空色の小鳥は、恋をしていた

 全力疾走した三人は、男子寮の前で膝に手を衝いて荒い呼吸を整えていた。

「たかなし、ついたぞ……」

 ゼィハァしながら、佳奈が足をプルプルさせている。
 それなりに距離があったから、佳奈の反応は妥当だ。

「お日様が高いうちに着いて、良かったわ~」

 あっという間に呼吸を整えて、涼しい顔をしている詩織が化け物に見えた。

「あ……ありがと、ござ、ました」

 奏楽と佳奈は、顔を上げられないくらいに息を切らしていた。

「二人とも、今、お水買ってくるので、ちょっと、待ってて……」

 奏楽はフラフラしながら寮の入口に歩いた。

「気にしなくていいのよ。私たちは寮に帰るから、奏楽ちゃんもお部屋に戻って。きっと、戻ったら出てくる体力ないわ~」

 詩織に完全に言い当てられた。

「一回、座るけど、帰るからな」

 佳奈が寮入口の階段に、座り込んだ。

「無理しすぎよ、佳奈ちゃん。おぶってあげましょうか?」

 詩織の申し出を、佳奈が全力で首を振って拒絶した。

「それだけは、許してくれ」

 詩織におぶられると、佳奈の中の何かが死ぬらしい。
 そう、奏楽は理解した。

「小鳥遊!」

 優希の声が聞こえたと思ったら、寮の入口から飛び出してきた。

「部屋にいないし、探していたんだ。出掛けていたの? えっと……」

 優希が戸惑った目を向けている。
 男子寮の入口で女子がダウンしているのだから、混乱して当然だ。

「ごめん、優希。食堂の自販で、お水二本、買って来てもらっていい? 神社から全力疾走したら、想像以上にへばった」
「え……今……」

 優希が戸惑うというより、驚いた顔をした。
 表情が一瞬、固まった。

(なんか、表情が硬い? 神社から全力疾走って言われて、訳が分からないからかな。同じこと言われたら、僕も戸惑うもん)

 優希に小銭を差し出す。
 受け取った優希が、嬉しそうな顔をした。

「わかった。ちょっと待っていて」

 優希が寮の中に戻って行った。

「ルームメイトがお水を買って来てくれるんで、ちょっと待ってくださいね」
「大丈夫よ~。佳奈ちゃん、すぐには動けないから。気を遣わせちゃって、ごめんなさいね」

 詩織が佳奈の背中を擦りながら、苦笑した。

(僕はもう息が整ったから、佳奈先輩には勝った)

 謎の勝利感で、奏楽は満足した。

「お水くらい、もらってほしいです。佳奈先輩と詩織先輩と一緒に走ったら、気持ちがちょっと軽くなったから。お礼にしては、ただの水だけど」

 佳奈と詩織が顔を見合わせて笑んだ。

「私にとっては命の水だ。有難い」
「私は楽しかったわ。また走りましょ」

 二人が笑ってくれたから、奏楽も気兼ねなく笑えた。

「お待たせ、奏楽。どうぞ」

 優希が佳奈と詩織にそれぞれ、ペットボトルを手渡した。
 受け取った途端、佳奈が一気に水を煽った。

「ありがとう、染谷君」
「いえ、えっと……三年生の先輩、ですか?」

 優希が戸惑いがちに訊ねる。

「手芸部の部長の三倉佳奈先輩と、副部長の白石詩織先輩。神社で偶然、会ったんだ」
「そっか、手芸部の。奏楽のルームメイトの染谷優希です」

 優希がペコリを頭を下げた。

(あれ、今……優希が僕のこと、奏楽って呼んでくれた? 気のせいかな……って。ちょっと待って……僕も染谷じゃなくて、優希って呼んだかも)

 優希が、奏楽に向かってニコリと笑んだ。
 顔が一気に上気する。心臓が一拍、遅れて跳ねた。
 けれど、その熱は一気に醒めた。
 右肩を見詰めて、奏楽は目を見張った。

(肩の黒い塊、色が落ちて透明になってきてる。それに、粘っこいのが、背中まで流れてる)

 色が、半透明に若干の黒が混じった感じで、向こうが透けて見える。
 大きくはなっていないのだろうが、スライムのように伸びて右の背から腰のあたりまで伸びている。

(あれは、どういう状況? 良いの? 悪いの?)

 ドキリとしたが、悪い気は感じない。
 黒さを増して蠢いていた時の禍々しさはない。
 安心していいのか判断に迷うが、優希が辛そうではないので、少しだけ安心した。

「染谷君、知っているわ。サッカー部の王子様って、有名ですもの」
「そう……ですよね」

 詩織の言葉に、優希が苦笑した。

(優希、あんまり嬉しくなさそう。王子様って言われるの、本当は好きじゃないのかな)

 小さな違和感を覚えた。
 優希の視線が奏楽に向く。ちょっと不安そうな顔だ。

(どうしたんだろう。今日の優希はらしくないけど、さっきとは違う。今はちょっと寂しそう)

 部屋から飛び出していった時より落ち着いているが、何かが違う。
 奏楽の胸に、小さな不安が擡げた。

「あ、ゆう……」
「佳奈ちゃん、そろそろ帰りましょう」

 詩織が佳奈の腕を掴んで、一瞬で立ち上がらせた。
 佳奈のほうが驚いた顔をしている。

「肩、貸してくれるんだろうな」
「肩も貸すし、ご希望なら背中におぶるわ」
「肩がいい」

 佳奈が詩織の背中に腕を回した。

「お水ありがとう、奏楽ちゃん」
「はい、頑張って帰ってくださいね」

 二人に手を振って見送る。
 佳奈が優希を振り返った。

「可愛い小鳥遊を虐めてくれるなよ。小鳥遊は手芸部のアイドルだからな」

 突然の攻撃に、奏楽が驚いた。

「アイドルなんて、言われたことないです。そういう冗談、良くないです」

 ムッとして、佳奈をねめつける。

「言ってないけど、アイドルよ~。皆、奏楽ちゃんが好きだもの。小動物系小鳥アイドルね」
「全然、褒めてない。むしろネタ化してる」

 詩織の追加情報もいただけない。
 千尋の冗談が尾を引いている。
 
「奏楽は愛されていますね。良かったです」

 優希が、小さく吹き出した。

「俺も大事にしますよ。ルームメイトなので」

 優希がニコリと笑んだ。
 いつもの王子様の微笑だ。

(やっぱり、奏楽って呼んでる……え? いつから? 出てくる前は、小鳥遊だった気がする。僕は優希のこと、何て呼んだっけ)

 そっちのほうが気になって、優希から目が離せなかった。