100回目の恋カレー

制服に身を包んだ私のこと飯川香恋(いいかわかれん)は、今日も《《アイツ》》と玄関先で待ち合わせだ。

ガチャリと扉の開く音と共に「ふぁあ〜」と眠そうなあくびが聞こえてきて、私は振り返った。

「おはよ、涼真《りょうま》」

「はよー」

柔らかい黒髪をくしゃっと握りながら、幼なじみの加納涼真《かのうりょうま》が再度大きく口を開けると目尻に涙を浮かべた。


「徹夜したの?」

と言うのも今日は期末テストの最終日だからだ。

「ううん。やろうと思ったけど、気づいたら机で爆睡」 

「え……っ、寝る前見たら電気点いてたから、てっきり」

私と涼真の家は隣同士で互いの部屋はそれぞれ二階にあり、窓の位置もほぼ同じなのだ。
昨夜、一時頃、ベッドに入る前に涼真の部屋を見れば電気がついていた為、てっきり徹夜してると思っていた。

「あーあ、香恋のせいで期末テスト、俺、欠点じゃん」

背の高い涼真が肩で私の体を軽く突く。たったそれだけのことなのに心臓がとくんと鳴る。

「わ、私のせいじゃないし!」

照れ隠しでいつもように言葉尻が少しキツくなる。

「冗談。そんなすぐ怒んなって」

「怒ってないし」 

「えー、目釣り上がってるけど?」

「もう……っ」

わざと口を尖らせてみれば彼が目だけで笑う。

せっかく幼馴染の特権をフル活用して、二人きりの登校なのに、学校までの十五分はいつだって不毛に過ぎていく。

手を伸ばせばすぐ届く距離にいるのに、私たちの心の距離は年を重ねるにつれて、どんどん離れていってる気がして仕方ない。

天然人たらしで男子は勿論、女の子にモテる涼真が、いつか誰かの押しに押されて取られてしまうのではと焦りは募るばかり。

じゃあ後悔する前に告白しようと思うかと思えば、そうじゃない。

居心地の良いこの関係を壊すのが怖くて、涼真への想いに蓋をして、隠し続けている意地っ張りな自分が心底恨めしい。

「……はぁあ」

「何、どした? 悩み?」

彼が不思議そうな顔をしてこちらを覗き込む。

この距離の近さも朝から心臓に悪いからどうにかして欲しいけど、言ったことはない。

嬉しいのに、恥ずかしい。
嫌じゃないのに、素直になれない。

恋ってほんと厄介なモノだとつくづく思う。

「香恋?」

「なんでもない……」

この状況で目の前の相手に、悩んでいるのは貴方のことですからね、だって好きだから、なんて到底言えるわけもない。

「ふぅん。ま、俺でよければ何でも言えよ。香恋のことなら何でもわかるし知ってるし」

じゃあこの気持ちもわかるし知ってるわけ?と喉から出かけた言葉をのみこんでキッと睨む。

「変な言い方やめてよね」

「お。また怒った? 眉間のシワ、えっぐ」

「うっさい」

ポカっと痛くないように涼真の胸を叩けば、オーバーリアクションで彼が「肋骨三本やられたー」なんておどけて痛がってみせる。

ずっとこうして二人で並んで歩いていけたらいいのに。私の隣にずっといてくれたらいいのに。

そんな決して口に出せない言葉を脳内に浮かべれば、初夏と呼ぶには早い微熱を含んだ風がふんわり頬を掠めていく。

「てか、高三もあっという間じゃね?」

「だね」

返事に温度なく答えたのは、涼真はサッカーの強豪チームがある男子校を志望していて、私は地元の高校への進学を目指している。

一緒の高校には行けない。

「早いよな、色々と…。公園で靴飛ばししたり虫取りしてたの懐かしいわ」

「確かにね……」

彼の視線を辿れば小さい頃よく遊んだ公園が見え、思い出はすぐに蘇る。
あの頃は良かった。涼真と一緒にいるのが純粋に楽しくて、余計な気持ちは何もなかったから。

「……ずっと小さい頃のままが良かったな」


恋だと知らなければ気付かなければ、こんなに心に吐き出せない靄を抱えることもなかったから。

「ん? やっぱどした?」

