空色の小鳥は、恋をしていた

 鍵のかかった風呂の扉の前で、優希は呆然と立ち尽くしていた。

「こんな時間に、風呂入れるわけないよな」

 ぽそりと呟く。
 急に、情けなくなった。

(奏楽の手を振り払って、逃げてきた。酷すぎるだろ、俺……奏楽は何も悪くないのに)

 奏楽の顔が、固まっていた。
 とても悲しそうだった。
 自分がそうしたのだと思うと、胸が苦しい。

(俺にショックを受ける資格なんかないのに。奏楽を傷付けたのは、俺なのに)

 情けなくて切なくて、気持ちがぐちゃぐちゃだ。
 シャツを握り締めたら、右の肩がまた重くなった。

(肩が、重くて怠い。奏楽に触れてもらっていた時は、楽だったのに。奏楽が笑うだけで、ずっと楽で……)

「優希、何やってんの?」

 後ろから声を掛けられた。

「まだ風呂、開いてねぇぞ」

 振り返ったら、颯真がペットボトル片手に笑っていた。

(今、一番見たくない顔だ)

 目を瞑りたくなる。
 優希を眺めた颯真が、表情を変えた。颯真が優希の腕を引っ張った。

「とりあえず、俺の部屋来い」
「は? なんで」
「いいから、来いって」

 優希の腕を引いて、颯真がずんずん歩いていく。

「一年の時、レギュラー落ちしたことあったろ、お前」
「俺が外れて、颯真が入った時?」
「あの時と同じ顔してるぞ」

 何も言い返せずに、優希は黙り込んだ。
 引っ張られるまま、優希は颯真の部屋に連れて行かれた。

「結斗はもう帰ったけど、ベッドには乗るなよ。アイツ、そういうの煩いから」
「わかってる」

 部屋の隅で体育座りする。
 今は小さくなっていたい。
 冷たいペットボトルを、頬にあてられた。
 思わず顔が上がった。

「飲んどけって」

 今は颯真の親切すら苛立ちに変わる。
 そんな自分が嫌でたまらない。

「奏楽と喧嘩でもしたの?」

 ペットボトルを持つ手が、びくりと震えた。
 言い当てられたことより、颯真が奏楽と呼んだことが、響いた。

「颯真って、何で誰とでもすぐ仲良くなれるの?」
「誰とでもって訳でもないよ。同室の結斗とは普通って感じだし」
「でも、普通なんだろ」

 抱えた膝の中に顔を埋め込む。

「王子様って呼ばれてモテモテの優希のほうが、俺は羨ましいけど」
「颯真のほうがモテるだろ。この前も女の子にお菓子もらってた」
「優希の隣にいるから目に付くんじゃね? 俺に声掛けてくる女子って、半分は優希狙いだよ」

 じっとりした気持ちで、優希は颯真を眺めた。

「王子様って、全然意味わからない。俺、そういうキャラじゃない」

 自分の噂は、少しは知っている。
 気にしない振りをして流してるが、まるで自分事の気がしない。

「俺は知ってるけどさ。遠くから見てたら、王子様なんじゃないの? 優希って誰にでも優しいし、いつも笑顔だし」
「親切で笑ってる奴は、俺以外にもいる」

 気持ちがどんどん卑屈になって、顔がどんどん膝の間に埋まっていく。

「そういうウジウジするとこ、俺以外に見せないじゃん。奏楽にも見せてやったら?」

 右の肩が、ビクンと跳ねた。
 冷たい右肩の感触が、背中にまで流れ込んでいくようだ。

「なんで……小鳥遊」
「あと二年も同室なのに、気まずいのキツいじゃん。ルームメイトは適度な距離感も大事だけどさ。ちょっとくらい素を見せてもいいんじゃねぇの。奏楽なら優希がウジウジしてても、嫌いになったりしないと思うぜ」

 颯真が慰めてくれている。
 奏楽とも優希とも友達だから言える意見だ。それだけなのに。
 胸の奥が、じりじり痛い。
 
「何で、颯真は……小鳥遊を、奏楽って呼べるの」

 目だけで颯真を見上げる。
 颯真が不思議そうに首を傾げた。

「何でって、友達だから」

 聞いた自分が馬鹿だった。
 一回、話したら友達になれる颯真とは、価値観が違う。
 
「優希も時々、奏楽って呼んでんじゃん」
「俺はずっと、小鳥遊だよ」
「本人の前では、知らんけど。俺は何回か聞いたけど」

 颯真が思い出すような顔をする。
 自分の顔が熱くなっていくのを感じた。

(無意識で口に出してるってことか? 奏楽の前で、何回かは呼んだけど。本人が聞いてない時だけで、それ以外は気を付けてるのに)

 風邪を引いて朦朧としている時しか、呼んでいないと思う。
 けれど、自信がなくなってきた。

「馴れ馴れしいとか思われてたら、どうしよう」
「ないだろ。俺、二年から同クラで席が前だから声掛けたけど、普通に名前呼びしても嫌がってないし」
「颯真と一緒にするなよ」
「もう一年も一緒に生活してんのに。何で、そんなにウジウジすんの?」
「うるさい。俺は色々、考えるの」

 正直、颯真が羨ましい。
 自然に距離を詰められて、誰とでも友達になれる。

(奏楽の心にも、あっという間に入り込める)

 優希が一年かかっても辿り着けない場所に、颯真はいる。
 それが羨ましくて、妬ましい。

「ふぅん。ま、そこが俺と優希の違いなんだろうな」

 颯真が膝の上で頬杖をつく。

「だから、いいんだろうなぁ」
「何が?」

 わかったようなことを言われて、ちょっとイラっとした。

「俺は、優希も奏楽も好きって話。そんで、どうする? 俺の部屋、泊まる? 戻る?」

 優希は、ぐっと唇を噛んだ。
 勘が良くて、世話焼きで、結局優しい。颯真ほうが、よっぽど王子様だ。
 そういうところに、いつも救われる。

「……戻る。奏楽が、気にすると思うから」

 あえて名前を呼んでみた。

「本人に、呼んでいいか、聞いてみたら?」
「そうする」

 着替えとタオルを掴んで、顔に当てる。
 何のかんの、颯真の優しさで心が落ち着いた。

(ちゃんと謝ろう。手を振り払ったことも、変な八つ当たりしたことも)

 もらったペットボトルの水を飲んで、気持ちを整えた。

「颯真、ごめん……ありがと」

 小さな声で呟くように謝った。

「可愛いなぁ、優希。そういうとこ、好きよ」

 颯真が優希の頭を撫でる。
 こうやって茶化すのも、颯真の優しさだ。
 だから振り払わずに、大人しく撫でられておいた。