光のない僕と、音のない君

 部活が終わり、生徒たちがまばらになった昇降口。

 道着から制服に着替えた神崎先輩が、不安げな表情で僕たちの前にやってきた。

「どうだった……? やっぱり、私の気のせいだったかな」

 僕はシズヤに向けて手話を描きながら、先輩に一礼した。

「いえ。やっぱり、変な音が聞こえました。シズヤの目にも、先輩に纏わりつく、気持ち悪い影が見えていたそうです」

 僕が答えると、神崎先輩は「ひっ」と短く息を呑んだ。

「俺の見た影は、団扇みたいな丸いモノを持っていたんだ」

「団扇みたいなって……まさか――」

 明らかに先輩の声が動揺で震えた。

「何か、心当たりがあるんですね」

 僕の問いに、しばらくの沈黙があった。

「……もしかしたら、もしかしたらだよ。その団扇って、卓球のラケットくらいの大きさじゃないかなって」

「そう言われてみれば、そんな大きさだな。団扇よりも一回りくらい小さかったし」

 先輩から大きな、ため息がこぼれた。

「一ヶ月前にね、ウチの部活の顧問が急に外されて、卓球部に移されたんだけど」

 瞬間、僕の耳に残るあの『コン、ココン』という乾いた異音と、完璧に符合した。

 僕は思わず、隣のシズヤの腕を叩いた。
 卓球部。団扇のような丸い影。そして、剣道場に響くピンポン玉の音。
 すべてのピースが、最悪の形で組み上がった瞬間だった。
   *

 翌日の昼休み。僕たちは職員室の奥、教頭先生のデスクの前に立っていた。

「……お前たち。昨日の一件は感謝しているが、急に、何の用だ」

 周囲の教師たちの目を気にしながら、教頭先生が声を潜める。

 僕は白杖を軽く握り直した。

「怪異事件の調査です。この間、助けた際の出世払い、今すぐ一つ使わせてください」

「……お前らという奴は」

 教頭先生は深いため息をつき、僕たちを空き教室へと連れ出した。

 そこで僕は、神崎先輩に纏わりつく影と、卓球の異音について端的に説明した。教頭先生は腕を組み、革靴のつま先で床をコツコツと叩きながら重い口を開いた。

「……笹井先生のことか。確かに、彼を剣道部から卓球部へ異動させたのは私だ」

「どうしてですか?」

 僕の手話での翻訳中に、シズヤが被せ気味に尋ねる。

「指導が、常軌を逸していたんだよ。特に、エースの神崎に対する執着がひどかった。休日も彼女につきっきりで、他の部員を完全に放置してね。保護者からもクレームが入り、学校として強引に引き離すしかなかったんだ」

 教頭先生の息遣いには、嘘がなかった。
 教育という大義名分を被った、一人の生徒への異常な執着。それが無理やり断ち切られたことで、行き場を失った笹井先生の未練が肥大化したのだ。

「彼は今でも、自分が神崎をインターハイに連れて行くと信じて疑っていない。毎日、卓球部の部室から剣道場の方を恨めしそうに睨んでいるよ……」

   *

 放課後。

 僕たちの探偵事務所でもある音楽室。

 僕はノートパソコンを立ち上げ、DTMソフトの画面を開いていた。

「――つまり、あの影は死んだ幽霊じゃない。生きてる人間の、ドロドロした未練の塊ってことか」

(そう、いわゆる、生霊ってやつだよね。笹井先生の肉体は卓球部にいるけど、強すぎる執着だけが抜け出して、神崎先輩の剣道場へ通い詰めてるんだよ)

 バンッ、とシズヤがパイプ椅子を蹴る音がした。

 怒っている。シズヤは、他人の領域に土足で踏み込んでくるような、そういう湿っぽい悪意が一番嫌いなのだ。

「どうする、ヒカル。生きてる人間相手じゃ、お祓いなんて効かねぇだろ」

(……生霊の正体が未練なら、その未練を極限まで増幅させて、自分の執着の醜さに気づかせてやればどうかな)

「なるほどな。明日の部活中、剣道場に音のトラップを仕掛けてみるか」

 シズヤの声は弾んでいた。

 山奥の呪いすら打ち破った僕らに、一人の大人の身勝手な未練なんて、通じるわけがない。
 反撃のビートを刻むための、冷酷で熱いセッションの準備が始まった。