「ただの……受験逃避」

「ふぅん……ならいいけどさ」

私たちは並んで緩やかな坂を登っていく。この先のコンビニを右に曲がれば学校に到着だ。

あと五分で今日の朝のルーティンも終わり。

私は晴れた空を眺めながら、少しだけ気まずくなった空気を変えるための、どうでもいい会話を探す。

「おっ!」

「え?」


彼の声に顔を挙げれば視線はコンビニの看板を向けられていた。

「へ〜、いま『唐揚げさん』増量中だって。ヤバくね?」

「好きだね、唐揚げ」

「てか香恋のおばさんの唐揚げ絶品だよなぁ」

いつも通りの彼の様子に安堵しつつ、私はハッとする。

家を出る前に母から言われた言葉を思い出したからだ。

「あ、涼真。今日の夜、涼真のおじさんとおばさんとうちの親、焼き鳥屋でお隣飲み会だって」

「え、ガチで?」

「聞いてないの?」

「朝起きたら二人とも仕事行ってて聞いてねーし。大体さ、お隣飲み会って何なんだよなぁ?」

「だね、仲良いのはいいことだけど」

「まぁな。俺らは酒飲めねーから、毎度毎度お留守番だけどな」

うちの両親と涼真の両親は、高校時代からの親友でいつも四人一緒だったらしい。

それは社会人になっても結婚してからも変わらず、マイホームを建てる時には、互いに隣に建てようと約束をしていた両親達は約束通り隣同士に家を建てた。

そして偶然にも同じ年に子供を授かったことから私と涼真は生まれた時から一緒だった。

「てことは香恋が俺の飯、作ってくれんだ?」

「ま、まあね。何か食べたいのある?」

平然を装いながらも私の鼓動は早くなる。
だって、メニューはもう決まっているからだ。いや厳密に言えば、涼真からのリクエストがそのメニューであって欲しいと心から願っている。


「うーん……たまには唐揚げ……」

「え?! 唐揚げ?!」

やや上擦った声に涼真が、ぷはっと笑う。

「すげー驚き方」

「何よそれ……じゃあ唐揚げ、ね」

「嘘。カレーがいい」

「え?」

「俺、香恋のカレー好きだから」

無邪気な彼の笑顔にカッと全身が熱くなって心臓が大きくはねて痛い。

自分のことが好きだと言われたわけでもないのに。

「香恋、聞いてる?」

涼真のリクエストがカレーだったことに心からホッとしつつ、今度は緊張が走る。

だって涼真にカレーを作るのがついに──。

ごくんと喉を鳴らしてから私はなるべくそっけなく「了解」と答えた。


私と涼真はクラスが違うため下足ホールで別れると、三年二組の教室の扉を開ける。

「香恋おはよー」

夏帆(かほ)、おはよ」

駆け寄ってきたのは三上夏帆(みかみかほ)。彼女とは小学校からの友達で私の親友だ。

「ってどうしたの? なんかいつもと違うけど?」

その言葉に一気に脱力して情けない声が出る。

「夏帆〜どうしよう……ついに今日で恋カレー100回目になるの」

「あー、ガチか。あたしまで緊張するじゃん」

頼りなく夏帆の腕を掴んだ私の頭を、彼女が宥めるようにヨシヨシしてくれる。

「うぅ……恋カレーのおまじないの効果がついにわかるってことは……失恋記念日になるかもだよね」

「こら。今から弱気にならないの」 

「だって……」

「まぁ恋カレーのおまじない、今まで試したことある子知らないからさー。だって好きな人に百回カレー食べさせるってなかなか難しいよ。おまけに人参はハート型の人参じゃなきゃダメなんて難易度高すぎ」

そう。私は密かにあるおまじないを信じているのだ。それは初恋を拗らせている私が果帆から教えてもらった『恋カレー』のおまじない。

恋カレーのおまじないを成功させるには三つの条件がある。
一つ目は、相手のことを考えて愛情たっぷりに手作りすること。
二つ目は、恋カレーの中の人参の形はハート型であること。
最後は、この恋カレーを意中の相手に百回食べさせること。

