春、君が消えて、アイツに惹かれた


 飯田先生の声を右から左に聞き流して、鞄からノートを取り出す。

「日高」

 ホームルームが終わると、先生は俺を手招きして廊下に行く。

「なんですか?」

「ん。じゃがりこチーズ味」

 鞄からお菓子が入ったジップロックを取り出して、飯田先生は俺に渡す。

「えっ、もらっていいんですか」

「やるから部活に来い」

 また言われた。

「えっと」

 飯田先生から目を逸らしてしまう。

「なら三十分! それだけ見て帰る。わかった?」

 ジップロックを俺の胸に押し付けて、飯田先生は大きな声で言う。

「わ、わかりました」

 声に押されて、思わず言ってしまう。

 何で断らないんだよ、俺!


 飯田先生の服の裾を掴みながら、家庭科室に向かう。


 着いてしまった。飯田先生が、家庭科室のドアノブに手をかける。

 ぱっと手を離して、俺は走り出す。

「やっぱり帰ります、さよなら!」

「だから誰もお前に料理しろなんて言ってねぇって!」

 飯田先生が俺の腕を掴む。

「それでも何もできない俺は、あんなところにいたって」

 入ったらきっと考えてしまう。『なんでできなくなったんだろう』って。

「行きたくないわけじゃないだろ。見学だって俺が伝えるから」

 優しさがありがたい。

「でも伝えたって部員がさせようとするかもしれないし。それでもしバレたら」

 できないのも気を遣われたのも悲しくて、泣いてしまうかもしれない。

「留喜」

 頬を触られる。飯田先生の手が濡れている。俺、泣いていたのか。

「あっ、ごめんなさい」

「謝るな。お前は何も悪くない。部活だって来ていいんだよ」

「みんなができることができないって、実感したくないです」

 飯田先生の手を取って、俺の顔から離す。

「そうか。少し気が早かったな、悪かった」

 飯田先生が俺の頭にふわっと何かをかける。スポーツタオルだ。

「なんでそんな優しいんですか」

 タオルを握ってから、飯田先生の手を掴む。

「留喜?」

「こんな泣いてばっかの生徒、めんどくさいだけなのに」

「めんどくさいなんて、思ったことない」

 目頭が熱くなってしまう。すごく嬉しくて、でもそれ以上に部活に行けないのが申し訳なくて、目を合わせられない。

「思わないとダメですよ。っ、家庭科の授業だって俺はできないんだから」

 タオルを飯田先生に押し付けて、走って下駄箱に行く。

 優しさが嬉しい。でも今の俺は、そんなことされても何もできない。