光のない僕と、音のない君

「嘘だろ……おい、本当なのか?!」

 シズヤの顔が見えたのなら、きっと目を見開いているに違いなかった。長い付き合いだから、声音で十分にシズヤの顔が想像できた。

(本当だよ……おめでとう。オペ、すぐにでも受けるよね?)

「もちろんだ! 俺、また音が聞こえるようになりたい。ヒカルのピアノの音を、自分の耳で聴きたいんだ!」

 嬉しそうに叫ぶシズヤの声を聴きながら、僕は凍りついた。

 シズヤが僕の『目』ではなくなってしまうことへの恐怖。もちろん、オペも受けて欲しいし、音楽の音色を楽しんでもらいたい。

 でも――。

 音が聞こえるようになったシズヤは、僕の旋律を肌でなく、単に耳で聴くだけになるんだろうか。僕と一緒に、不完全なまま鳴らしていた特別なビートは、消えてしまうんだろうか。

 何も言えずに、僕はその場に立ち尽くしていた。

   *

 葛藤を胸に秘めたまま、僕たちは空港へ向かう車の中にいた。

 運転席には、母さん。
 母さんの呼吸は、いつもより少し荒く、緊張していた。

 シズヤを祝福したい気持ちと、それでも僕の目が治るわけではない複雑な心情が伝わってくる。

 隣のシズヤは、窓の外を見つめている気配がした。

 僕には見えないが、シズヤの気配から、流れていく景色を瞳に焼き付けているのが分かった。音が聞こえるようになったら、この景色は、どんな音と共にシズヤの記憶に刻まれていくのだろうか。

「……ヒカル、シズヤくん。もうすぐ空港だよ。ご両親は先にロビーで待ってるって」

 母さんの声が、カーナビの音声と重なった。

 駐車場から空港ロビーへ。
 白杖を突いて歩く僕を、シズヤの手がいつものように支えてくれた。

 けれど、その手の感触は、いつもより少し強張っていて、焦っているような気がした。

 オペを受けるための、慌ただしいチェックイン。
 医療チームが待つアメリカに向かうため、手荷物検査場の前で、僕たちは足を止めた。
 
(……シズヤ。頑張ってよ。しばらく、光と音のユニットは休止だね)

「何言ってんだよ。俺はすぐに戻ってきて、ヒカルの目になる。約束だ、ほら」

 小指をひょいと引っ掛けられた。

 指切りげんまん。嘘になったとしても、シズヤには元気にずっと生きていって欲しい。

 指切りを終えると、シズヤが僕の手を力強く握り締めてくれた。

「ヒカルのピアノの音、必ず自分の耳で聴くから。楽しみなんだ」

 僕は自分の指が、かすかに震えているのを自覚しながら、送り出す言葉を手話で伝えた。

(……シズヤ。頑張ってね。成功して、また会えるのを、楽しみにしてるから)

 不器用で真っ直ぐな想いを、絞り出すのが精一杯だった。

「ヒカル、ありがと。行ってくる」
 
 シズヤが僕の手を離し、手荷物検査場の中へ消えていった。

 母さんが、僕の背中をポンと叩いた。

「ヒカル、行こ。シズヤくん、きっと、大丈夫だから」

「飛行機が飛び立つまで、ここにいるよ」

 僕は一人、ロビーに残った。
 シズヤの鼓動が消えたロビーは、驚くほど静かで、とてつもなく暗闇だった――。