この三つの条件を達成できた時、意中の相手と両思いになれるらしいのだ。

夏帆がおばあちゃんから聞いたと言う、私たちが生まれるずっと前から都市伝説のように受け継がれている恋のおまじない。

「そうだよね……私も周りに試したことある子聞いたことなくて」 

「じゃあさ〜おまじないに頼らず、もう告白しちゃえば?」

「無理だよっ。涼真にそんな……好き……とか言って、今の関係、ギクシャクしたくないし……でもかといって……」

一昨日校舎裏で偶然見かけた、涼真とサッカー部のマネージャーの女の子の姿が蘇ってくる。

「他の女の子にとられたくないんでしょ?」

夏帆の言葉に素直にこくんと頷く。

「昨日涼真に聞いたら次の試合の話だって言ってたけど……そんな雰囲気に見えなくて……」

「なるほどね、それは不安だし焦るかもね」

「うん……」

「いやしかし、香恋もなかなか根性あるっていうか、慎重だよね。長年、おまじないを信じて実行するなんて」 

少し揶揄うような夏帆に目だけで抗議する。

「まぁ、あたしにできることはないんだけど大丈夫! うまくいくって」

「なんか、年々励まし方適当になってない?」

「あはは。そんなことないけどね。ま、香恋の恋カレーのおまじないがうまくいくこと心の底から願ってるよ」

不安と緊張で俯きそうになっている私の額を指先で弾きながら、夏帆がにこりと微笑んだ。


放課後、私は帰宅するとすぐにエプロンをつけて台所に立った。リビングの時計は十七時すぎだ。サッカー部に所属している涼真が部活を終えて、シャワーを浴びて家にくる時間を逆算すると一時間ほどしかない。

私はお鍋を取り出すと、まずは玉ねぎの皮を剥いて角切りにしていく。

「んー……目に滲みる」

涙目になりながらも、次に私は彩りのアクセントであり、涼真の好きなアスパラの皮を剥きレンジで加熱する。

「次はハート型の人参……」

人参を洗い輪切りにする。ここは慎重にいかなければいけない。包丁でひとつひとつ心を込めてハート型に見えるようにかたどり、余ったくず野菜は残らずみじん切りにする。冷蔵庫から鶏肉を取り出すと一口大に切り、私はお鍋にオリーブオイルを垂らした。

「あっ! ニンニク!」

いつもなら忘れないのにやはり百回目という、おまじないの効果の有無が決まる恋カレー作りは、悪い考えが頭から離れなくて集中しきれていないようだ。

「しっかりしなきゃ。最後なんだから」

私は頬をペチンと軽く叩くとニンニクをみじん切りにして鍋に放り込む。すぐに香ばしい香りが鼻を掠めて急激にお腹が空いてきた。 

──ピロン

キッチンの隅に立てかけていたスマホに涼真からのLINEが入る。

『部活終了。腹減った。シャワー浴びたらすぐいく』

(やばっ……思ったより早い) 

『お疲れ様、了解』

私は急いで野菜を鍋に全て放り込むとさっと炒め、お湯を鍋に注ぐとローリエの葉を浮かべた。

「ふぅ。なんとか間に合いそう。具材が柔らかくなればルー入れて完成だもんね」

私はタイミング良く炊き上がったご飯をほぐすと、テーブルにランチョンマットとスプーンをセットして鍋を伺いつつ、テーブルに腰を下ろした。

(はぁあ。恋カレーのおまじないか……)

今日で恋カレーは百回目。

手帳につけている、作った回数を示す正の字を確認したから間違いない。私は両肘をついたまま、チェストの上の写真を眺めた。生まれてすぐの写真から、小学校、中学校、高校の入学式と何枚も飾られた写真達の中で私の隣にはいつも涼真がいる。

いつから恋に変わったんだろうか。恋に変わらなければ、彼の隣でただ無邪気に笑っていられたんだろうか。

夏帆の言葉がふいに頭を過ぎる。

(告白した方が早いのなんて……分かってる。でも……)

