放課後の音楽室。
僕はヘッドホンを片耳だけ外し、ノートパソコンのキーボードを猛烈な勢いで叩いていた。
画面は見えないが、全く問題ない。イヤホンから超高速で再生されるスクリーンリーダーの無機質な音声が、現在のトラックやエフェクトの数値を、的確に僕の脳へと送り込んでくる。
マウスは使わない。何百と暗記したショートカットキーだけを使い、音の断片を切り貼りしていく。
ベースにしているのは、昨日の剣道場で録音しておいた『竹刀のぶつかる音』だ。
僕は過敏な聴覚を極限まで研ぎ澄まし、その音の裏にへばりついている『コン、ココン』というピンポン玉の音だけを、イコライザーを使って耳の感覚だけで削り出していった。
「おい、ヒカル。床から伝わってくるこの小刻みな振動……なんか、薄気味悪いな」
隣でパイプ椅子に座っていたシズヤが、怪訝そうな声を出した。
スピーカーの上に置いたシズヤの手が、僕の削り出した音のの、湿っぽくて不規則な波長を皮膚で正確に感じ取っているのだ。
(これくらいやらなきゃ、大人の執念は引き剥がせないよ)
僕は手話で返し、さらに音を重ねていく。
笹井先生の生霊が発している『ピンポン玉の音』。その周波数を頭の中で立体的な波形として思い描き、真逆の波をぶつけて不協和音へと歪ませる。
そこへ、剣道部員たちの力強い『踏み込みの振動』を強烈なキックとして組み込んだ。
過去の未練を、現在の熱量で粉砕する、特製のトラップだ。
(……できた。名付けて『アンチ・ピンポン・バスター』)
「ダッセェ名前。まあいい、機材は俺が運んでやる」
シズヤが呆れたように笑い、大きなBluetoothスピーカーを肩に担ぎ上げた。
*
夕暮れの剣道場。
他の部員たちが帰り支度を終え、道場には依頼人の神崎先輩と、見学を装って残った僕たちだけになっていた。
「……本当に大丈夫なの? 私、すごく怖いんだけど」
面を外した神崎先輩の声が震えている。
僕は、道場の隅にスピーカーを設置し終えたシズヤの気配を確認してから、先輩に向かって頷いた。
「大丈夫です。先輩はいつも通り、素振りを続けてください。僕たちが、先輩の背中に張り付いた『ストーカー』を引き剥がします」
シズヤのために手話をしながら、神崎先輩に指示をした。
神崎先輩が小さく息を吐き、竹刀を構える。
シュッ、と空気を裂く音が道場に響いた。
僕は目を閉じ、神経を聴覚の一点に集中させる。
一回、二回。先輩の素振りの音が響く。
そして、三回目。
――コン。
来た。竹刀の風切り音に混じって、あの乾いたセルロイドの音が鳴った。
すかさず、道場の反対側にいたシズヤの声が飛ぶ。
「ヒカル! 出たぞ。先輩の背中だ。あの黒い影が、ラケットを振りかぶってる!」
僕はノートパソコンのエンターキーを、親指で力強く押し込んだ。道場の床を揺るがすほどの重低音が、シズヤの設置したスピーカーから爆発した。
僕が作った『アンチ・ピンポン・バスター』。竹刀の打突音をサンプリングした強烈な四つ打ちのキックが、道場の空気を一気に支配する。
ピンポン玉の音を反転させた不協和音が、空間にへばりつく生霊の呻き声と激しく衝突した。
「きゃあっ!?」
神崎先輩が悲鳴を上げてしゃがみ込む。
僕の耳に、これまで聞いたこともないような『悍ましい声』が飛び込んできた。
『……ォ……ガ……ァァァ……!』
それは、人間の悲鳴を水の中で再生したような、くぐもった絶叫だった。
逆位相のビートを浴びた生霊が、自分の存在を否定され、苦悶の声を上げているのだ。
「効いてるぞヒカル! あの黒い影が、形を保てなくてドロドロに溶けかかってる!」
シズヤの弾んだ声。
トラップは完璧に成功した。音の波が、笹井先生の身勝手な執着を無理やり神崎先輩から引き剥がしていく。
だが、次の瞬間だった――道場の蛍光灯が、一斉に破裂するような音を立てて割れた。
ガラスの破片が降り注ぐ音。神崎先輩の悲鳴。
スピーカーから流れる僕のビートの裏側で、生霊の絶叫が、急激に怒りの声へと変貌していくのを感じた。
「……おい、ヒカル。なんか様子がおかしいぞ」
シズヤの声から、先ほどの余裕が消え去っていた。
「溶けかかってた影が、急に何倍にも膨れ上がりやがった……! クソッ、こっちを睨んでる!」

僕の聴覚が、異常な気配を捉えた。
『コン、ココン』という小さな卓球の音だったはずのノイズが、まるで巨大な鉄球を床に叩きつけるような『ドォン! ドォン!』という暴力的な轟音に変わって、僕たちの方へ迫ってくる。
(まずい……! 未練を増幅させすぎたんだ。執着が、完全に『殺意』に変わった!)
