春、君が消えて、アイツに惹かれた


「ただいまー」
 兄さんの声だ。大学終わったのか。
 ドアが開いて、キッチンに兄さんが入ってくる。

「お帰り」
「留喜、ココア冷めてる」
 あ、作ったの忘れてた。

「さっき、卵焼き作ろうとして」
「あ、そうなのか」
 兄さんはそっと俺の手を触る。

「うん。できない」
 ココアを電子レンジで温める。

「留喜、埼玉帰ろっか。一ヶ月くらい」
 びっくりして、瞬きする。

「埼玉? なんで」
「息抜き。ちゃんと休んだ方がいい。いじめのことも和哉のことも料理のことも考えない日を作らないと」
 
そんなことをしている暇があるのか。

「でも進路が」
「高校は留年したっていい。ちゃんと理由あるし。ゆっくりしていいんだよ」
 そうなのかな。

「でも俺、学校は行きたくないわけじゃ」
「ああ、わかってる。でも今進路決めなくていい。学校行ったら、そういうことばかり考えちゃうだろ。だから離れた方がいいと思う」
 兄さんは、電子レンジからココアを出す。渡されたそれを一口飲む。

 料理人になりたかったから、高校からは兄さんが独り暮らししている家に住んで、いつも料理の練習をした。埼玉にある家だといつも母さんや父さんが料理をしてくれるから、そこにいたら作らなくなる気がして。だから本格的に料理から離れるなら、埼玉に戻るのがいいのかもしれない。

「でもそこに行っても治んなかったら?」
「行かないと治るかわかんない」
 あ、そうだ。
「ごめん。そうなんだけど、頭ぐちゃぐちゃで」

 兄さんの言うとおりにしよう。たぶんそれが一番いい。

「わかってる。いるのは一ヶ月じゃなくたっていいし、いつでも帰ってきていいから。俺はここにいるし」

 兄さんは、大学に行かないとだもんな。

「うん。あ、でも、和哉のことは調べないと」

「そっか。無理のない範囲でな」

「うん。母さんに電話してみる」

 ココアを飲み干してから、自分の部屋に行って電話をした。
 
 飯田先生や奏に中々会えなくなるのは寂しい。でも環境を変えるのは、良い案なんだと思う。帰って来れない距離でもないし。

 
 電話をして三日後には、支度をして埼玉に行くことになった。


 奏と飯田先生と泉先生と兄さんが、駅の改札越しに俺を見送る。

「またな、留喜」

「帰ってくるの待ってる」

 奏と兄さんが言う。

 スーツケースの持ち手をぎゅっと握る。不安に押し潰されそう。何も治らないで東京に帰る羽目になったらどうしよう。

 いじめを受けてから、やたら考えが後ろ向きになった気がする。

「日高、気をつけてな」

 泉先生も声をかけてくれる。

「留喜、じゃがりこ届けるから」
 飯田先生の言葉に驚いて、瞬きする。

 埼玉に?

 変な元気づけ方。でもやっぱ好きだなあ、こういうところ。

「ハハ! 自分で買いに行きますよ! また帰ってきますね!」
 思わず笑いながら、電車のホームに向かう。