怖い。だって知っているから。
涼真が私に幼馴染以上の気持ちを抱いていないことを。

随分前に聞いたことがあった。好きな人ができたらどうするのかと。その時、涼真は迷わず好きな人ができたら告白したいと言っていた。

あれからどのくらいの時が流れただろうか。涼真はもちろん私に告白なんかしてくれない。つまり彼にとって私はただの幼馴染。

だからこそ最大限傷付かず、この恋を手放すには私には恋カレーのおまじないに頼る他なかった。

小さなため息をいくつも吐き出しながら、私は火を止めるとルーを割り入れて恋カレーを完成させた。

「心臓くるし……」

この恋の結末が自分の望むものである可能性は極めて低い。けど長年このおまじないを信じてきた身としてはほんの僅かだか期待もやっぱりしてしまう。

もし、もしも百回目の恋カレーを食べた涼真が私の想いに気づいて、私に恋してくれたらどんなにいいだろう。

そしてそろそろ来る頃かと時計を眺めたと同時に、インターホンが鳴った。


玄関扉を開ければ、黒のスウェット姿の涼真が濡れた髪のまま手を挙げた。

「おす。お邪魔しまーす、めっちゃいい匂いじゃん」

「え……ちょっと涼真、まだ髪濡れてんじゃん」

慌てて私がタオルを手渡すと、涼真がにんまり笑った。

「早く香恋のカレー食いたくて」

涼真の笑顔と言葉に心臓がどきんと跳ねた。

「俺、好きなんだよね」

「……え?」 

「香恋のカレー。たぶん世界で一番好きかもな」

いつもならこんな事言わない。「腹減ったー」とか言いながら椅子に腰掛け、カレーを黙々と食べると私とテレビゲームをして二十二時には家に帰っていく。

「……あっそ。別にいつものカレーだけど」

照れ隠しと戸惑いから可愛くない言葉が出て、また心の中で自己嫌悪だ。


「俺も手伝うわ」

涼真はタオルで濡れた髪を拭きながら、手際よくカレー皿にご飯をよそう。

私がその上からたっぷりと恋カレーをかければ涼真が目を輝かせた。


「やばっ。美味そう!」

目をキラキラとさせる涼真は子供みたいだ。私は自分のカレーもよそうと、涼真の真向かいに腰掛け二人一緒に手を合わせた。

「いただきますっ」
「いただきます」

二人揃って食べ始める。何度も二人で恋カレーを食べてきたのに、今日だけ涼真の食べる姿から目が離せない。

涼真は大きな口でどんどん胃の中へ放り込んでいく。ハート人参が涼真の口に入るたびに、私は緊張から何度もグラスの水に手をかけた。

「何、チラチラ俺のこと見てるけど?」

「えっ……と、あの、その美味しいかなぁって」

「美味いに決まってんじゃん。ほら、もうなくなりそう」

「う、ん……良かった」

涼真のお皿から、恋カレーが全部なくなったらどうなるんだろう。私はまだ、ふた口しか食べてない自分の恋カレーを見つめながら静かに息を吐く。

「なぁ朝から元気なくない? どした?」

「……別に何もないよ」

「ふぅん」

涼真が最後のハート人参をルーと一緒に掬ったときだった。

テーブルに置いていた彼のスマホが鳴る。涼真はスマホの液晶画面をチラッと見たが電話に出る気配はない。

「……いいの? 食事中だけど、親いないし出てもいいよ?」

涼真は困ったような顔をしながらも電話には出ない。 

私は嫌な予感がした。電話の相手はあのサッカー部のマネージャーの女の子なんじゃないだろうか?

「いやいい」

「……そだよね、女の子……との電話、私の前じゃしにくいよね」

「そんなんじゃねーよ」

失敗した。涼真は面倒くさそうにスウェットのズボンにスマホをねじ込む。私は瞳に涙の膜が張りそうで、慌ててカレー皿に視線を移すと、黙々と食べていく。

「ごちそうさま」

正面から聞こえた声に体がビクンと跳ねる。見れば涼真の恋カレーは綺麗になくなっていた。

「……うん」

一瞬だけ涼真と視線を合わせたが、彼はさっと立ち上がるとカレー皿を流し台へと置き水を流した。

私も急いでカレーを胃に流し込むとカレー皿を流し台に置いた。

「あとで洗うから置いといて」

「うん。今日もカレー美味かった。いつもありがとな」

いつもの恋カレー。
いつもの涼真のお礼の言葉。
いつもの涼真の笑った顔。

それなのに私の瞳からはついに涙が転がった。

「……え? ……香恋?」

「……見ないで……なんでも、ないから」
 
涼真の前で泣くつもりなんて、さらさらなかったのに一度転がった涙は引っ込めたくても引っ込まない。 

「ひっく……ぐす……」

「ちょ……、なんで泣くんだよ」

涼真が慌ててティッシュ箱を持ってくると私に手渡した。

「香恋、泣くなって」

「だって……」

やっぱり恋カレーのおまじないないなんて嘘だった。

わかってたはずなのに。強制的に終わりを告げた恋は胸の真ん中が痛くてたまらない。

「なぁ……香恋こっち向いて」

いつもよりどことなく真面目なトーンの涼真に私はおずおずと彼を見上げた。

「ふっ……ぶっさいく」

「な……何よ、それ……失礼すぎでしょ」

売り言葉に買い言葉だが、ほんの少しだけ悲しみが薄れた気がした。私は涼真の持ってきてくれたティッシュで涙を拭く。


「──そんなに俺の事好き?」


(……え? 今、なんて……)

