとかありそうじゃん」
「祟りなんて、がちで言ってんの?」
「祟りっていうか、なんていうの? 祀られていた神様がいなくなったせいで、よくないものが集まるとか怪談でよくあるじゃん」
 うーん、と気のない返事をしつつ真琴は社の前にまで進み出た。社はところどころ朽ち果て、お飾りのような鳥居は黒ずみ元の色もわからない。賽銭箱らしき木箱も中は雑草でいっぱいなうえ、鈴はなく紐だけが千切れた状態で垂れ下がっている。社の戸は割れて中が見えるものの、どうみても空っぽだ。
「でもさ、ここで四年間世話になったのは事実だし、お礼だけはしておこうぜ」
 真琴は不敵に微笑むと二拝二拍手一拝という、初詣でやる動作をした。
 いいのだろうか。廃墟のような佇まいに不安を抱きながらも、万が一バチが当たるとして真琴ひとりにだけ負わせるわけにはいかないと、俺も倣って頭を下げた。
 ──ありがとうございました。ここで真琴との時間を過ごせて嬉しかったです。好きな人と両思いになることはできなくても、二人だけの時間を過ごせることはできました。全部この場所のお陰です。ありがとうございました。
 ついぞ口にすることができなかった想い。真琴への恋心を感謝の念とともに胸のうちでつぶやいた。
「なにか願った?」
 元の開けたスペースへ戻ったあと、いつものように真琴と並んで階段を降り始めた。
「……願うわけないだろ。バチが当たるって」
「がちで? じゃ、俺事故とかに遭っちゃうかな?」
 真琴の顔がくしゃりと笑みの形になる。左隣でよかった。太陽は俺の背中にあるから、沈む寸前でも真琴のきらきらとした笑みがまだ見えている。
「縁起でもないこと言うな……明日からは助けに行くことができないだろ」
 俺のほうは真琴から逆光で見えにくいはずだ。だから、本当によかった。
「なに? もし俺が事故に遭ったら助けてくれるつもりだった?」
「……行かなければな」
 行かなければ助けられた。かどうかはわからない。たぶん無理だけど、でも行かないでくれたら、涙を流すのはまだ先の話だった。中学からモテていた真琴には遠くない未来に彼女ができていたはずで、いつかは二人だけの時間がなくなるとの覚悟はしていた。涙は、たかが失恋で済むはずだった。
「じゃ、二年はひとりで生き抜いて見せるよ」
「二年ってなんだよ。戻ってくんの?」
「おまえがこっちに来るか、二人とも東京に出るかだな。大阪とかでもいいけど」
「……勉強しなきゃじゃん」
「しろよ。二人でルームシェアとかしてさ」
 二年という月日は短いようで長い。こんなガキの口約束を信じるほど俺はバカじゃない。忘れることのできない俺とは違って、真琴は新しい生活が始まるのだ。明日から真琴は、俺じゃない誰かの隣で、知らない誰かにその笑みを向けることになる。
「いいな、それ」
「だろ? だからゲームばっかしてんなよ?」
「おまえもな」
「ああ、でもゲームもさ、ネットで繋がってるんだし、引っ越しても時間合わせてやろうな」
「だな」
 真琴にとっての俺は、マフラーを見てたまに思い出すだけの存在へと変わってしまう。
 俺ひとりが忘れられず、果たされないとわかっていても、必死になって勉強してしまうだろう。たぶんそうなるだろう気がした。