トラップは、最悪の形で裏目に出た。
神崎先輩から引き剥がされた怨念は、邪魔をした僕たち『光と音』を標的に定め、真っ黒な怒りとなって襲いかかってこようとしていた。
僕はヘッドホンを片耳だけ外し、ノートパソコンのキーボードを猛烈な勢いで叩いていた。
画面は見えないが、全く問題ない。イヤホンから超高速で再生されるスクリーンリーダーの無機質な音声が、現在のトラックやエフェクトの数値を、的確に僕の脳へと送り込んでくる。
マウスは使わない。何百と暗記したショートカットキーだけを使い、音の断片を切り貼りしていく。
ベースにしているのは、昨日の剣道場で録音しておいた『竹刀のぶつかる音』だ。
僕は過敏な聴覚を極限まで研ぎ澄まし、その音の裏にへばりついている『コン、ココン』というピンポン玉の音だけを、イコライザーを使って耳の感覚だけで削り出していった。
「おい、ヒカル。床から伝わってくるこの小刻みな振動……なんか、薄気味悪いな」
隣でパイプ椅子に座っていたシズヤが、怪訝そうな声を出した。
スピーカーの上に置いたシズヤの手が、僕の削り出した音のの、湿っぽくて不規則な波長を皮膚で正確に感じ取っているのだ。
(これくらいやらなきゃ、大人の執念は引き剥がせないよ)
僕は手話で返し、さらに音を重ねていく。
笹井先生の生霊が発している『ピンポン玉の音』。その周波数を頭の中で立体的な波形として思い描き、真逆の波をぶつけて不協和音へと歪ませる。
そこへ、剣道部員たちの力強い『踏み込みの振動』を強烈なキックとして組み込んだ。
過去の未練を、現在の熱量で粉砕する、特製のトラップだ。
(……できた。名付けて『アンチ・ピンポン・バスター』)
「ダッセェ名前。まあいい、機材は俺が運んでやる」
シズヤが呆れたように笑い、大きなBluetoothスピーカーを肩に担ぎ上げた。
*
夕暮れの剣道場。
他の部員たちが帰り支度を終え、道場には依頼人の神崎先輩と、見学を装って残った僕たちだけになっていた。
「……本当に大丈夫なの? 私、すごく怖いんだけど」
面を外した神崎先輩の声が震えている。
僕は、道場の隅にスピーカーを設置し終えたシズヤの気配を確認してから、先輩に向かって頷いた。
「大丈夫です。先輩はいつも通り、素振りを続けてください。僕たちが、先輩の背中に張り付いた『ストーカー』を引き剥がします」
シズヤのために手話をしながら、神崎先輩に指示をした。
神崎先輩が小さく息を吐き、竹刀を構える。
シュッ、と空気を裂く音が道場に響いた。
僕は目を閉じ、神経を聴覚の一点に集中させる。
一回、二回。先輩の素振りの音が響く。
そして、三回目。
――コン。
来た。竹刀の風切り音に混じって、あの乾いたセルロイドの音が鳴った。
すかさず、道場の反対側にいたシズヤの声が飛ぶ。
「ヒカル! 出たぞ。先輩の背中だ。あの黒い影が、ラケットを振りかぶってる!」
僕はノートパソコンのエンターキーを、親指で力強く押し込んだ。道場の床を揺るがすほどの重低音が、シズヤの設置したスピーカーから爆発した。
僕が作った『アンチ・ピンポン・バスター』。竹刀の打突音をサンプリングした強烈な四つ打ちのキックが、道場の空気を一気に支配する。
ピンポン玉の音を反転させた不協和音が、空間にへばりつく生霊の呻き声と激しく衝突した。
「きゃあっ!?」
神崎先輩が悲鳴を上げてしゃがみ込む。
僕の耳に、これまで聞いたこともないような『悍ましい声』が飛び込んできた。
『……ォ……ガ……ァァァ……!』
それは、人間の悲鳴を水の中で再生したような、くぐもった絶叫だった。
逆位相のビートを浴びた生霊が、自分の存在を否定され、苦悶の声を上げているのだ。
「効いてるぞヒカル! あの黒い影が、形を保てなくてドロドロに溶けかかってる!」
シズヤの弾んだ声。
トラップは完璧に成功した。音の波が、笹井先生の身勝手な執着を無理やり神崎先輩から引き剥がしていく。
だが、次の瞬間だった――道場の蛍光灯が、一斉に破裂するような音を立てて割れた。
ガラスの破片が降り注ぐ音。神崎先輩の悲鳴。
スピーカーから流れる僕のビートの裏側で、生霊の絶叫が、急激に怒りの声へと変貌していくのを感じた。
「……おい、ヒカル。なんか様子がおかしいぞ」
シズヤの声から、先ほどの余裕が消え去っていた。
「溶けかかってた影が、急に何倍にも膨れ上がりやがった……! クソッ、こっちを睨んでる!」

僕の聴覚が、異常な気配を捉えた。
『コン、ココン』という小さな卓球の音だったはずのノイズが、まるで巨大な鉄球を床に叩きつけるような『ドォン! ドォン!』という暴力的な轟音に変わって、僕たちの方へ迫ってくる。
(まずい……! 未練を増幅させすぎたんだ。執着が、完全に『殺意』に変わった!)
トラップは、最悪の形で裏目に出た。
神崎先輩から引き剥がされた怨念は、邪魔をした僕たち『光と音』を標的に定め、真っ黒な怒りとなって襲いかかってこようとしていた。