思わず目を見開いた私を彼が真剣な目で見つめる。

「俺は香恋のカレーも香恋も好きだけど?」

涼真が急にぷっと吹き出すと歯を見せてケラケラ笑う。

「なぁ。なんかダジャレみたいつーか、早口言葉みたいだよな」

私は理解ができないまま、さっきの涼真の言葉をもう一度頭の中に浮かべてみる。

(私のカレーも、私も好き? って言った……?)

「返事聞かせて? てゆーか、香恋が俺に作ってくれたの恋カレーじゃねぇの?」

「な、んで……それ……」

私は夢でも見てるのだろうか?
涼真が恋カレーを食べ終わって、私のことを好きだと言ってくれている。

──恋カレーのおまじないは本当だった?

「恥ずい。早く返事しろよ」

涼真が照れくさそうに手のひらを首の後ろに回しながら、口を尖らせた。

もう夢でもおまじないでも何でもいい。
今言わなきゃ、多分一生この恋心は吐き出せない。

「私……涼真が好きっ」

涼真は一瞬目を見開くと、すぐに掌で口元を覆った。

そして一呼吸おいてから私をぎゅっと抱きしめた。

「え、あの……涼真……」

涼真のスウェットから石鹸の匂いがして、耳を澄ませば駆け足のような鼓動が聞こえてくる。

「……百回待ってやったんだからな、恋カレー」

「……えっと……どうして恋カレーのこと知ってるの?」

「夏帆から聞いた。好きな子から百回カレー作ってもらったら、その子が自分のこと好きになるって。だから俺、香恋に百回カレー作ってもらって俺の事好きになって貰えたらなって」

「あれ? 恋カレーはハート型の人参入りで好きな人に百回食べてもらったら、自分のこと好きになるって聞いたけど?」

私達は顔を見合わせてながら首を傾げる。

「え?」
「あれ?」

そして同時に夏帆の悪戯っ子のような顔を思い出す。

「あー、ガチか。夏帆にやられた」

「ほんと何で気づかなかったんだろ、私、恋カレーの話、夏帆からしか聞いたことない」

「俺も」

私達は抱き合ったまま暫く笑い合うと、初めての触れるだけのキスをした。

──あれから10年。

「お、今日も恋カレーうまそ」

仕事帰りの涼真は、私の一人暮らしの家にくるなりスーツのネクタイを緩めるとテーブルに腰掛け、すぐにカレーを頬張る。

「もう涼真に何回作ったかわかんないな」

エプロンを外すと、私も涼真の真向かいに座りスプーンを持ち上げる。

「千回目」

「え。嘘……、涼真数えてたの?」

驚いた私を眺めながら、涼真はあっと言う間にお皿を空っぽにして「ごちそうさまでした」とスプーンを置いた。

そしてスラックスのポケットから小さな白い箱を取り出し、箱を開けると私に差し出した。

箱の中には白銀の光を放つ指輪が見える。

「なぁ。千回目の恋カレーのおまじない知ってた? 好きな人から千回恋カレー作ってもらったら、その人が俺と結婚してくれるんだって」

涼真の顔もダイヤモンドの光る指輪もあっという間に涙でぼやけていく。

「また泣くし……返事は?」

涼真は立ち上がると指先で私の目尻からそっと涙を掬った。

「涼真が好きだよ……ずっと一緒にいて」

「うん、一生幸せにするから」

涼真が私の額にコツンと額を当てる。

私達はこれから未来に向かって二人で寄り添って歩ける幸せを噛み締めながら、長い長いキスをした。

──ねぇ、恋カレーって知ってる?


それは恋する女の子の魔法のおまじない。沢山の想いと愛情をハート型の人参に込めれば、きっといつか叶う秘密の恋のおまじない。


「涼真大好きだよ」

「俺は愛してる」


いつになく歯の浮いた台詞にクスッと笑う。

ずっとこんな幸せが続きますように。

永遠にカレに恋する私は、これからも恋カレーを作りながら、恋するカレとずっと一緒。





2026.3.1 遊野煌